2018年827

信徒・専従者 各位


いづのめ教区・広報

 

「明主様、御教え、ご浄霊を完全否定し
明主様のご事蹟からも逆行している『MOA活動』とは?」

先日8月11日、自称・世界救世教責任役員会名で、主之光教団と私どもいづのめ教区が、明主様を否定しているとの文書が出されました。
 誤字等のミスが多く、また、文章そのものも稚拙であり、教主様が、〝メシヤになれることを否定している〟という何を批判されたいのか分からない支離滅裂な表現や、噂や想像をもとにした話で人を徹底的に貶めている様を見ると、いつもながら呆れるばかりです。品性がここまで堕した者が「世界救世教」を名乗っていることに、明主様に対し申し訳ない気持ちになります。
 そもそも、彼らは、教主様、真明様、そして私ども主之光教団に籍を置くいづのめ教区が、世界救世教とは無関係であると主張しているにもかかわらず、なぜ私どもに対して次から次へと文書を届けてくるのか、理解し難いことです。
 先日の真明様批判の文書には、「包括役員会は、このような岡田真明氏の発言に基づく教会長指導の実態を看過することはできないと判断し・・・(いづのめ教区が)今日、最も社会が警戒する危険思想、教団と見なされることを指摘し・・・いづのめ教区の信徒教化の責任者である、白澤代表、川谷副代表の見解を求めます」とあります。
 自称・世界救世教包括役員会にとって、信徒でもなく、まったく無関係であるはずの岡田真明様、そして、包括・被包括関係を廃止し、世界救世教ではない主之光教団・いづのめ教区に対し、このような文書を送ってくる意図は一体どこにあるのでしょうか。
 教主様への「尾行・盗聴・盗撮」を実行・容認し、世界救世教で定めている規則・教規をないがしろにした組織運営を行い、今や彼らにとってまったく関わりのないはずの方々や団体に対し、さかんに誹謗中傷の文書を出す団体のほうが、よほど社会が警戒する危険思想集団だと思います。
 もし親切心からこのような文書を私どもに届けているのだとしたら、余計なお世話の一言しかありません。
 自称・世界救世教責任役員会やいづのめ教団小林執行部は、教主様は教主ではない、真明様は信徒でもない、主之光教団は世界救世教ではない、離脱派だ、と口では言いながら、何かあるとすかさず「岡田陽一氏は!」「岡田真明氏は!」と言いたくて仕方がないようです。そのこと自身に彼らの行動の大いなる矛盾があります。心の中では教主様・真明様のことが気になって気になって仕方がない、というのが本心なのでしょう。哀れだとしか言いようがありません。

私どもが明主様を否定している、という8月11日付の文書には、冒頭に、小林昌義氏からの聞き取り情報を載せていますが、この人物は、『特報』においていくつもの虚偽情報を垂れ流し続けた人物であり、その者が、証拠もなんら示さず教主様を貶めている言葉の中に、真実性が含まれていることなどあり得ないと考えたほうがよいでしょう。
 特に、小林氏は、〝『特報』に虚偽は一切ない〟〝教主様への尾行情報について何も知らなかった〟〝明主様に誓って嘘ではない〟と、明主様や信徒に対して直筆の署名をもって誓いを立てておきながら、様々に出回っている情報によりますと、実際は事前に、いづのめ教団の中枢を担っている方々やメディア情報部職員2~3名と共に、東京都内において、東方之光の尾行情報を共有していた、ということがささやかれています。
 もしこれが事実であるならば、小林氏は、「教主様への尾行情報は寝耳に水だった」と『特報』内で宣言しながら、実は、明主様に偽りの誓いを述べているという、極めて厚顔無恥な方であるどころか、本当に明主様の信徒であるのかどうかを疑わざるを得ません。
 この8月11日付文書は、東方之光・MOAが作成したと思われますが、中身は、いつもながらの御教えの表面的理解に終始したもので、教主様・真明様のご教導の一部分のみを取り上げ、「ここが御教えと違う、それに同調しているあなたたちは明主様批判をしている、我々の問いに回答せよ」と、ヒステリーを起こしているのかと思うほど、追い詰められた、精神的余裕の感じられないものです。
 また、明主様のみがメシヤであると断定し、イエスをキリスト(メシヤを意味するギリシャ語)と信じる20億人を擁するともいわれるキリスト教徒を完全に敵に回す発言をしていますが、そのような認識で、どのように全人類の救済を成し遂げようというのか、不思議でなりません。
 明主様が世界救世(メシヤ)教開教の折、「これからが神の実力が発現される時期に入ってきたといえる、西洋においてはキリストもさぞや本来の実力を発揮されることと思う、而して東洋においてはメシヤがほんとうに御神力を発現されることと確信する、だから従来のような宗教的観念ではとうてい理解できない」と述べられたこと、また、〝メシヤが再臨のキリストである〟とのお言葉は、明主様の御教えの奥深さを示しているものです。このように、私ども人間の知恵では到底理解することのできなかった明主様の御教えの奥義をご教導くださっているのが教主様・真明様であり、私どもは、お二人に心より感謝しています。
 どちらにしろ、もし本当に教主様・真明様のご教導が間違っていると思うならば、一部分だけではなく、そのありのままのすべてを東方之光の信徒の末端にまで公開すればよいと思うのですが、お二人のご教導に秘められている明主様の真実に触れる方々が現れるのを恐れているのでしょう。いつも自分たちに都合の良い一部分だけしか引用しません。特に、お二人が、御教えをもとにお話しされている部分については一切触れていないのも彼らの特徴です。御教えに基づいてお話しされていない、というイメージを植え付ける目的のためとはいえ、彼らのやり方は卑劣極まりないものであると同時に、彼らの姿は惨めなものです。
 真明様が、本年4月24日付「ご返答」文書で明快に記されましたように、自称・世界救世教責任役員会の方々は、「明主様を信仰していると言いながら、教主様への尾行・盗聴・盗撮という恥ずべき行為、言葉に出すのも憚られる行為を実行、容認されており、教義を語る以前の問題」であり、私どもとしても、彼らの問いには答えたくても答えられないのが現状です。
 彼らの目的は、教主様・真明様を徹底的に批判し、貶めることです。その彼らに、なにを、どのように、いかに丁寧に説明をしたとしても、彼らは私どもの一部の言葉を引用し、言葉尻を捕らえ、揚げ足を取り、都合の良い御教えを利用しながら自らを正当化し、さらに教主様・真明様、そして私どもいづのめ教区に批判の限りを尽くすことでしょう。
 東方之光・MOAが疑問視し、指摘していることの多くが、教主様お言葉や真明様お話の全貌を拝読すれば理解しうるものであり、その点からもまともに相手にする必要のない文書であります。しかしながら、悪意をもっていづのめ教区の信徒にこのような情報を流してきている以上、私どもとしましては、この文書をもって私どもの見解をお伝えしている次第です。
 いづのめ教区の信徒の中で御教えやお言葉に疑問の声がありましたら、今後執り行います教主様のご巡教等様々な場で、直接教主様にお伺いする機会がございますので、ご安心くださいますよう、お伝えいただきたいと思います。

東方之光・MOAは、様々な高圧的文書を通して、教主様・真明様、そして私どもいづのめ教区に罵詈雑言の限りを浴びせてきていますが、一体MOA活動とはなんなのでしょうか。
 本年8月10日付、「東方之光・MOA役員会」名の主之光教団執行部宛の文書の中に、次のような表現があります。

東方之光・MOAが展開する幅広い活動は、「大日本健康協会発会式御講話」(昭和11年5月15日)のみ教えにおいて、その発会の目的を「例えば、キリスト教、天理教の人などは、観音様というと躊躇する。(中略)今までは救われる門が一つしかなく狭かった。今度はもっと広い、入りいいものが、も一つできたことになる」

MOA活動は、このように明主様が仰ったことを根拠としているので、世界救世教の信仰を根底から変質させようとしているのではない、と弁明しています。
 また、「MOAインターナショナル」のホームページにおいては、明主様を「MOAの創始者」と位置付けていますが、明主様がMOAを創始された事実は当然のことながら一切なく、そもそも明主様は、「MOA」という言葉すらお使いになったことはありません。
 東方之光・MOAは、教主様のお言葉につき、二言目には「御教えのどこにあるのか」と言いますが、「MOA」という言葉が御教えのどこにあるのか、示していただきたいと思います。
 さらに、MOAインターナショナルのホームページには、〝明主様は、大日本観音会を発足されたものの、多くの人が活動に参画できる組織でなければならないという強い信念で、「大日本健康協会」を創立して、それが今のMOAとなった〟旨書かれています。
 語るに落ちるとはまさにこのことでしょう。
 私どもは、1935年1月1日の大日本観音会としてのご立教の日を何より大切にしていますが、彼らは大日本健康協会を重視し、宗教行為をやめて浄化療法に専念されたことが明主様の真実であり、願いであるというのです。明主様のご昇天に至るまでのご事蹟のどこをどのように学べばそのような結論に達するのか、言葉もありません。
 そもそも大日本健康協会が発足した経緯は、『岡田茂吉全集』や明主様の伝記である『東方之光』を読めば一目瞭然ですが、宗教活動を抑圧する官憲の厳しい取り締まりに対処するという目的が背景にあり、明主様が、〝多くの人が活動に参画できる組織でなければならないという強い信念〟から発会されたのではないことは、明主様のその後の歩みを見れば明らかです。
 大日本健康協会は、1936年5月15日に発足しますが、その約ひと月半後の7月28日には、警視庁から療術行為禁止の命令を受けて事実上の解散となります。その後、戦後新たに施行された宗教法人法において信教の自由が確保されるまで、明主様のご活動は極めて制限されることとなりました。
 しかし戦後、ひとたび信教の自由が保障されると、明主様は、1947年8月30日、宗教法人「日本観音教団」を発足されました。
 もし明主様が、大日本健康協会当時の「キリスト教、天理教の人などは、観音様というと躊躇する」というお考えをその後も継続してお持ちであったならば、決して「観音」という文字を新しい組織名にお付けにならなかったでしょうし、ましてや宗教法人になどされなかったはずです。大日本健康協会を発足されたことは、明主様にとって本意ではなく、一時的な措置であったことは火を見るより明らかです。
 『東方之光』には、日本観音教団発足について、次のように書かれています。

「日本観音教団」発足時において改められたのは組織ばかりではなかった。宗教として再出発した教団においては、それまで「治療」と呼ばれていた浄霊は、「お浄め」と呼ばれるようになり、さらにすぐ「浄霊」と改められ、「お守り」は経書きの「光」、「光明」、「大光明」となった。
 また二三年(一九四八年)一月からは、『善言讃詞』が奏上され、「讃歌」の奉唱が行なわれることとなった。久しい間、仮の姿をとって行なわれてきた神業は、ここに名実ともに宗教の形態を整え、その活動にはいった。
 教祖の指示に基づき、「大光明如来」と漢字で書いた神体に向かって、「みろくおおみかみ」と神名を唱えるように改められたのも、この時期のことである。
  (中略)
 こうして指圧浄化療法という民間治療から、「日本観音教団」という宗教法人へと一大飛躍が行なわれたのである。しかし、会員の一部に動揺が起きた。自分の悩みが救われればそれでよいという心の人々は、人類を救い、地上を天国化するという理想を聞かされて、かえって不安を感じた。また、浄霊を療術と考えるにとどまり、その背後に神の存在と、人類を救おうとする神の愛を見出すことのできなかった人々の中には、宗教への飛躍にさいして「だまされた」と受け取る人も多かった。また、知識人の中には、浄霊の偉大さは体験しながらも、それが神の力であると認めることは、自分の信条とする唯物的な世界観と相容れないと考える者もあった。また、自分が新興宗教にかかわりをもつことが世間的な体面にさしさわりがあると思った人々もいたのである。
 こうして「日本浄化療法普及会」の会員のうちから、かなり多くの人々が、「日本観音教団」の発足に伴って離れていったのである。

このように明主様は、会員数が減少することをいとわず、社会に受け入れられやすい浄化療法を捨て、「観音」の名前を冠した宗教法人を発足させて宗教活動に専念されました。
 もちろんその後も宗教形態をお捨てにならず、ご神業の進展に伴って、「日本観音教団」から「世界救世(メシヤ)教」を開教され、その中で、〝観音はメシヤとなった〟と訴えられ、メシヤというお言葉、お名前を非常に大切にされてきた現実があります。
 明主様は、

私が以前から宗教をやりたいと思っても、終戦前はてんでどうする事もできなかった。それで仕方なしに浄化療法という民間療法でやっとやっていた

 『御教え集17号』(昭和二十七年十二月十七日)

その時代には新宗教というのはとてもやかましいので、手も足も出ないので、宗教という事は言えなかったのです。そこで治療ですが、日本浄化療法という民間治療で誤魔化していたのです。(中略)それが終戦になって、よい塩梅(あんばい)に信仰の自由が許されたので、二十二年八月にやっと宗教法人として宗教的にやる事を許され、それから本当の活動を始めたのです

 『御教え集23号』(昭和二十八年六月十六日)

と、浄化療法的あり方ではなく、ご浄霊として、宗教として、ご神業をお進めになりたかった明確なご意思を表現しておられます。
 これらのご事蹟、御教えを見つめさせていただければ、MOAが、宗教法人を発足された明主様の御心を完全に無視した教義違反の思想・活動であることが、はっきり分からせていただけます。
 時代を超えて御教えに貫かれている明主様の御心を求めていらっしゃる教主様のお言葉を、東方之光・MOAは「異質な思想」と断じていますが、実際は、ご本人たちの思想そのものが、明主様の御心を真っ向から否定している「異質な思想」どころではなく、明主様のご事蹟と逆行している団体なのです。
 明主様が浄化療法を取りやめられたことを覆す御教えやご事蹟を彼らが提示できていないことが、その何よりの証左です。
 また、東方之光・MOAが管理している様々な施設などにおいては、極めて不遜なことに、明主様を、単に「岡田茂吉」として呼び捨てで紹介しているところもあります。明主様は、一般社会に対し、ご自分を紹介するのは、「明主様」としていただきたい旨明確にみ教えくださっています。

(明主様を知らない一般大衆の場合に、明主様の御名を申上げる時は何と申したら宜敷いでしょうか)明主様で良い。(一回や二回ではのみ込めない場合がありますので)一回でのみ込めますよ。唯、以前に大先生と言われた時分に、頭にこびりついた人は少しはあるが――明主様で良いですね。岡田先生では変だしね。岡田先生と言うのは世間では沢山居るからね。

(御垂示録2号 昭和二十六年九月八日)

このように、東方之光・MOAは、「岡田茂吉」とすることによって明主様を否定し、「浄化療法」とすることによってご浄霊・御教えを否定し、「MOA」とすることによって、明主様のご事蹟そのものを完全に否定しています。
 東方之光・MOAは、教主様を追放するにあたり、お言葉は御教えと違うことを証明するため、さかんに御教えを引用していましたが、ご自分たちの活動がここまで御教え、ご事蹟を否定している事実はどう考えているのでしょうか。
 今回取り上げました「世界救世教責任役員会」名の8月11日付の文書は、このように締めくくられています。
 (この文書に対して)「回答があった場合には、その内容を皆様にご報告いたします。」
 是非、お願いしたいと思います。この私どもの文書を、東方之光・MOAの信徒に幅広く広報していただければ、いかに、MOA活動が御教え、ご事蹟、ご浄霊を完全否定している非明主様思想であるかがはっきりとしてよいでしょう。
 東方之光・MOAが、御教えは大切だと嘯(うそぶ)き、いづのめ教団小林執行部が、必死になって自分たちは「明主様派」であると主張するならば、彼らには、〝「尾行・盗聴・盗撮」を実行し、容認しても良い〟〝悪事をしても良い〟〝法を犯しても良い〟ということが根拠となる御教えを示していただきたいと思います。そうでなければ、どんなに「御教えだ」、「明主様派だ」と主張しても、それは、「御教え」や「明主様」という言葉を利用しているだけにすぎず、主神・明主様に対するとんでもない不敬でありましょう。

現在、自称包括役員会はホームページを公開していますが、その略年譜からは、明主様のメシヤ降誕の事実が省かれています。
 教主様の、〝教祖である明主様を模範として、私たち一人ひとりもメシヤとして新しく生まれなければならない〟とのご教導を覆す手段がなんらないことの証拠でしょう。
 東方之光・MOAは〝全く新しい信仰とはなにか提示せよ〟とさかんに言っていますが、提示するまでもなく、全く新しい信仰とは、明主様の御教え、ご事蹟すべてを、ありのまま受け止めるだけのことです。
 教祖である明主様をどこまでも求め、明主様を模範として、信徒である私どもも、メシヤとして新しく生まれる道を歩ませていただくだけのことです。そうであるからこそ、明主様は、信徒の私どもに対しても、ご自分がされていた尊いご浄霊のみ業、自然農法、芸術を実践することを許してくださったのです。
 私たちは、教主様を中心に、世界人類を救うという明主様の御心をしっかりと継承し、明主様に倣い、〝全人類が主神の子ども・メシヤとして新しく生まれる〟という真の福音を世界に伝え、人類救済の正道を歩んでまいりたいと思います。

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以下、御教えをいくつか抜粋しました。これらを拝読すれば、東方之光・MOAの原点であり、拠り所としている大日本健康協会の歩みや、浄化療法のようなあり方が、いかに明主様の本意ではなかったかが明確に分からせていただけます。と同時に、明主様は、宗教を隠すのではなく、表に出すことに喜びをもたれていたことがはっきりと伝わってまいります。東方之光・MOAやそのような活動を容認している自称・世界救世教責任役員会やいづのめ教団小林執行部がいかに御教えを語っても、そこに説得力はあり得ません。彼らは、明主様が、「実に空前絶後の真理の解明であり、寸毫の誤りはない」と仰ったことを引用し教主様批判を展開していますが、彼らには、以下の明主様の御教えを読まれた上で、「寸毫の誤りはない」と仰った明主様のお言葉を、ご自分たちのMOA活動、浄化療法に照らし合わせていただきたいと思います。

『御教え集15号』(昭和二十七年十月二十日)

 私の口から言うのは可笑(おか)しいですが、終戦迄(まで)は宗教的な事は何にも出来なかったのです。日本浄化療法という民間療法で漸く仕事をしていたわけです。それが終戦になった為に信教の自由が許されるという様なわけで、宗教的な運動も出来る様になり、今日の様に発展し、“アメリカを救う”という本も出せる様になった。

『御教え集17号』(昭和二十七年十二月十七日)

 中国は、今はそういう宗教宣伝などはできないのです。それは丁度(ちょうど)日本と同じで、私が以前から宗教をやりたいと思っても、終戦前はてんでどうする事もできなかった。それで仕方なしに浄化療法という民間療法でやっとやっていた様な訳で、宗教的な事は全然駄目です。それが終戦と同時に信教の自由が許されるというわけで宗教団体をつくったのです。いずれ中国も、アメリカが日本にしたと同じ様に、大いにアメリカの民主政治が施かれる様になるだろうと思います。そうして信教の自由が許されて、それからが本当の仕事ができるわけです。つまり宗教的の仕事ができるという事になるだろうと思います。

『御教え集23号』(昭和二十八年六月十六日)

 神山荘に初めて越して来たのが昭和十九年五月ですから、まだ十年にはなりません。この五月で此処(ここ)に越して来てから九年というわけです。しかし最初は微々たるもので、おまけにその時代には新宗教というのはとてもやかましいので、手も足も出ないので、宗教という事は言えなかったのです。そこで治療ですが、日本浄化療法という民間治療で誤魔化していたのです。その時分は当局は信仰というものを非常に恐れたのです。ですからどうする事もできなかったのです。(中略)それが終戦になって、よい塩梅(あんばい)に信仰の自由が許されたので、二十二年八月にやっと宗教法人として宗教的にやる事を許され、それから本当の活動を始めたのです。

『本教を認識せよ』(昭和二十五年一月七日)

ここで本教の歴史をかいてみるが、昭和十年一月、大日本観音会の名の下に宗教団体として発足したのであるが当時は頗る微々たるもので信者の数も数十人に過ぎなかった、そうしてこれより先昭和元年頃霊的治療の研究を開始し、特殊の療法を創成し、昭和九年五月民間療法的に創(はじ)めたのが抑々(そもそも)でその翌年一月宗教となり、翌十一年弾圧を受け一年数ケ月浪人生活を続け、昭和十二年秋民間療法専門に再発足したところ、数十人の門弟が出来た為生活の安全を得た事と、当局の取締りがあまりに厳しいので十五年秋廃業する事となった、其後戦争等もあり爾来七年間岡田式浄化療法の名によって技術者養成に専心し、数百人の門弟を造ったのである。
然(しか)るに終戦となるや信教の自由が許されたので、廿二(二十二)年八月宗教法人の許可を受け、此(この)時から表面的宗教活動に移ったのである。

『本教発展の主因』(昭和二十八年九月三十日)

 我救世教が宗教法人として、表面的活動に発足したのが、昭和二十二年八月であった。何しろそれまでは官憲の圧迫が甚だしい為、知っての通り日本浄化療法の名によって、民間療法を営業としてやっていたのである。といっても信仰が伴なわないと病気の治りも悪いので人によっては私の描いた観音様を拝ませていた。これなら昔からある信仰だから差障りがないという訳で、それ程当局は新宗教を嫌ったものである。処が幸いなる哉(かな)世は民主主義となり、信教の自由も許されたので、茲(ここ)に天下晴れて宗教団体として活動が出来るようになった

『御垂示録14号』(昭和二十七年十月一日)

 今ラジオで選挙の様子を聞いていたのですが、大抵有名な人で古い人というのは、勿論当選率が高い様です。岩手県から出た田子一民と言う人は、有名で古い人ですが、私はあの人を二度か三度でしたが、浄霊した事があります。それが七万幾らか集めて、最高点で断然群を抜いてます。処が又面白いのは、鶴見祐輔は落選したのです。むしろ有名なのは鶴見祐輔さんの方が有名かも知れません。で、鶴見祐輔さんも一家皆信仰に入つているのです。先に日本浄化療法の時分ですが、前に一家中教修を受けたのです。処が観音教団になつてからパッと来なくなつたのです。それから可笑(おか)しいと思つて、〈近頃聞いた話ですが〉或人が聞いた処が、“いや宗教になつたから止したんだよ。あれは良いのだが――僕も家中で行つたのだが、宗教になつたから、もう止したんだ”と、斯(こ)ういう話なのです。之(これ)が可笑しいのです。つまり察するに、それは自分が政界や何かに乗出して活躍するには、新宗教というものが障りになるという意味だろうと思うのです。そこで私はどうも感心しないと思つてました。若しメシヤ教が悪いものならそれは隠す必要もありますが、自分が良いと思つたら、新宗教でも旧教でも、ちやんとやるのが本当です。

『ジャーナリストには言論の自由なし』(昭和二十七年三月十九日)

 茲(ここ)で序(ついで)だから、之に関聯(かんれん)のある今一つの事をかいてみるが、それは社会的地位のある人程用心深く、本教信者にも大臣級や博士、有名作家などもいるが、どうも秘密にしたがるので、吾々の方でも秘密を守るようにしているが、時には信仰を止めたのかと思っていると意外にも蔭で熱心にやってる例などもよく聞くが先日も元国務大臣を何回もやった人で、現在政界でも噂に上る程の著名人であるが、此人などは一寸(ちょっと)変っている。それは数年前一家族全部入信した程の熱心家であったのが暫くするとピタリと来なくなって了(しま)った。処が最近分った事は、此人は本教が、以前浄化療法時代に入った人で、其後宗教団体になったからやめたというのである。それで分った事は、政界人としては新宗教の信者になるなどは、大いに名声に影響を及ぼすからであろう。右は一例であるが、そういう人も随分あるようだ。之にみても新宗教は如何(いか)に社会的信用が薄いかが分るのである。
以上の様な種々な障害があり乍(なが)ら、日に月に見らるる如く、発展を遂げつつある事実をみれば、本教の力の如何に偉大なるかが分るであろう。

『浄化甚しい時指圧するあり』(昭和二十四年十月五日)

 “本教団の内で、以前の浄化療法式で人を導いている会があります。浄化がひどい時は治療でなければ助からぬと云い、指圧の許可もとってやるからと云ってすすめております。許可をとれましたら治療をしてもよろしいのでしょうか。御伺い申し上げます。”

逆である。浄化のひどい程浄霊する。

『御光話録12号』(昭和二十四年六月三日)

 “(前略)教導師が患部に体(たい)を用ひず、浄霊のみに依るべき事は承知致し居りますが、患部以外の個所をする時や、或は疲労した程度の人々を致します場合、つい浄化療法時代の魅力が捨て切れず体を併用してゐる者も沢山あります故、失礼とは存じ乍ら御伺ひ申し上げます。”

こりゃあ、違ひますよ。浄霊には絶対体を使っちゃいけない。それぢゃ全然宗教ぢゃない、民間療法になってしまふ。大変な間違ひですよ。

以 上

印刷用PDF:20180827 「明主様、御教え、ご浄霊を完全否定し明主様のご事蹟からも逆行している『MOA活動』とは?」