於:主之光教団本部
皆様、本日は、世界平和祈願祭、並びに、祖霊大祭おめでとうございます。
いづのめ教区の皆様と共に、本日の祭典に臨ませていただけましたこと、そして、皆様にこのように親しくお目にかかることができましたこと、大変嬉しく思っております。
先月の西日本を中心とする大雨により、大きな被害が出ております。
先程は、皆様とご一緒に、復旧復興が順調に進められますよう願わせていただくとともに、大雨により犠牲になられた方々、また、関わりあるすべての方々と共に、赦され、生きたものとして天国に迎え入れてくださいますよう、明主様と共にあるメシヤの御名にあって、主神に委ねさせていただきました。
本年5月1日、いづのめ教区が発足いたしましたが、このことは、皆様の真に明主様のみ心を求められる思いと、多くの困難を乗り越えての勇気ある決断なくしては成し得なかったことと思います。
そして、6月15日、大阪の地において、いづのめ教区としての地上天国祭が、全国のいづのめ教区の信徒の皆様が集われる中で、また、海外の教師の方々も集われる中で、厳粛に執り行われましたが、その時の感動と感激は今も忘れることはできません。
その地上天国祭と前後して、各地において開催された信徒の皆様の集いにお招きいただきましたが、伺う先々で温かく迎えてくださり、そして、お互いが家族であるかのような触れ合いをさせていただくことができました。
私は、明主様が主神を心の底から信頼し、その主神にひたすらお仕えになる思いに触れさせていただきたい、そして、少しでも主神の思いに近づかせていただきたい、と思っております。
私は、この度の皆様との交流を通して、そうした私と思いを共にして歩んでくださろうとする多くの皆様のお姿を目の当たりにし、心からありがたく思わせていただきました。
そして、皆様と私とは、お互いに明主様に結ばれた、切っても切れない関係にあり、いついかなる時も、共に主神の子として新しく生まれるべく養い育てていただいている、と強く感じさせていただきました。
今後とも私は、私が感じさせていただいた、明主様を通して賜る主神の思いを皆様にお伝えし、また、皆様の思いを私の思いとして、明主様を通して主神に取り次がせていただきます。
私どもを取り巻く教団の状況がどんなに変化し、どんなに揺れ動いたとしても、私は、皆様とご一緒に、明主様が指し示された、全く新しい信仰の道を、全く新しい命の道を、大いなる希望をもって進ませていただきます。
さて、誠に畏れ多いことではありますが、私どもの命の親であられる主神の愛は、計り知れないほど広く大きく、また、深い愛であります。
主神は、すべてのものを赦し、天国に迎え入れたいという思いに満ちた方であられます。
この愛をもって、主神は、創造主として、すべてを創造しておられます。
私どもが明主様から、人間一人ひとりは「祖先の綜合体」であると教えられ、また、本日のように祖霊大祭を執り行わせていただいているのも、主神が私どもの中におられる先祖の方々を、私どもと共に、全人類を救うという創造のみ業にお使いくださっているからです。
私どもは、もっとよくなりたい、よくならなければと思って、自分一人で頑張って毎日を生き、自分一人で悩み苦しんだり、怒ったり、悲しんだり、喜んだりし、また、自分一人で神様にお仕えしているように感じられますが、決してそうではありません。
先祖の方々は、主神のみもとにあって、私どもと共に生きておられます。
先祖の方々も、私どもも、決して死んでゆくために生まれてきたのではありません。
主神の創造のみ業にお仕えし、主神の子たるメシヤとして新しく生まれ、永遠に生きるものとなるために生まれてきたのです。
ここで、私が気づかせていただいたことを申し上げたいと思います。
私は、心に現れた思いを主神に委ねるということは、過去の清算をさせていただいている、と思い込んでおりました。
しかしながら、先祖の方々を始め、私どもの今日までの歩みも、今現在の歩みも、実は、主神が未来の創造を成し遂げておられる歩みである、ということに気づかせていただきました。
主神の創造のみ業とは、新しい未来を創造するみ業である、と気づかせていただきました。
その創造のみ業には、未来を造る力、すべてを新しいものに造り替える力が働いております。
未来は、主神の未来です。
私どもは、原因の世界である天国において、主神の未来を持たされて生まれてきました。
私どもは、自分たちにとって都合のよい未来ばかりを考え、主神にとっての未来など考えていなかったように思います。
主神の未来は、私ども全人類を赦し、天国に迎え入れ、ご自身の子とされて、私どもと共に永遠にお住みになるという未来です。
そのために主神は、私どもを一生懸命養い育ててくださるとともに、主神の創造のみ業にお使いくださっているのです。
全人類とその父母先祖の方々を始め、天地万物一切を例外なく、すべてをお使いになって、新しいものに造り替えるという、未来を造る創造をなさっているのです。
このことを、私どもは、まず、喜びをもって認めさせていただきたいと思います。
私どもは、主神の創造のみ旨にお応えすべく、主神に対し、〝わたしを先祖の方々と共に、すべてを新しいものに造り替えるという、未来に向けての創造にお使いくださっているのですね〟とお返事させていただいたほうがよいと思います。
私どもは、自らの真(まこと)のふるさとである天国を忘れ、真の命の親である主神の創造のみ旨を忘れてしまったために、み前に罪あるもののようになっておりました。そして、その罪のゆえに、限りある命、滅ぶべき命に生きざるを得ないものになっておりました。
私どもを愛してくださっている主神は、罪あるもの、滅ぶべきもののようになっていた私どもをメシヤの御名にあって赦し、私どもの中に、生き生きとした命に満ちあふれた、大光明燦然と輝く天国という真(まこと)のふるさとがあることを、明主様を通して告げ知らせてくださいました。
この赦しこそ、明主様がお受けになった「夜昼転換」だったのではないでしょうか。
私は、この夜昼転換は、主神の全人類に対する最大の福音であると思います。
このメシヤの御名にある福音があればこそ、すべてのものは、赦され、救われ、生きたものとされて、天国に立ち返らせていただくことができるのです。
私どもの中には、真のふるさとである天国に立ち返る道、すなわち、メシヤの御名という道が用意されているのです。
明主様は、今から87年前の昭和6年6月15日未明、千葉県の鋸山にお登りになり、夜昼転換の啓示をお受けになりました。
この時の随行者は28名であり、黎明を破って昇る太陽に向かって、明主様を先達(せんだつ)として、一同「天津祝詞」を奏上いたしました。
私どもは、始まりの天国において、明主様に結ばれたものであるならば、この時のご参拝に参列していたのではないでしょうか。
そして、明主様と共に、夜昼転換、すなわち、罪の赦しを自らのうちにお受けしていたのではないでしょうか。
本日の祖霊大祭の三首目の御歌は、「人々よ悔改めて世の峠安く越えなむ備へせよかし」という御歌でありました。
「人々よ」と呼びかけていらっしゃるということは、〝明主様が今のこのわたしに向かっておっしゃってくださっている〟ということではないでしょうか。
この御歌は、私どもに対する警告のような表現になっておりますが、それは、私どもが自らの罪に早く気づいて、悔い改め、〝メシヤの御名にある赦しをお受けします〟と主神に意思表示するように、明主様が促してくださっていると思えてなりません。
また、「備えせよかし」とありますが、主神は、私どもがどんなに罪を犯したとしても、赦しをお受けし、主神のみもとに帰ることができるようにと、あらかじめ、始まりの天国において、私どもの中にメシヤの御名を備えてくださったのです。
主神は、その御名を、明主様を通して私どもに教えてくださったのです。
何という大きく深い主神の愛なのでしょうか。
私どもは、この主神の愛にお応えするために、すべてのものと共に、メシヤの御名にある赦しをお受けし、明主様を先頭に、すべてを新しいものに造り替えるという、未来を創造するみ業に、倦(う)まず弛(たゆ)まず、お仕えさせていただきましょう。
ありがとうございました。