於:インテックス大阪3号館

皆様、本日は秋季大祭おめでとうございます。

誠に畏れ多いことではありますが、唯一の神・主神の創造のみ旨は、ご自身に似た子供をお生みになり、共にお住みになることであります。

そのために、主神は、すべての創造をお始めになる前に、まず天国を用意され、その天国において、ご自身の霊の子を無数にお生みになり、その無数の霊の子である私どもをご自身の一つ体(からだ)とされ、その体をメシヤとされました。

私どもがメシヤの御名を唱えさせていただけるのも、私どもは、メシヤという名の、主神の一つ体であるからです。

私どもの中には、メシヤと名付けられた霊の体が存在しております。

メシヤの御名の中には、主神がおられ、主神の創造のみ旨があります。

全人類を赦し、浄め、救い、甦らせ、主神の子たるメシヤとして新しく生まれさせるという創造のみ旨があります。

主神の創造のみ旨は私どもの中にあり、一人ひとりの中で創造が行われているのです。救いが行われているのです。

私どもは、メシヤと名付けられた一つ体を賜って天国から地上に遣わされ、肉の体と共に、自我意識という固有性を持った‘わたし’という存在にならせていただきました。

地上に遣わされたと申しましても、私どもは天国に属しているのです。

この世でいつどこにいようとも、どのような状態であろうとも、私どもの本質は、明主様のおっしゃる「天国人」なのであります。

私どもが‘わたし’という存在にならせていただいているのは、一人ひとりが主神の子たるメシヤとして新しく生まれるという創造のみ旨にお仕えするためです。

このように、メシヤの御名は、主神の創造にとって大切な御名であります。

その御名は、主神が私どもをご自身の子供とし、私どもと共に住むという創造のみ旨を必ず成し遂げることを私どもに約束する御名でもあります。

私どもは、主神からこの永遠の約束を賜っていることを忘れておりました。

主神は、この約束を思い出してほしい、そして、メシヤの御名にあるものとして天国に立ち返ってきてほしい、と一生懸命私どもに働きかけてくださっています。

私どもは、この約束を天国で賜っていたことを思い出し、すべてを新しいものに造り替えるという、未来を創造するみ業に、すべてのものと共にお使いいただいている、という認識と自覚を持って、天国に立ち返らせていただく務めがあると思います。

だからこそ、明主様は、私どもに対し、「光と栄えを欲するものは来れ」というお言葉を始めとする数々のみ教えやお歌、また、「天国在我心中」(天国我が心中に在り)、あるいは、「地上天国在吾心」(地上天国吾が心に在り)などの御書、そして、ご事蹟や生きざまを通して、私どもの心を主神に向けさせ、早く天国に立ち返ってくるように、と促してくださっているのではないでしょうか。

明主様はメシヤの御名を大変大切にされました。

明主様は、昭和25年(1950年)2月4日に「世界救世(メシヤ)教」を創立され、その「開教の辞」を「救いの力も決定的でなくてはならない、その力こそメシヤの揮(ふる)わせらるる大神力である。嗚呼(ああ)、慶賀すべき時とはなったのである」というお言葉で締めくくられました。

そして、ご自身のことを「明主」と名乗られ、その言霊(ことたま)がメシヤと五十歩、百歩と仰せになりました。

また、従来の「善言讃詞」に「メシヤ」という御名を挿入されました。

イエスを「キリスト」、すなわち、「メシヤ」として仰ぐキリスト教に対しては、メシヤ教はキリスト教と呼応していくこと、あるいは、メシヤ教はよほどキリスト教に近くなること等、イエス・キリストや聖書に関わる数多くのみ教えやお歌をご発表になりました。

そして、最終的に、昭和29年(1954年)6月、明主様は、筆舌に尽くしがたい喜びと驚きをもって、ご自身がメシヤとして新しくお生まれになったことを私どもにお伝えになり、「メシヤ降誕仮祝典」を挙行されました。

私どもは、たとえこの仮祝典に目に見える体としては参列していなくても、私どもの意識の中心には天国が存在しているのですから、天国においてこの仮祝典に参加させていただいていたはずであります。

そして、私どもの中におられる明主様がメシヤとして新しくお生まれになったように、私どもも、主神の子たるメシヤとして新しく生まれるべき養いをお受けしているのであります。私どもの真(まこと)の親は主神なのですから。

私は、最も尊いメシヤの御名を明主様から知らされたことを、皆様と共に感謝し、大いなる畏れをもってこの御名をお受けし、主神をお讃え申し上げたいと思います。
祭典のみ教えは、「天国予言の具体化」でありました。

このみ教えの中で、明主様は、聖書に書かれている「天国は近づけり」ということについて、「天国のみは人間の力で建設するのである」とお説きになり、その「時」は今であり、「建設者」は本教であること、そして、「本教が地上天国を造ることによって、キリストの予言はここに的中する」とお説きになりました。

「天国は近づけり」という意味は、私どもの意識の中心に存在する天国におられる主神が、私どもの自我意識と、自我意識に結ばれたすべてを迎え入れようとして近づいてきてくださっている、と私は受けとめております。

ですから、天国を「人間の力で建設する」という意味は、私どもを天国に迎え入れようと臨んできておられる主神のみ心にお応えし、私どもが自ら進んで天国に立ち返ることを意思表示すること、そして、私どもの自我意識が元々天国で持たされていた意識と一つになって、主神の子たるメシヤとして新しく生まれ、主神と共に天国に住まわせていただくこと、すなわち、〝自らの意識の中心に地上天国を建設する〟ということであると思います。

だからこそ、明主様は、「地上天国を造ることによって、キリストの予言はここに的中する」とお説きになったのではないでしょうか。

「予言」ということは、天国において、予(あらかじ)め主神からお預かりした言葉、すなわち、主神のみ旨であります。

イエス・キリストと明主様とが、明主様がエホバとお呼びになった主神からお預かりになった言葉は、同じ一つの言葉です。同じ一つのみ旨です。

それは、主神が私ども全人類をご自身の子供とするという言葉であり、み旨であります。

私は、明主様は、天国において、イエス・キリストと共に、そのみ旨をご一緒に受けておられたのではないかと思えてならないのです。

そうであるならば、私どもも、私どもの本質は天国に存在するのですから、明主様と共に、イエスと共に、そのみ旨をお受けしていたのではないでしょうか。

私どもは、そのみ旨を成し遂げる御用にお仕えするためにいるのではないでしょうか。

私は、明主様が「時は今であり」「建設者は本教である」とお述べになったということは、み旨が成し遂げられるために天国に立ち返らなければ、と気づかせていただいた者にとってのその時が「今」であり、「本教」ということは、私ども信徒一人ひとり、すなわち、自分自身であるという自覚を持つ必要があると思います。

イエスは、約二千年前、主神のみ旨をないがしろにしていた私ども全人類の罪を贖(あがな)うために十字架に上がられ、主神の赦しを乞い、死人の中から甦り、復活されました。

イエスは、全人類の罪の贖いのために仕えられただけではなく、主神の子として新しくお生まれになったからこそ、復活を果たされた、と私は信じております。

イエスは、キリストとして、すなわち、メシヤとしての使命を全うされました。

そのイエスの言葉に、「だれでも新しく生まれなければ、神の国を見ることはできない」という言葉があります。

しかしながら、その後、イエスのみがキリスト、すなわち、メシヤとされ、イエスが説かれた「新しく生まれる」ことの意味が明らかになることはありませんでした。

そして、イエスの時代から約二千年を経た今、明主様は、「新しく生まれる」こととともに、「メシヤが生まれた」ことをご発表になり、「メシヤ降誕仮祝典」を挙行されました。

このことは、主神が明主様を通して私どもに対し、全人類は等しく、主神の赦しをお受けし、主神の子たるメシヤとして新しく生まれることが定められていることをお示しくださった、と私は受けとめております。

主神は、イエスを地上にお遣わしになった目的を真に達成させるために、明主様をお遣わしくださった、とどうしても私は思わざるを得ないのであります。

私は、この福音を皆様と共に、そして、すべてのものと共にお受けし、主神に心からなる感謝を捧げさせていただきます。

先程、私は、明主様が昭和25年(1950年)に「世界救世(メシヤ)教」を創立されたことを申し上げましたが、その「開教の辞 世界救世(メシヤ)教の誕生について」の中で、明主様は、「時期切迫のためどうしても一大飛躍によって全人類を救わなければならない、とすれば世界的に拡充する必要がある、世界救世(メシヤ)教の名による所以(ゆえん)である」とお述べになりました。

私は、明主様が「世界救世(メシヤ)教」を開教してくださったからこそ、明主様の全く新しい救いを全世界にお伝えしていく先駆けとして、この度の真明のドイツ出向が実現に至ったと感じております。

明主様がお示しくださった全く新しい救いは、何よりもまず、私ども自身の救いであります。

それは同時に、全人類とその父母先祖を始めとする過去のすべての歩みに対する救いであり、また、未来に向けての救いであります。

その救いの源は、主神とメシヤの御名であります。

主神は、天国の門を開いてくださり、元々私どもが天国で賜っていた主神の教えを明主様を通して思い出させてくださいました。

明主様と共におられる主神は、「世界救世(メシヤ)教」を私どもの中で誕生させてくださっていたのです。

今、それを認めさせていただく時です。

この「開教の辞」の中で、明主様は、「吾らの唱導する地上天国こそ最後の目標でなければならない」とみ教えくださいました。

私どもは、主神の創造のみ旨にお応えするために、主神の子たるメシヤとして新しく生まれ、主神と共に天国に住まわせていただくこと、すなわち、〝自らの意識の中心に地上天国を建設する〟ことを目標に定め、明主様がお示しくださった新しい段階の救いのみ業に、すべてのものと共にお仕えさせていただきましょう。

ありがとうございました。

◆印刷用PDF:2018.10.08 秋季大祭教主様お言葉(最終)

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