御歌
人間を造りし神は人間を養(やしの)ふ糧(かて)を造らざらめや
罪深き此身(この み)も尤(とが)め給はずて大いなる幸豊(ゆた)に恵まふ
御恵の万分一に届かねど誠のしるし受けさせ給へ
聖言
自然農法の原理
この原理を説くに当たって徹底的に分からせるためには、どうしても既成科学の頭脳では無理であるから、私が神示によって知り得た唯心科学をもって説くつもりである。したがって最初は相当難解であるかも知れないが、熟読玩味するに従い、必ず理解されるはずである。もしそうでないとしたら、それは科学迷信に囚われているからで、これに気づけばいいのである。*
ではこれから土の本質に向かって神霊科学のメスを入れてみるが、その前に知っておかねばならないことは土本来の意義である。そもそも太初造物主が人間を造るや、人間を養うに足るだけの食物を生産すべく造られたものが土であるから、それに種子を播けば芽を出し、茎、葉、花、実というように漸次発育して、めでたく稔りの秋を迎えることになるのである。してみればこの米を生産する土こそ実にすばらしい技術者であり、大いに優遇すべきが本当ではなかろうか。勿論これが自然力であるから、この研究こそ科学の課題でなくてはならないはずである。ところが科学はとんでもない見当違いをした。それが自然力よりも人為力に頼りすぎた誤りである。
ではこの自然力とは何であるかというと、これこそ日、月、土、すなわち火素、水素、土素の融合によって発生したXすなわち自然力である。そうしてこの地球の中心は、人も知るごとく火の塊であって、これが地熱の発生原である。この地熱の精が地殻を透して成層圏までの空間を充填(じゅうてん)しており、この精にも霊と体の二面があって体の方は科学でいう窒素であり、霊の方は未発見である。それとともに、太陽から放射される精が火素で、これにも霊と体があり、体は光と熱であり、霊は未発見である。また月から放射される精は水素で、体はあらゆる水であり、霊は未発見である。というようにこの三者の未発見である霊が抱合一体となって生まれたものがXである。これによって一切万有は生成化育されるのであって、このXこそ無にして有であり、万物の生命力の根源でもある。したがって農作物の生育といえどもこの力によるのであるから、この力こそ無限の肥料である。故にこれを認めて土を愛し、土を尊重してこそ、その性能は驚くほど強化されるので、これが真の農法であって、これ以外に農法はあり得ないのである。*
『天国の礎』社会 救世自然農法(昭和二十九年一月二十七日)
*祭典用に一部省略しております。