オーストラリアへご出向中の真明様は、12月3日、第一次世界大戦の記念碑があるアンザック戦争記念館やシドニー・セント・メアリー大聖堂を見学し、世界遺産のオペラハウス周辺をご散策。その後メルボルンへ移動し、翌4日には、メルボルン浄霊センターで主之光教団の専従者やいづのめ教区スタッフとの懇談会を持たれました。
続いて、スリランカ人信徒らが集う中「おひかり拝受式並びに新リーフレット下付式」が行われました。真明様は2人の新規入信者に「おひかり」をご親授になり、オラシオ教会長の挨拶の後、布教用リーフレット「Who we are」を教会長に下付されました。
真明様はご挨拶の中で、明主様が1935年に観音という御名を冠した大日本観音会を発会され、戦前から戦中にかけて宗教活動を規制されたものの、戦後に信教の自由が保障されると1947年に日本観音教団を発足されたことに触れられました。1948年には、日本観音教団の分会の一つを日本五六七教として発足され、1950年に、日本観音教団と日本五六七教を解散させ、メシヤの御名を冠した世界メシヤ教を創立されたことをお話しされました。
真明様はさらに「最初、観音様は仮面をしていましたが、その仮面を脱がれると、弥勒の仮面が現れました。そして弥勒の仮面を脱がれると、真のお顔が現れました。真のお顔とは、メシヤです。明主様は1955年にご昇天されましたが、それまでの約5年の間、世界メシヤ教の名前を変えることはなくご聖業をお進めになりました。しかし世界メシヤ教の名前は、明主様のご昇天から約2年後に世界救世教と改名され、メシヤの御名は公には出されなくなりました。教主様は、明主様がされていたことを復活させることが必要であると感じられていると思います。なぜならば、明主様がメシヤの御名をお使いになることを望まれていたことは明らかだからです。観音様が弥勒となられ、メシヤとなられたという明主様の進化は、教主様にとって、また、私たち信徒全員にとって、非常に重要なことです。もちろん、直ちにメシヤの御名を受け入れることができない人々もいます。しかし、私は時が来たと思います。明主様がされたことを本当に受け入れなければならないと思います」などと述べられました。
その後、センターで夕食懇親会が行われ、真明様は信徒と親しく交流されました。
翌日5日、真明様は母校のメルボルン大学を14年ぶりにご訪問。思い出の校舎を散策されました。その後、メルボルン市内にあるMulticultural Hubで、ブラジル人信徒らが集まる中、「新リーフレット下付式」が執り行われました。はじめに、真明様の先達のもと、全員で天津祝詞を奏上し、「光のお言葉」「誓いの言葉」「祈りの言葉」を唱和しました。真明様からご浄霊をいただいた後、真明様がオラシオ教会長にリーフレット「Who we are」をご下付。続いて信徒が代表して決意発表を行いました。
教会長の挨拶の後、真明様が挨拶に立たれ、メシヤの御名に込められた意味と、世界救世教信徒として果たすべき使命について語られました。その後、信徒と握手やハグをして信徒からの話に耳を傾けられるなど、長時間にわたって交流されました。
翌6日、真明様はメルボルン市内を観光した後、空港へご移動。オーストラリアご出向の全日程を終えられ、帰国の途に就かれました。
今回のご出向はオーストラリア信徒にとって、明主様の真の願いに目覚め、明主様に倣い、主神の子ども・メシヤとして新しく生まれる道を歩む、大きな一歩となりました。