2018年12月28日
専従者 各位
世界救世教主之光教団
いづのめ教区代表 白澤 道夫
「通達」について
皆様におかれましては、明主様と共にあるメシヤの御名にあって、どこまでも教主様と一つ心に日々のご神業奉仕に取り組んでくださっておりますこと、心より感謝申し上げます。
添付してあります本年12月28日付文書「通達」にありますように、自称・世界救世教責任役員会(不正役員会)は、いまだに私どものもとへ、わざわざ、教主様、真明様、そして、私どもを批判する文書を連日のように届けてきております。今後も様々な文書を持参し、また、あらゆる手段を使って、拡散してくるものと想像されますが、私どもいづのめ教区の姿勢は、今も、今後も、「通達」に示した通りであります。
彼らが「教義違反」と主張している教主様のご教導や真明様のお話を、また、「世界救世教から離脱した」と主張している私どもの活動を、こと細かく分析していることに、彼らの姿勢の矛盾が現れております。なぜ彼らにとっては「離脱教団」である私どもの見解をここまで執拗に求めてくるのか、その姿は、哀れとしかいいようがありません。本心では、私どもの活動に参画したいのかもしれません。教主様のご教導を求めてやまないのかもしれません。
「通達」文書を長澤好之氏の手にわたるよう届けた直後、彼らは、またすかさず別の文書を私どものもとに持参してきました。その中で、不正役員会は、次のように述べています。
「平道成 陽一」氏の出現で、主之光教団及びいづのめ教区の内部に、かなりの動揺が広がっているようです。
そこで、この不信と動揺を鎮め、「すっきり」させるために、10月7日、これらの役員・幹部が集い、教主補佐と称する岡田真明氏の「教導」を受けたようです。
そして、その教導の趣旨の徹底を図るための資料が、私どもの手元に届きました。
その内容に、大変驚きました。
そこで今回は、この真明氏の「教導の姿勢」と「発言の間違い」を指摘し、貴殿らの見解を求めることにしました。
尚、この書面は、先ずは貴殿らにお届けし、その後、貴殿らの見解を受け次第、その見解と私どもの見解をあわせて、全国に配布する予定にしています。
開いた口が塞がらないとはこのことでしょうか。残りの文章も、失礼な表現になってしまいますが、思わず失笑してしまうような内容です。よくここまで曲解、捏造、論理矛盾に満ちた文章を作成できるものだと、驚くばかりです。
何より、不正役員会にとっては信徒でもない真明様のお話を、彼らはわざわざ入手し、勉強しているのです。そして、離脱教団とみなしている私どもの見解を、「全国に配布」しようとしているのです。常軌を逸している彼らの行動は、さらにエスカレートしているように見受けられます。
彼らには、彼らの曲解した見解ではなく、真明様のお話の文書を、そのまま信徒に流す勇気をもっていただきたいと思いますが、それを望むのは無理なことなのでしょう。
本日届けられた彼らの文書の題は「「平道成 陽一」氏に関する岡田家の姿勢について」とあり、不正役員会は、ここに至ってついに、「岡田家の姿勢」そのものを否定し、非難し尽しています。
「岡田茂吉」という名前をお持ちで、岡田家の一員であられた明主様、そしてその直系のご子孫であられる岡田陽一教主様と岡田真明様を含めた「岡田家そのものがおかしい」と主張し始めた彼らは一体全体どこに向かおうというのでしょうか。今後彼らは、どのように明主様信仰を続けていこうというのでしょうか。
彼らは、教主様がキリスト教におついて学んでいることを、まるで悪魔の所業のように書き立て、私どもがそれを信徒から必死に隠していると信じ込んでいます。そう思い込んでいます。世界に20億人はいるといわれるキリスト教徒にも申し訳ないことです。
私は、教主様がそのような学びをしてくださっていることを、これ以上なくありがたく思っております。そして、多くの信徒も同様の思いであることは、信徒の皆様のお姿から見て明らかですが、不正役員会は、その事実を見ようとせず、認めようとせず、自分たちの理解が唯一絶対無二のものであると信じきっているようです。
明主様のご家族が、キリスト教や聖書から学ぶことが大切だと思われているのは、明主様の、ご自身のご家族に対する薫陶があったからであろうことは容易に想像できます。
明主様が、ご自身のご家族に対し、「キリスト教のことをしっかり学びなさい」と言われていた事実がもしあったとしたら、不正役員会の面々はどうするのでしょうか。ヘンデルのメサイアを擦切るほどに聞かれていた明主様のお側にいらした、明主様ご家族だけにしか伝わっていない事実も当然あるのでしょう。
そのようなことは、私どもが詮索することではありません。明主様を大切に思うが故に、明主様のご家族と、そこに流れている明主様のみ心をどこまでも真摯に、素直にお受けできる私どもでありたいと思っております。「岡田家」そのものがおかしいと断定している不正役員会の方々にとって、このような気持ちを理解するのは不可能なのでしょう。
明主様は、『優しさと奥床しさ』の御教えの中で、次のように私どもをお諭(さと)しくださっています。
およそ現代の人間を観るとき、最も欠除しているものは、優しさと奥床しさであろう。(略)どこを見ても人に対しアラ探し、憎悪、咎(とが)めだて等まことに醜いことが目につく、特に現代人の奥床しさなどなさすぎるといっていい。なにごとも利己一点張りで露呈(ろてい)的で理屈がましく、人から嫌われることなどあまり気にかけないのは、自由主義が行き過ぎ我儘(わがまま)主義になったと見るほかはない。最も見苦しいのは、他人のこととなると暴露(ばくろ)的で、排斥主義で、人情の薄いことはなはだしい。このような人間が殖えるから社会は暗く、冷たく人生の悲観者がますます殖えるというわけで、近来自殺者の多いのもこんなところに原因があるのではなかろうか。故(ゆえ)に真の文化社会とは、英国の紳士道や米国の博愛主義のごときを奉ずる人々が殖え、社会道義がよく行われることによって気持ちのよい住みよい社会が生まれるのである。そうなった社会こそこの世の天国としたら、天国はまことに手近いところにあるのである。
とみ教えくださっております。
明主様は、「最も見苦しい」のは、「他人のこととなると暴露的で、排斥主義で、人情の薄いこと」であると述べておられます。まさに、「尾行・盗聴・盗撮」を実行、容認している不正役員会のことでしょう。
さらに、彼らは教主様と真明様を畏れ多くも「裁き」、不正な手段で教団から「追放」したと主張していますが、明主様は『人を裁く勿(なか)れ』の御教えで次のように述べられています。
アノ人は善いとか悪いとかの批判をしたり、酷(ひど)いのになると、アノ人には邪神が憑(つ)いているから、気をつけろなどという人があるが、これこそ大変な間違いであって、人を邪神という人こそ、実はご自分に邪神が憑いているのである。なぜなれば人間が人間に対して、善悪正邪など分かるものではない。というのはこれこそ神様の領分に属するからである。だからそういう人は人間の分際で神様の地位を侵しているようなものだから、とんでもない慢心脱線である。
したがってこういう人こそ、邪神と見て間違いはないので、大いに注意すべきである。勿論そういう人は本当に神様を信じていないからで、よくあの人の信仰は間違っているとか、あの教会のやり方は悪いから改革せねばならぬなどと、真面目臭っていうが、もし信者のなかで本当に悪い人があるとすれば、神様はチャンと裁いて下さるから神様にお委せしていればいいので、少しも人間の心配など要(い)らないのである。それが信じられないとしたら、その人こそ神様よりも人間の力の方を信ずるのだから、これほどの慢心取り違いはあるまい。
不正役員会の姿を、明主様が明快にお示しになっている御教えです。彼らはこれらの御教えを読んだことがあるのでしょうか。
彼らは、ことあるごとに「明主様に帰一する」と訴えていますが、彼らに果たしてそのつもりがあるのかどうか、はなはだ疑わしい限りです。信徒に対し、「不正役員会に帰一する」よう求めているとしか感じられません。明主様利用の究極の姿と思えてなりません。
明主様の御教えは、実践してこそ生きてくるものと拝察しております。不正役員会の面々は、尾行等の行為を実行、容認している時点で、明主様の、『優しさと奥床しさ』をはじめとする「利他愛」の御教えを否定し、また、「地上天国建設」の精神からもかけ離れていると断ぜざるを得ません。誠に残念なことです。
私どもは、メシヤの御名にすべてを結ぶ、明主様が真に願われた地上天国建設・人類救済の道を閉ざすわけにはまいりません。不正役員会のありようを見るにつけ、明主様は、地上天国建設・人類救済の使命を私どもに託してくださっているのではないかと思えてならないのであります。
また、心しなければならないのは、不正役員会の姿勢について、私どもは、決して責めたり、裁いたりするべきではない、ということです。明主様からは「最も見苦しい」と断ぜられた不正役員会の姿は、すなわち私ども自身の神様に対する不敬、傲慢さ、無知の現れであると受け止めるべきと考えます。私ども一同、明主様と共にあるメシヤの御名にあって、彼らの姿を、私ども自身の姿として主神にお委ねさせていただきたいと思います。
このようにして、どこまでも教主様のご教導を通して伝えられる明主様の御教えの実践に努め、残り少なくなった今年の日々を過ごさせていただき、来年ますます加速度的に進展していく教主様中心のご神業に、精一杯お仕えさせていただきたく思いますので、よろしくお願い申し上げます。
以 上
印刷用PDF:20181228_「通達」について