教主様とまゆみ奥様、真明様は11月21日~25日にかけて西日本地区の四国、中国、九州をご巡教され、各地で開催された「信徒の集い」や夕食懇親会などにご臨席されました。

【四国】

11月21日、ご一行は愛媛県宇和島市へ向かわれる道中、西伊予の野福峠に寄られ、7月の西日本豪雨で被災した地域を見渡せる場所で、亡くなられた多くの御霊や被災された方々に思いを寄せられ、次のお言葉をもって主神に祈りを捧げられました。

「7月の豪雨による水害によってお亡くなりになった方々は、万物と共に、地上での御用を全うされ、私どもと共に、赦され、生き生きと生きたものとされて、共に養い育てられながら、主神の創造のみ旨の成し遂げられる御用にお使いいただいております、と認めさせていただきます。水害、またあらゆる災害により、犠牲あるいは被害に遭われた方々をはじめ、全人類とその父母先祖の方々と共に、万物と共に、天国に立ち返らせていただきますので、み旨の成し遂げられる御用にお使いください。お仕えさせていただきます。このみ恵みがすべてのものに分け与えられますように、明主様と共にあるメシヤの御名にあって、主神に委ねます。吐く息、吸う息、吸う息、吐く息の内にこの思いを定めましたので、そのごとくお使いください」

続いて、教主様の先達のもと、一同で善言讃詞を奏上しました。その後ご一行は、豪雨で甚大な被害を受けた宇和島市吉田町を視察されたのち、宇和島教会信徒との夕食懇親会にご出席。信徒からの様々な質問に答えられ、親しく交流されました。

22日には、「教主様と共に歩む信徒の集い」が、宇和島市内の「やすらぎの里」で開催され、宇和島教会の信徒約200人が参集。前日の天気予報では雨が予想されていたものの、当日の明け方頃には降り止み、一転快晴に。歴代教主様として初めてご巡教くださる教主様を、好天の中お迎えできるとあって、長年にわたり宇和島へのご巡教を願っていた信徒たちの顔には明るい表情が浮かんでいました。

教主様は、質疑応答において、次のようにお言葉を述べられました。

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[質問]

介護の仕事をしている関係で、患者さんの死をよく目の当たりにします。これから霊界に帰られようとされている方にどのような想念を持たせていただいたらよろしいですか。

[教主様お言葉](一部)

あなたのために全部が用意されているんですよね。介護施設の方々も、嫌な人も、好きな人も、全部。神様は、あなたをご自身の子どもとするということを決めて、周りの環境を総動員して養い育ててくださっているんですよね。

だから常に、“この介護している方々や触れ合う方々と共に天国に立ち返らせていただきます”、ということを思いをもって接しさせていただいて、すべてが自分自身が神様の子どもとならせていただくための大切な養いということと受け止めたほうがいいと思います。

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また、真明様も「私たちを含めたこれからの世代が本当の世界布教に向かわせていただくにあたり、(真明様がドイツや韓国の青年と触れ合われて)どのような感覚を持たれたのでしょうか」との質問に対して、以下のようにお答えくださいました。

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今までの布教とか、世界布教ということとちょっと変わってくるのかなと思います。今まではその国に合わせたあり方にしないといけないということがあったんですけれども、今は我々が目指している方向というのははっきりしておりますので、そういう意味においては本当に、時がきたと。

教主様が先程引用してくださった明主様の御歌「大いなるメシヤの光外国(とつくに)に輝き初(そ)むる時となりぬる」にあるように、メシヤの御名を待っている方々がたくさんいらっしゃって、老いも若きも、日本人も外国人も、国境や人種すべてを超えて、明主様が残された真実を共有して、喜びにあふれた世界をつくっていくという時に立たされた我々であると思います。

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集いの終了後、教主様ご一行が多くの信徒に見送られながら松山市へ向かわれると、それまで我慢していたかのように突然小雨が降り始め、同時に大きな虹が会場付近に出現。教主様の宇和島ご巡教を祝うかのような天候の変化に、信徒たちは驚きと喜びの声を口にしていました。

その夜、ご一行は松山市内で夕食懇親会にご臨席され、松山教会をはじめ各地から集った信徒と談笑されたり、質問に答えられたりし、和やかなひとときを過ごされました。

23日には、主之光教団松山布教所で「おひかり拝受式」並びに「教主様と思いを共にする信徒の集い」が開催され、主之光教団の信徒を含む約400人が参集。教主様は、信徒からの質問に次のようにお答えになりました。

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[質問]

教主様はどのようなことを大切に子育てされておられたのでしょうか。

[教主様お言葉](一部)

私自身の子育てがどうだったかとのお尋ねですよね(笑)。

これが子育てだという意識はありませんでした。一生懸命、ただただ状況に合わせてさせていただいただけですよね。必要だと思ったことはしましたし、助けたり、手伝ったりもしました。だんだん大きくなってきたら、あんまりこうしなさいということは言わなかったような気がしますね。やはり子どもが、自分で「したい」ということは大体させていたと思います。あんまりどんどん指示してしまうと本人は責任を取らなくていいことになってしまいますからね。やはり、責任を取ることもしないといけないと思いました。こうしたかったのに親から反対されたからできなかった、とならないように。自分で失敗したりうまくいったりしたりするほうが良いかなというのは途中から思いましたね。

ただね、それはあるんですけど、結局、私たちが明主様から教えられていることから考えますと、すべて、我々が子どもも大人もすべての人が神様の子どもとして、神様によって子育てをされているんですよね。今、新しく生まれさせるという、胎教みたいなものですかね、それをみな受けているわけですね。だからまだへその緒がつながっているんですよね、神様の。まだまだ、一生懸命養い育ててくださっている。本当の親に我々が気づくまでね。ずっと待っていらっしゃるんですよね。

ですから、私たちに与えられた環境そのものが、子どもも含めて私自身を神様の子どもとしてくださるために用意してくださったということになりますよね。そのためにすべてを用意してくださっているんですから、あなたにとってはあなたの旦那さんも子どもも全部そのために必要な方々ですよね。

お子さんもあなた自身を新しく生まれさせるために用意してくださった、大切な神様の子どもですよね。ともに養い育ててくださっているということがどこかあるといいなと思います。

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教主様ご一行はこの日、四国でのご日程を終え広島へ移動されました。

【広島】

11月23日、ご一行は愛媛県松山市からフェリーに乗り込み瀬戸内海を渡って広島市へとご移動されました。夕暮れ時の島々や煌々と海上を照らす月を眺めながらの船旅となりました。広島市に上陸されたご一行はそのまま夕食懇親会にご臨席され、中国地方各地から集まった信徒と談笑されたり、質問に答えられたりし、和やかなひとときを過ごされました。

24日には、広島ガーデンパレスで「おひかり拝受式」並びに「教主様と思いを共にする信徒の集い」が開催され、約300人が参集。教主様は、信徒からの質問に次のようにお答えになりました。

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[質問]

病気(糖尿病)を抱えていますが、浄化に対する教主様のお言葉を実践しています。浄霊によって、お委ねによって、病貧争は解決していくのでしょうか。

[教主様お言葉](一部)

我々がわきまえていなければいけないのは、我々は、病貧争という形が現象として現れてくる前の世界にいたんですね。病貧争絶無の世界と明主様はおっしゃっています。その、病貧争絶無の世界から我々は来てるわけなんですね。そこは天国ですね。

天国というその世界が私たち一人ひとりに中にあると、自分の中にあると、病貧争のない世界から来たんだと、ここを認めさせていただくことが大切だなと思います。

明主様の御歌に、「待ち侘びし天国楽土は我等住む此地の上に打ち樹つるなり」。待ちわびている天国とは、我らが住んでいるこの地の上に打ちたてるんだよと。これは、普通、我々としては、天国を待ち望む形になりますよね、どうしても。でも本当はその天国楽土から我々来てるわけですから、この御歌を読ませていただく時に、まず、私自身がが天国から来たんだと、病貧争のない世界からここに来させていただいているんだ、ということを認めさせていただく。それが、「打ち樹てる」ということになるんです。

もちろん現実にこういう世界を造っていくことは神様がなさる。そして我々はそれに使われているわけですよね。というように、そのような業に使われるわけですから、まず、自分自身がそういうところから来た存在であることを認めると。

明主様は、いつもおっしゃっていますよ、まず天国に帰って天国人になりなさいと。ということは、自分の中に天国があるということですよね。だからまずそれを認めて、そのことを神様に奉告すると。

そうすると「霊主体従の法則」ですから、天国にある病貧争がない調和ある世界がこの地上にも映し出されて、だんだんこの地上も調和あるものにならせていただけるのだと思います。どうしても地上「だけ」でやろうとすると難しいですよ。

(中略)

明主様は昭和29年6月5日、脳溢血で倒れられた後、幹部の方々に対して、「メシヤが生まれた」「新しく生まれる」ということを仰せになった。そのときのお言葉の中で「言葉だけではなく事実がそうなんです」。事実とおっしゃっているんですね。そして、「今度のことについては、もう奇蹟っていうどころじゃない、奇蹟以上の奇蹟」っておっしゃっているんですね。

奇蹟以上の奇蹟、ということですが、奇蹟について我々は「現当利益」という言葉を使いますよね。だから明主様は、最終的に、本当のご利益、本当の現当利益とは何かを我々にお示しくださったんじゃないですかね。

最初は分かりやすい形で、病気が治ったり、いろいろすることで教えてくださいました。でも明主様はその後、脳溢血という症状が完全に治らないまま、その次の年にご昇天になりましたよね。医学的には奇蹟が現れなかったということになってしまいますよね。でも、脳溢血が治っていなくても、このことは、明主様にとっては奇蹟以上の奇蹟だったんですよね。というふうにおっしゃった明主様の思いをどう我々が受け止めるかを考える必要があるなと思います。

糖尿病はおつらいでしょうけれども、多くの方々と共に、バランスの良い体はもともと持たされているんですね。神様の体はいただいている、中側にね。だから、実は、我々は今もどんどん成長してるんです。新しく生まれるためにどんどんどんどん成長している。胎教とか言いますけど、胎内で色々育てられて、教えられてお母さんのお腹から出ることができるように、今、我々は神様の体の中で育てられているんですよ。だから、まだ、へその緒は続いているんです。そして、「やっと気がついたか」と神様に言っていただけたら、神様の子供としての独り立ちの時期ですよね。それこそ、神様の子供とならせていただいて、神様と会話ができるようにならせていただけるわけです。だから、糖尿病も含めた様々な病気も、そのために、何かどうしても必要だからだと思うんですね。

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教主様ご一行はこの日、広島でのご日程を終え北九州へ移動されました。

【北九州】

11月24日、広島での信徒の集いの余韻冷めやらぬうちにご一行は広島駅から新幹線に乗り込み北九州市に向かわれました。関門海峡を窓外に見据える会場で夕食懇親会にご臨席され、九州地方各地から集まった信徒と談笑されたり、質問に答えられたりし、和やかなひとときを過ごされました。
25日には、ソレイユホールで「おひかり拝受式」並びに「教主様と思いを共にする信徒の集い」が開催され、九州各地から約1000人が参集。教主様のお言葉、教主様・真明様と信徒との質疑応答、そして参列者全員で「家路」を斉唱。最後に、教主様とまゆみ奥様、真明様は、参加者全員と握手をされ、1時間以上も、信徒との交流の時間を持たれました。
教主様とまゆみ奥様は、この日、西日本地区ご巡教のすべてのご日程を終えられて熱海にお戻りになられました。

11月25日、北九州に残られた真明様は、西日本地区の青年担当者との夕食懇親会にご臨席され、年齢の近い若手専従者と共に、熱のこもったお話合いをされました。

26日には、北九州国際会議場で「真明様と西日本地区専従者との懇談会」が開催され、真明様は率直な今の思いをお話になりました。特に、「専従者とはどうあるべきか」「救いの御用にお使いいただくとはどういうことか」「明主様の信徒となるとはどういうことか」等について、気迫と情熱をもってお話されました。

懇談会の終了後、真明様は専従者たちのお見送りを受けられながら熱海へ帰られ、3日後の29日には、オーストラリアへご出向されました。

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