皆様、新年あけましておめでとうございます。

そして、本日は、新年祭、並びに、立教記念祭おめでとうございます。

限りない愛と恵みという権威をお持ちであられる主神によって、ゆるされ、生きたものとして導かれている中で、私どもは、大いなる希望に満ちた、輝かしい年の始めを迎えることができました。

ここに、私ども一同で、主神と共におられる明主様に対し、〝明主様、あけましておめでとうございます〟と、新年のご挨拶をさせていただきましょう。

〝明主様、あけましておめでとうございます〟

明主様は、今から八十四年前、昭和十(一九三五)年一月一日、本教をご立教になりました。

それに先立って、昭和六(一九三一)年六月十五日未明、明主様は、随行者二十八名と共に千葉県の鋸山のこぎりやまにお登りになり、黎明れいめいを破って昇る太陽に向かい、ご自身が先達せんだつとなられて、一同で「天津祝詞」を奏上いたしました。

このご参拝について、明主様は、お歌に、「くもいづる天津日光あまつひかげおろがみて一行いっこうつつしみ祝詞のりとそうしぬ」とお詠みになっておられます。

そして、この時受けられた啓示けいじのことを、「霊界の夜昼転換の啓示」と仰せになりました。

私は、この夜昼転換の啓示は、明主様がご立教への決意を固められる上での決定的な出来事であったと思います。

それだけではなく、この啓示は、明主様のみ心の中に深く刻まれ、その後のあらゆるご神業をお進めになる上での前提となっており、数々のみ教えの中で核心をなすものと申しても過言ではありません。

啓示を受けられてから二十年近くを経た、昭和二十五(一九五〇)年二月四日、明主様は、世界救世(メシヤ)教創立出現の重大な意義について、「霊界における夜昼転換の時期にいよいよ入ったからである」と強調しておられます。

また、昭和二十六(一九五一)年六月十五日の祭典の折にも、「昭和六年六月十五しょうわむとしむつきじゅうご此佳このよいとひそやかに岩戸開いわとひらけぬ」というお歌をお詠みになり、改めて、この啓示の意義を確認しておられます。

私ども全人類は、まことの命の親である主神を知らず、その無知のゆえに、神の願いよりも人間の願いを優先し、人間のために神を利用し、無明暗黒むみょうあんこくと言われる夜の世界の中に自らを閉じ込めておりました。

そうした私どもの罪を、主神は、その限りない愛によって赦し、今日までの心の営みにピリオドを打ち、私どもを夜の世界から解放してくださいました。

そして、私どもを大光明燦然さんぜんと輝く昼の世界に迎え入れ、私どもが自らの罪に気づき、悔い改めて、主神の赦しをお受けすることができるようにしてくださいました。

このように、夜昼転換は、主神にとって最も大切なみ業であるからこそ、私ども一人ひとりにとって、想像することさえできなかった赦しであり、恵みであり、救いであります。

私は、この啓示は、明主様が全人類を代表してお受けになった啓示であると思っております。

ですから、私どもも、明主様と共に、この大切な啓示をお受けしておりました、と認めさせていただく必要があるのではないでしょうか。

 

明主様は、全人類に対して、この主神の大いなるみ業を知らせ、その恵みに目覚めさせるために、本教をご立教になったと思います。

この明主様の強いご意志と意気込みは、ご立教当初、昭和十年の次のようなお言葉に示されております。

罪障ざいしょうなるものは大きな光にえばすみやかに消えてゆくんであります」「太陽が出たのを知った時、素直に戸をはなてばこの大きな光を無造作むぞうさに受け入れらるるのであります。しかし人類は今迄いままで何千年来、眼に見える太陽の光には毎日浴しておりますが霊界の太陽の光にった事が無い。そここれから、戸を閉め切って電気の光以外に光というものはないとあきらめていた人々に、さあ愈々黎明いよいよれいめいが来たぞ、みんな速く戸を開けろと言うて世界中へ呶鳴どなって知らせる」「の声を聞いて素直に、戸を開けた人が一番早く光に浴して救われるので、躊躇ちゅうちょしている人は後廻あとまわしになるからつまらないのであります」とお説きになり、また、「霊的太陽は、悲しいかな、眼にはる事が出来ない、しかながら、時の力は、世界万民に判らせずにはおかない、誰が否定しようが、さえぎろうが、物質の太陽は大空高く、昇ってゆく如く、霊的太陽の光は日に輝きを増すのである。何と素晴らしい事ではあろう。何千年間の夜が明けると言うのだ」と明言されました。

こうした確信に満ちたお言葉に触れさせていただきますと、私は、明主様が〝もう、長い夜は明け、新しい朝が来たのだ。早く目覚めなさい〟と一生懸命私どもに呼びかけてくださっていると感じざるを得ません。

私どもがどんなに深い心の闇の中にいると感じたとしても、私どもの中に、霊的太陽の光は必ずあるのです。

それがたとえどんなに小さな光であっても、暗闇の中に一点の光がともれば、そこは、もはや闇ではありません。光に満たされるはずです。

私どもは、自分の中に光がある、と少しでも思わせていただくことができれば、それが天国に立ち返らせていただいた、ということではないでしょうか。

私どもは、今こそ、霊的太陽の光による罪の赦しをお受けし、今日までのすべての営みを、光の世界である天国に迎え入れていただき、すべてを新しいものに造り替えるという、主神の未来を創造する救いのみ業に、明主様を先頭にお仕えさせていただきましょう。

今がその救いのみ業にお仕えさせていただける千載一遇せんざいいちぐうの時であります。

終わりに、本年も、皆様とご一緒に、明主様の指し示された全く新しい救いの道を歩ませていただけますことに対し、明主様と共にあるメシヤの御名にあって、主神に心からなる感謝を捧げさせていただきます。

ありがとうございました。

印刷用PDF:20190101教主様新年ご挨拶

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