ご講話 昭和二十七年四月十五日(『御教え集』九号)  

人間は上(うわ)っ側(かわ)を見ますから、中身は判(わか)らない。上っ側で決めるんですよ。そこが危(あぶな)い。神様は、中身も中の魂をも見抜かれるんですから、どうしてもしようがない。そこで、人間は上っ側を見るから、形に囚われるんですね。自分がやったことを、人はああいうふうに見るだろう、こういうふうに見るだろう、という。そこがたいへんなことです。そこで人間を相手にするな、神様を相手にしろと言うんです。人間の気に入(い)られるというのは必要ないですね。神様の気に入られるんです。ところが、どうも人間の気に入られようとするんですね。それは、世間一般はそうなってますが、神様は違うんです。そこで、よく他(ほか)の信仰なんか、お金なんか寄付すると、何千何百円とか、何の某(なにがし)と、札(ふだ)を出しますがね。私のほうは、そんなことはぜんぜん、だれがいくら出したか判らない。いくら出したといって、偉く思わせようというのは通用しない。神様に見てもらおうということはあるが、人間を対象とはしないですね。神様に見ていただく。それを対象にしますから、それが本当というわけになる。だから考え方が、神様中心。神様だけに見ていただく、お気に入っていただく。 これで良(い)いんです。

 

*祭典用に抜粋しております 。

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