六月度月次祭 2019年6月1日

御歌
世の中の乱れの因(もと)は人々の嘘偽りの言葉にぞある
人の眼は偽り得ても神の眼は偽り得ぬと知る人の幸
天に恥ぢず地に怖れなき人にこそ神が愛(めぐ)まふ赤子なるらむ
聖言
嘘と幸福 昭和二十四年頃)
私は約三十年前信仰生活に入ったのであるが、それまでの私は、その考え方がまことに不徹底であった。というのは、悪い事はすべきものではない、善いことをしなければならない、ということは常に思ってはいるが、さてそれを実行に移そうとなるとどうも勇気がでない。というわけで、善悪ともにはなはだ微温的であった。恐らく世間にはこのときの私のような考え方の人が多いであろう。ところが信仰がだんだん深まるにつれて霊界と現界との関係はもちろん、神様の御意志というものがはっきり判(わか)り、考え方が断然変わってしまったのである。それはどういうことかというと、悪いことは想像以上大きな罪になり、善い行いはこれまた想像以上善果を得るということで、ここに心境の一大変化とともに、悪を絶対排斥し、善を極力実行に移すというように方針が変わったのである。ところが驚くべしそれからというもの、運勢が不思議に開けはじめた。これなるかなとますます自信が強まり、実行すればするほど、それと交換するかのように良い事がブツかってくる。もちろん多数からの信頼も日に深まるというわけで、今日(こんにち)に及んだのである。これはまったく幸福の哲学でもあろう。
以上私自身の体験のみではない。世間多くの人を見るにつけ一生懸命努力するにかかわらずどうも思うようにいかない。ときには躓(つまず)いたり、損をしたり、骨折(ほね お)る割に人から好く思われない、信用もされないというわけで悲観する人がよくあるが、そういう人を仔細(しさい)に観察してみると、必ずどこかに間違いのあることを発見する。とくに嘘を平気でつくということが一番悪いのである。かような人は、なによりもまず自分自身の心をよく省みることであって、必ず心の底にその原因を発見するはずである。なるほどいままでいかに努力しても思うような結果を得られないのは、確かに自分の罪であることを悟るであろう。とくに信仰者は神様から選ばれたのであり、世人の模範たるべく約束されており、なおさら道に外れることはできない。どこまでも俯仰天地(ふ ぎょう てん ち)に愧(は)じないという心境であらねばならないので、そういう人こそ神様から愛されるからご守護も厚く、心は常に明朗で、悠々として生活を楽しみ、敵を作らず、怨みを買わず、多くの人から尊敬を受けるようになるから幸福者となるのである。
 特に注意すべきは嘘をつくという一事である。殊に日本人の嘘つきということは世界的に知られているが、まったくその通りで、常に嘘をつく人は、それが習性にまでなってしまって、自分はあまり嘘つきとは思っていないようになるものである。*
〔本稿は、昭和二十四年頃明主様がご執筆になった御論文でありますが、昭和三十九年二月十日の教祖祭に因み、昭和三十九年二月号の「地上天国」誌(第百七十三号)へ三代様より特別にご発表をお許しいただいたものです〕
『天国の礎』宗教 下
*祭典用に抜粋しております。

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