御歌

大前に額く我となりにけり神に背きし罪を悔みて

常暗の道にさ迷ふ小羊を救ふは神の光よりなき

如何ならむ善き行ひも神知らぬ人は大方利己のためなる

 

聖言

救いと審判(しんぱん)の関係 昭和二十三年十月十八日

問 救いと裁きとはいかなる関係でございましょうか。右、御教示御願い申し上げます。

 

答 救いと裁きとは密接な関係がある。善悪の裁き―審判があるから、救われるのと、救われぬのとが決まる。普段の審判(さばき)と、最後の審判(しんぱん)とは違う。普段の裁きは神が常に裁き、大審判(だいしんぱん)は人類全部が裁かれる。大審判は最後の裁きで、善悪が決められる。普段の裁きでも、裁かれぬうちに悔い改める―救いを受ける事。一番困るのは、人間が人間を裁く事で、これは神の領分を犯す事で、善いとか悪いとか軽々しく言えぬ。裁く人自身が罪になる。人を裁く前に自分自身を裁くべきである。反省なく人を裁くのは大間違いである。よく救うと言うが、人間が人間を救う事は出来ぬ。人間はただ道具に使われる―神様が救う道具。道具に使われる事が有難い事と思わなくてはならぬ。もっと謙譲でなくてはならぬ。

 

『神智之光』「建設破壊篇」

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