御歌

万民の罪赦さんと栄光の雲より降りぬ救ひの主(ぬし)は

善と悪たて分け給ふ御力を揮ふメシヤの神業(みわざ)畏(かしこ)し

審判の日の厳しさよ如何ならむ曲(まが)もひれ伏し悔改むるらむ

 

聖言

文明の創造 序文 昭和二十七年八月二十日

この著は歴史肇(はじま)って以来、未(いま)だかつてない大聖著であり、一言(いちごん)にしていえば新文明世界の設計書であり、天国の福音でもあり、二十世紀のバイブルといってもよかろう。すなわち現在の文明は真の文明ではなく、新文明が生まれるまでの仮の文明であって、聖書にある世の終わりとは、この仮定文明世界の終わりをいったものである。またいま一つの 〝普く天国の福音を宣べ伝えらるべし、しかる後(のち)末期(まっき)到る〟 との予言も、この著のことであろう。そうしてバイブルはキリストの教えを綴ったものであるが、この著はキリストが繰り返し曰われたところの、天の父であるエホバ直接の啓示である。そうしてキリストはこうも言われた。それは「天国は近づけり、爾等悔い改めよ」との警告である。してみればキリスト自身が天国を造るとは言われなかったのである。

しかし私(わたし)は天国は近づけりとは言わない。天国はすでに来たれりというのである。なによりも私は目下天国の基礎的準備に取りかかっており、はなはだ小規模ではあるが、日々驚くべき力と奇蹟を顕しつつあり、人々は驚嘆している。そうして右のごとき模型的経綸が漸次発展するに従い、他面世界的には旧文明の清算の幕が切って落とされる。それが最後の審判の開始であって、眼目は善悪の立て分けである。すなわち悪は亡び善は栄える段階に入るのである。これがためいかに多数の犠牲者が出るかは計り知れないものがあろう。しかしながら神の大(たい)愛はこれら犠牲者を最小限度に食い止めらるべく、救いのその第一声がこの著出版の理由である。といっても旧文明世界からも、神は善悪正邪を選(よ)り分け善にして役立つ者は残されるとともに、悪にして見込みなき者は永遠に滅びるの止むなきに至るのである。

以上のごとく、最後の審判が済むや、続いて新世界設計の順序となるのは勿論だが、その転換期におけるあらゆる文化の建て直しこそ、空前絶後のものであって、いうまでもなくそれは旧文明の誤謬の是正とともに、新文明の指針を示すのである。ところがここに悲しむべきことがある。というのは人類が数千年の長い間に堆積されたところの罪穢れであって、当然この大浄化作用が発生するのである。それをこれから詳しく説いてみるが、幸いこれを読む人々は救いの綱を目の前に出されたのであるから、何らの躊躇なく掴まれんことである。それを前もって人類に知らせ、悔い改めを私は神に代わって勧告するのである。これぞ神の大愛でなくて何であろう。したがってこれを知った以上、一時(いっとき)も早く頭の切り替えはもとより、心の準備に取りかかるべきである。そうして審判の最後に至っては、罪深き者は亡び、罪浅き者は救われるのは決定的であるから、これを信ずる者こそ永遠の生命(せいめい)を獲得するとともに、将来における地上天国の住民として残るのである。そして主神の経綸の深くして、そのスケールのいかに大なるものであるか、また現在までの文明がいかに野蛮極まるレベルの低いものであるかを、この著によって充分知らせ確固たる信念を得させるのである。

 

『天国の礎』社会 救世自然農法

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