於:主之光教団本部ご神前
只今は、新体制発足に際し、明主様のお許しをいただき、謹んで教区長・布教区長・教区事務局長並びに本部部課長を承認させていただきました。
また、昨日は、責任役員・評議員を承認させていただき、その上で代表役員の認証を、そして、副理事長の認証をさせていただきました。
昨日と今日承認させていただいた方々を始め、本日お集まりの皆様が勇気ある決断をされ、どこまでも私と一つ心にという思いで、主神が明主様を地上にお遣わしになった真(しん)の思いを私と共に求めつつ、歩んでくださっていますこと、心から感謝申し上げます。
そうした皆様の真心とご努力があればこそ、この度の画期的な新体制の発足を迎えることができたことを思いますと、私は深い感慨を覚えずにはおられません。
と同時に、このような目に見える形として、新体制の発足を見るに至ったのは、明主様と共におられる主神が、すでに私どもの中で、新体制という新しい受け皿、すなわち、新しい心を整えてくださっていたからであると思います。
私どもの心というのは、主神の思いをお受けし、主神にお応えするための心であり、主神が私どもと思いを通わせるためにお使いになる大切な受け皿であります。
主神の常に新しい創造と救いのみ業にお仕えするには、受け皿である私どもの心も、常に新しくならなければなりません。
明主様は、御歌に、「新しき世は新しき土の上(え)に打樹てらるべきものにありなむ」とお詠みになりました。
主神は、新しい創造のみ業を成し遂げるために、受け皿となる新しい土台、新しい心を必要としておられます。
そのために、主神は、私どもの古い心、無知で頑(かたく)なな心を赦し、お受け取りくださり、私どもの心を新しく造り替えてくださいました。
古い心は主神に受け取られ、私どもの中には、新しい心があります。
この新しい心こそ、私どもの内側で成し遂げられた新体制という受け皿なのではないでしょうか。
新体制という新しい心が私どもの中にあるからこそ、目に見える形としての新体制を発足させることができたのではないでしょうか。
この新体制は、主神が必要としておられるのです。明主様が必要としておられるのです。
なぜ必要としておられるのでしょうか。
それは、主神が明主様を通して、メシヤの御名とその御名にある真実をお知らせになったのは、私どもだからです。
主神が全人類に真(しん)の救いをもたらし、ご自身の創造のみ旨を成し遂げるために、このメシヤの御名を全人類に先駆けて知らされたのは、私どもだからです。
主神は、そうした私どもを、どうしても今お使いになる必要があるからこそ、この新体制をご用意くださったと思わざるを得ません。
主神のみ旨あればこそのこの新体制であります。
皆様ご承知のように、明主様は、昭和25年立春の世界救世(メシヤ)教の「開教の辞」の冒頭、日本観音教団と日本五六七(みろく)教会を解散し、「右両会を打って一丸としたる新しき構想のもとに」世界救世(メシヤ)教を開教されたこと、そして、「これは、非常に重大な意義があり、もちろん神の深き御旨によるのであって、人間の意図ではないことはいまさら言うまでもない」とお述べになり、この開教が「神の深き御旨」であることを告げられました。
私は、昭和25年の世界救世(メシヤ)教開教に込められた主神のみ旨と、この度の新体制発足に込められた主神のみ旨とは、同じ一つのみ旨であると思います。
主神のみ旨は一つ。ご自身の子をお生みになることです。万物が甦り、全人類が主神の子たるメシヤとして新しく生まれることです。
このみ旨の成就のために私どもは、畏れ多くも、メシヤという唯一の御名を知らされ、今がその御名にあってみ旨にお仕えすることが許されている千載一遇の時です。
何と光栄なことでありましょう。
今を千載一遇の時とするか否かは、一人ひとりの決断次第です。
私どもは、本当の神を知らず、神の真(しん)の思いを知らずに生きてまいりました。メシヤの真(しん)の意味を知らずに生きてまいりました。
そうした私どもを主神は顧みてくださり、明主様を通して救いの手を差し伸べてくださいました。
皆様、私どもが明主様を通して、私どもの中に、そして、すべてのものの中に生きておられる唯一の神・主神とメシヤの御名を知るものとならせていただけましたこと、そして今、主神にお仕えすることが許されておりますことに対し、明主様と共にあるメシヤの御名にあって、心からなる感謝を主神に捧げさせていただきましょう。
ありがとうございました。