於:リーガロイヤルホテル大阪(光琳の間)

 

皆様、本日は秋季大祭おめでとうございます。
 昨年の地上天国祭、そして、本年の春季大祭と同様、この度の祭典行事につきましても、「リーガロイヤルホテル大阪」の皆様のご理解とご協力、そして、数々のご配慮をいただきまして、開催させていただくことができました。ここに、「リーガロイヤルホテル大阪」の皆様に、厚く御礼申し上げます。
 
 この度の台風19号により、各地で大きな被害が発生しております。
 先程は、皆様とご一緒に、復旧復興が順調に進められますよう願わせていただくとともに、犠牲になられた方々、被害に遭われている方々、また、関わりあるすべての方々と共に、赦され、生きたものとして天国に迎え入れてくださいますよう、明主様と共にあるメシヤの御名にあって、主神に委ねさせていただきました。
 
 さて、私どもは、明主様がお示しくださった、全人類に対する新しい段階の救いのみ業にお仕えするため、先月の930日を期して、新しい体制の養いの中で力強く、一丸となった歩みを始めさせていただくことになりました。
 そうした中で迎えるこの度の秋季大祭に臨ませていただくに当たって、私は自ずと、皆様が今日(こんにち)まで歩んでこられた道のりのことを思わずにはおられませんでした。
 皆様は、主神が明主様を地上にお遣わしになった真(まこと)の思いを私と共にお求めになりたいと願いつつ、多くの障害や困難に直面されました。
 そして、お一人おひとりが判断を迫られる中で、ひたすら明主様を信じ、心に去来する様々な不安や心配を乗り越え、勇気を出して決断をされました。
 また、所属の異なる信徒の皆様同士がお互いに認め合い、協力し合いながら、今日まで歩んできてくださいました。
 そうした皆様の真心とご努力があればこそ発足させていただけた、この度の新体制であると思います。ここに皆様に対しまして、心より感謝申し上げます。
 この新体制は、主之光教団の皆様、いづのめ教区の皆様、東方之光教区の皆様が、今日までの所属や立場の違いを越えて、また、年齢や経験の有る無しの違いを越えて、明主様のもとに一つとなって主神にお仕えさせていただく体制であります。
 この新体制の発足は、人間が計画を立てて、それを実行したかのように思えますが、それだけではなく、明主様と共におられる主神の御心と御力がなければ決して成し得なかったことである、と私は思います。
 
 主神は、私どもがお互いの間に作っていた垣根を取り払い、一つの体制にしてくださいました。
 それは、主神が私どもと一つになろうとしておられるからであると思います。
 すべては唯一の神・主神の一つ体であります。
 創造する原因の世界である天国も、創造された世界である地上も、すべては主神の表現の体であり、主神はそのすべてを治めておられます。
 そうであれば、実は、天国も地上もご自身の御国(みくに)、すなわち、天国であったのではないでしょうか。
 主神は私どもに対して、〝わたしはあなたと決して離れてはいない〟と仰っている、と私は思います。
 にも拘らず、私ども人類は、主神のものすべてをあたかも自分たちのもののようにし、自分たちのもののように使っておりました。
 主神の永遠の命と意識と魂を、そして、息を自分のものとし、万物を自分のものとし、地球を自分のものとしておりました。
 そして、神と人との間に垣根を作り、天国と地上との間に垣根を作ってしまいました。
 そうすることによって、私どものお互いの間にも垣根を作ってしまいました。
 そうした高慢で思い上がった私ども人類の罪を、主神は大きな愛をもって贖(あがな)い、赦してくださいました。
 それは、ひとえに、私どもをご自身の子・メシヤとするためです。
 そのことを、主神は、創造をお始めになる前から定めておられ、その約束を主神と私どもとの間で交わしていたのです。
 だからこそ、主神は、メシヤの御名にあって、私どもの罪を贖い、赦し、お受け取りくださり、私どもが作ってしまった主神との間の垣根を取り払い、私どものお互いの間の垣根をも取り払ってくださったと思います。
 そして、主神の受け皿である私どもの心を新しい心に造り替えてくださり、その心にメシヤという中心軸を立て、主神と交流することができるようにしてくださったのだと思います。
 それは、主神がご自身の創造のみ旨を成し遂げるためには、どうしても、受け皿である私どもの心を必要としておられるからです。
 なぜならば、私どもの心は、主神の創造の末端を担っているからです。
 私どもの心が創造の末端を担っているからこそ、主神は、私どもの思いをお使いになって、万物を甦らせ、全人類とその父母先祖の方々を、誰をも、何ものをも置き去りにすることなく救うことが可能なのです。
 ですから、私どもは、自らのうちにメシヤという中心軸があると認め、主神に対し、〝わたしの心と思いをあなたがお使いくださいますように〟と申し上げ、〝すべてのものと共に、贖われ、赦され、救われたものとして、天国に立ち返らせていただきます〟と心に定めれば、すべてのものが救いにあずかることができると思います。
 その御用にお仕えするために、私どもの心があり、思いがあるのではないでしょうか。
 私は、すべてのものを例外なく、血による贖いによって赦し、救い、甦らせ、新しく生まれさせるという働きこそ、教会の働きであると思います。
 
 この度の新体制の中で、すべての拠点を教会と呼ばせていただくことになりました。
 私どもがそのように呼ぶことを、主神は許してくださいました。
 施設が大きかろうが小さかろうが、人数が多かろうが少なかろうが、たとえ数人であっても、主神が教会としてお使いくださるのです。
 建物だけが教会なのではありません。私ども自身が教会なのです。
 教会が数多くあっても、真(まこと)の教会は一つ、明主様と共にあるメシヤの御名という教会です。
 私どもは、明主様と共に、メシヤという唯一の御名の教会に結ばれた、み手足としての教会なのです。
 主神は、私どもが心と思いを捧げ、ご自身のみ手足としての教会の御用に仕えることを許してくださっているのです。
 新体制を推し進めていく中で、私どもの中に、善し悪しを越えて、様々な思いが表面化するでありましょう。
 そうした思いも、例外なく、すべて教会に結ばれたものとして、メシヤの御名にあって主神に委ねさせていただけるのです。
 なぜならば、私どもは、明主様を通して、私どもの中に、全人類の中に、そして、万物の中にメシヤという唯一の御名が印刻されていることを知るものとならせていただいたからです。
 何と畏れ多いことでありましょう。
 明主様は、「大救主(メシヤ)の御名(みな)は最後の世を救ふ尊き御名なり心せよかし」という御歌をお詠みになりました。
 私どもは、明主様を通して、メシヤという誠に尊い御名を知るに至ったものとして、その御名にある創造のみ旨にお仕えする先駆けとしての使命を担わせていただいている、という自覚を持つ必要があると思います。
 
 私どもは今、メシヤの御名に結ばれた、主神のみ手足たる教会としてお仕えさせていただける千載一遇の時を賜っているのです。
 私ども一人ひとりが決断さえすれば、その時が千載一遇の時となるのです。
 私どもは、導かれるままに、すべてを新しきものに造り替えるという創造のみ業にお仕えすることを赦してくださった主神に、明主様と共にあるメシヤの御名にあって、すべてのものと共に、心からなる感謝を捧げさせていただきましょう。
 ありがとうございました。

 

印刷用PDF:20191014_秋季大祭_教主様お言葉

This post is also available in: English Português