御歌
万能の力を有つはエホバなる只一柱なる神よりぞなき
称へても讃へつくせぬはものみなの大き生命を賜(たも)ふ御恵
如何ならん人としいへど神在るを知らねば何の幸かあらめや
聖言
惟神(かむながら)医術 昭和十八年十月五日
私は惟神之道とは、大自然の道というのが最も適切ではないかと思うのである。元来、天地間の森羅万象凡(あら)ゆる物の生成化育、離合集散、栄枯盛衰は自然の理(ことわり)によるのでそれによって無限の進展を遂げつつあるのが此(この)世界であって、その実相を観る時、不自然なるが如くにして自然であり、偶然に似て必然であり、空漠たる如くにして厳然たる法則あり、全く人間の叡智や学理によっても到底窺知し得べからざるものがある。
そうして、大自然の動きは真理そのものである事は勿論である。そうして真理の具現者であり、宇宙の支配者である者、それを尊称して神というのである。故に、宇宙意志というも神の意志というも同一である。此理(り)によって大自然そのものが神の意志であり、大自然の実相が神意の具現であるといえよう。
此意味に於て、人間なるものは大自然の中に呼吸し、大自然の力によって生育するのである。故に、生死と雖も大自然即ち神意のままであるべきである。故に、大自然に逆えば滅び、大自然に従えば栄えるのは言うまでもない。此理によって人間の師範とすべき規(のり)は全く大自然であって、大自然のままに行く、即ち大自然に習う事こそ、神意に習う事であり、神意のままに進む事であり、それがカムナガラである。実に惟神とは玄妙至極な言霊(ことたま)というべきである。*
『明日の医術 第二篇』
*祭典用に抜粋しております。