御歌

病(やまい)とは身魂浄むるものなれば此上(こよ)なき神の恵みなりけり

病(いたつ)きを怖るな積りし罪穢(つみけがれ)浄むる神の恵なりせば

穢(けが)れたる此土(このど)を浄め美(うる)はしき天国樹(た)つるよろこびにをり

病(いたつ)きを悲しむ人ぞ哀れなりいと喜ばむ事にしありせば

眼に見ゆる物質に迷ひ眼にみえぬ魂忘るる人こそ哀れ

 

御教え

病気に感謝せよ 昭和十八年十月五日

私(わたし)は曩(さき)に「病気は神の最大なる恩恵である」と言った。その理由は最早読者は充分認識されたであろう。然(しか)るに世間、闘病などの文字を使用し、病(やまい)と闘い、病を征服する事を以(もっ)て治病の要諦(ようてい)と解(かい)しているが、之等が如何に誤りであるかは、爰(ここ)に言う必要はあるまい。

私は、病と闘うという其(その)観念は、病に対し如何に作用するかという事を考えてみるのである。そうしてこれまでは、病それ自体が苦痛の代名詞となっている。従而(したがって)、闘病心とは苦痛と闘う意味である。苦痛を敵視する事である。言い換えれば自国内に敵軍が侵入蟠居(ばんきょ)している—その敵を征服し、排撃しようとするのである。然るに、予期の如くならない場合、病苦以外の敵に勝てないという煩悶(はんもん)や焦燥(しょうそう)感が起るのは当然であろう。其結果、病苦の外(ほか)に苦痛を排除せんとしようとする苦痛が加わる訳である。

然(しか)るに、私の言う病気なるものは、神の恩恵であって、病気なる浄化作用によって、体内の毒素が軽減又は排除さるるのであるという意味を思う時、洵(まこと)に感謝に堪(た)えない気持が湧くであろう。寧(むし)ろ病気の一層強烈であれかしと願う心にさえなるものである。又病気恢復(かいふく)後、毒素軽減による健康増進の希望も起る以上、それが亦一(またひとつ)の楽しみとなるのである。

右述べた如き二様(によう)の解釈は、精神的には如何に影響するやというに、闘病観念は病に対する恐怖と、不安焦燥の悩みを生み、天恵観念に於(おい)ては、感謝と希望と楽しみを生むという事になろうから、人生の幸福圏内に一歩踏み入(い)ったという訳である。

以上の如き病気の真諦(しんてい)を、日本人全部が認識し得たとしたらどういう状態になるであろう事を想像されたいのである。いうまでもなく、最大不安の焦点であったものが、その反対である事を知るに於(おい)て、国民全般が如何に安易な気持を持ちつつ職域(しょくいき)奉公に邁進(まいしん)さるるかである。能率増進は固(もと)より、社会的明朗感は素晴しいものがあろう。之(これ)によって日本が二十世紀の蓬萊島(ほうらいじま)となるであろう。と私は信ずるのである。

 

『明日の医術 第二篇』

*抜粋