教主様とのご面会
ポルトガル世界メシア教理事、資格者、拠点長
お花教授職、海外教師

於:シェラトン リスボン ホテル&スパ

《 教主様お言葉 》

今回私がこのポルトガルに来させていただくことができましたのも、今年2月にフェルナンド理事長、ルシアナ夫人が日本に来られて、ポルトガルの現状について、皆様の状況について詳しくお話ししてくださって、皆様が大変なご苦労の中を勇気をもって決断し、私と思いを共にしてくださるということをお伺いして、ぜひこちらに参りたいと思わせていただいたからです。
 私はフェルナンド理事長、ルシアナ夫人のご決断、そして皆様のご決断に、心より感謝いたしております。
 Muito obrigado(誠にありがとうございます).
 
 明主様がお示しくださったように、私が繰り返し申し上げておりますことは、神様のみ旨というのは、私たちをご自身の子供とするということです。メシアとして、神様の子供たるメシアとして新しく生まれさせること、これが神様のみ旨であると思います。
 そのためには、どうしても今までの行き詰まった信仰のあり方から人類を脱却させなければいけない、もう一段成長した段階へと導かなければならないということで、神様が私たちに強く臨んでくださったと思います。
 実は、神様が私たちをすでに新しい段階に迎え入れて、育ててくださっているからこそ、このたびの教団の混乱があったのだと思います。
 私たちの中には、神様を信じる心と、信じると都合が悪いと思う心があります。
 人間の都合を大切にしてきた人類ですから、本当は神様が現れることは、人間にとって都合が悪いはずです。そういうものが私たちの心の中にあります。
 しかし、全人類を救うのが神様の目的でありますし、明主様の願いであります。
 救うということは、全人類が、神様のことを知り、メシアの御名を知って神様の子供となることですから、信じる人も信じない人も救われなければなりません。
 日本においても、またこのポルトガルにおいても、また多くの国々においても、私が申し上げることについて、それを受け止めようとする方々、また受け止めたくないと思って反対される方々、その両方の方々が誰の目にも分かるように現れてまいりました。それは、神様が私たちの中に現れてくださり、力強く臨んでくださって、私たち一人ひとりの中にある神様を信じる心、信じたくない心に気づかせようとしてくださったのではないかと思います。
 私たちは、神様の思いを受け止めさせていただいている受け皿の存在であります。
 神様の思いは、すでに全人類の心の奥底まで行き渡っていることは確かです。メシアの御名も、全人類の中に行き渡っていることは確かです。
 全人類に行き渡っているにもかかわらず、私たちは受け皿を持たされていますから、それを受け入れますという思いと、その反対に、それを受け入れたくない、信じたくないという思いと、その両方の反応が現れてまいります。
 ですから私は、今回の動きは、神様が、神様と共にあるメシアの御名を素直にお受けしたい者も、またその反対に、それを受けたくない者も、共に一つものとして赦してくださって、神様の子供とするよ、と強く臨んでいらっしゃることの現れだと思います。
 神様は創造主であられ、権威をもってご自身のみ旨、私たち全人類をご自身の子供とするというみ旨を、始めに定めておられ、全人類は、その約束を賜ってこの地上に来させていただいています。
 ですから、私たちと対立していると思う人たちも、共に赦されたものとして、自分も相手の方々も共に一つものとして、明主様と共にあるメシアの御名にあって主神に委ねさせていただいて、お受け取りいただきますようにと、主神に取り次がせていただくことが私たちの務めだと思います。
 だからといって、私たちは、相手の方々に同調する必要はありません。ただ、私たちは、神様がご自身のみ旨を成し遂げるために、私たち全員を連動させてお使いくださっていることを知らされたものとしての先駆けの御用をいただいていると思ったほうがいいと思います。
 今いろいろなことが現象的に起きていますけれども、どんな些細なことであっても、今自分が何かを思っているならば、そのことについて、神様が「ここに手を差し伸べて、赦してくださっていたのですね」と、一人ひとり認めさせていただき、素直な心も素直でない心も共に赦し、受け取ってくださって、み旨を成し遂げておられると、そのように私たちが心に決める必要があると思います。
 どうでしょうか。私が申し上げていることを、何となく受け止めていただけるでしょうか?(会場から大きな拍手)
 Obrigado(ありがとうございます).
 
 もう私たちが新しいところに入っているからこそ、古いものがたくさんあるように感じさせてくださっていると思ったほうがいいと思います。
 私たちが悩んだり苦しんだりしていること自体が、すべてを新しくする神様の創造のみ業にお使いいただいているという確信をもって受け止めさせていただくと、神様は、明主様は大変お喜びになると思います。
 逃げ出したいと思うでしょうけれども、しかし本当は逃げることはできないんです。それは私たちが先駆けの御用にお使いいただいているからだと思います。
 先ほど申し上げましたように、全人類は、神様の子供・メシアとするというみ旨が刻み込まれた御霊(みたま)を賜って、そのままこの地上に今いるわけです。信じる信じないは、私たちが受け皿として反応している姿ですね。
 信じる信じないに関わらず、神様の御霊が私たちの中にあるということは、神様のみ旨を私たちがお受けしていることだと思います。
 今、私たちはその御霊を自分のもののように、自分の魂であるかのように思っていますけれども、それは神様の魂です。私たちは神様のお供をして、この地上に来て、いろいろなところに行かされているわけです。汚いところにも、嫌なところにも、きれいなところにも、好きなところにも行かされているわけですね。神様の赦しと救いがまんべんなくすべてを網羅するために、私たちはいろいろなところに行かされるわけです。私たち自身がそこに行っているように思うけれども、神様が行ってくださっていて、私たちはそのお供をさせていただいていると思ったほうがいいと思います。
 神様はすべてを創造されました。ということは、神様はすべてに責任があるということです。ちょうど子供のことはすべて、お父さんお母さんに責任があるのと同じように、神様は私たちにとって、生みの親であると同時に育ての親です。子供のしたことすべてを神様は赦して救って、再び天国に迎え入れないと全人類をご自身の子供とすることはできません。
 だからこそ、神様はイエスを遣わして、全人類の罪を贖(あがな)い、代償を支払わせなければならなかったのだと思います。それはイエスの業のように見えますけど、実は神様ご自身がなさった業であり、イエスはその業にお仕えになったのだと思います。
 神様に赦すというご意図がなければ、どうして神様が私たちの罪を贖う必要があるでしょうか。すべての人が贖われ、赦され、救われて、神様のみもとに帰らせていただく、そのことが約束されているのですから、それを信じて、その御用に私たちはお使いいただいていると信じて、お仕えさせていただくことが私たちの務めだと思います。
 明主様が夜昼転換をお示しくださったのも、そしてメシアとして新しく生まれたことは事実であるとお示しくださったのも、全人類を贖い、赦し、救い、甦らせるという神様のみ旨が私たちの中にあることを、私たちに教えてくださろうとしていたからだと思います。このことを私たちが知ることができたこと、知るに至ったことは、大変な恵みであると思います。
 私たちは、メシアの御名を知ることができました。明主様を通してメシアの本当の意味を知ることができました。私たちは天国において、霊の子供の時に、そのことを知っていたのですけれど、この世において、そのメシアの御名とその御名に込められたみ旨を忘れてしまいました。
 私たちは、地上においては、ユダヤの人々を通して、また、キリスト教の宣教師たちが、ポルトガルから世界に向けて出発して、日本にまでも来られて、そして日本人である私たちも、メシアの御名を地上でも知ることができるようになりました。
 ユダヤの人々が異邦人と呼んだ、本当の神を知らない人々に属する日本人がメシアの御名を知ることができました。現在、ほとんど世界中の国々の人々が、キリストあるいはメシアという名前を知っています。その信じている内容がどのようなことであれ、日本ではクリスマスという言葉があるように、キリストとかメシアという名前は皆よく知っている名前です。
 しかし、私たちは明主様を通して、ヘブライ語でメシアという名前、ギリシア語でキリストという名前に込められた本当の意味を知ることができました。日本人である明主様がお受けになって、そして明主様を通して私も、それを知ることができました。日本の信徒の方々も知ることができました。そして世界中の明主様の信徒の方々もそのことを知ることができました。
 私たちが真実を知ることができたこと、それをお受けしたことを認めさせていただくことは大変大切なことです。
 しかし、それだけでは、神様にお仕えする私たちとしては、十分ではないと思います。
 私たちにとって大切な務めは、メシアの御名を知ることができたこと、メシアの御名がまず自分自身の中にあるということ、そしてすべての方々、すべての万物にメシアの御名が刻み込まれていることを認めるだけではなく、その認めたことを神様にご奉告申し上げることです。
 明日、祖霊大祭を迎えますが、多くの先祖の方々が、特にユダヤ人の方々、キリスト教徒の方々、またポルトガルの宣教師の方々、多くの方々が大変な苦労をされて、そのメシアの御名を日本にまでも届けてくださいました。ですから私は今回、日本からこのポルトガルに来させていただいて、皆様と共に「私たちはメシアの御名をお受けいたしました」と、神様にご奉告させていただく務めがあると思います。
 神様は今、キリスト教を伝えた宣教師を始め、多くの先祖の方々のみ業を、神に仕えた栄光ある、生きたみ業としてお受け取りになろうとしておられると思います。
 多くの方々が、わざわざ体をもって、遠い旅をしてメシアの御名を伝えてくださったのですから、この度、体をもって日本からこの地に参りました私、また私たちは、皆様と共にメシアの御名をお受けしていたことを、明主様と共にあるメシアの御名にあって主神にご奉告させていただきたいと思います。よろしくお願いいたします。
 Obrigado(ありがとうございました).

 

《 教主様へのお伺い 》

Aさん 】
 私たちはこれまでにたくさんの困難を乗り越えてきました。これからも乗り越えることになるでしょう。それを踏まえて、教主様からお言葉を賜りたく存じます。今の教団浄化だけではなく、日常生活の中で相手を責めない自分になることは非常に難しいと思いますが、人を咎(とが)める気持ちを抑えるにはどうしたらよろしいでしょうか。というのも、咎めの気持ちは常に常に表れてきます。抑えることはできませんが、神様に、私たちの中に表れてくるさまざまな気持ちや想念をお委ねさせていただくということだけでよろしいでしょうか。教主様の場合、さまざまな気持ちをどのようにされたのでしょうか。

 

【 教主様 】
 (すべての質問が終了後)Aさん、Bさん、ご報告いただきありがとうございました。また、ご質問もいただき、ありがとうございました。また、フェルナンド理事長もありがとうございました。
 Aさんの質問は、相手を、人をどうしても裁いてしまうので、裁かないためにはどうしたらいいでしょうか、ということでしたね。
 私も、人を当然のように裁いてしまいます。人を裁かない人はたぶん世の中にいないと思います。
 神様は私たちに、魂と意識と命を天国で授けてくださいました。それは私たちのものではなく、神様のものですね。神様は、私たち一人ひとりをご自分の子供とするために、神様の意識を私たちの意識のようにしてくださいました。そうしないと私たちが一人ひとりになれないからだと思います。
 神様の思いは、私たちすべてを赦し、ご自身の子供として迎え入れるということですけれども、私たちは意識を持たされているために、どうしてもその意識を自分の善悪の尺度とし、自分自身の価値を高めるために使うようになってしまいました。
 私たち一人ひとりの意識は、神様の意識なのに、狭く偏った心にしてしまいました。自分の善悪の尺度を作り、その尺度で世の中を見るようになり、人を裁くようになってしまいました。それでは、私たちは怒りや裁く心を抑えることができません。心がけではどうしてもそれを克服することができないのです。
 このように、神様の意識を自分の意識としたままでは、神様のみもとに、神様が最初に私たちを生んでくださった天国に帰ることができません。なぜなら、私たちは神様のみ前に罪あるものとなってしまっていたからです。
 私は、神様の意識を自分の意識としてしまったこと、これが罪の本質だと思います。それを神様の恵みによって、贖い、赦してくださいました。
 私たちは、今こそ、神様の意識を自分の意識としてしまい、善悪の尺度としてしまって、人を裁いていたこと、自分は相手よりも優れた存在だとか、劣った存在だとかと言って、自分と相手とを比較して生きてきた、その自分の姿に気づき、認める必要があると思います。
 私たちは、怒りを感じたり人を裁いたりしている時、自分一人が怒りを感じたり裁いたりしているように思いますけれども、私たちの心は、たくさんの要素が混じり合って構成されています。先祖の方々の思いも入ってきていますし、世界中の人々のいろいろな思いも全部、放送局のように自分のところに入ってきます。
 ですから、私たちはいろいろなことに対して反応します。相手と話し合う中で、相手を裁いて責めてしまう気持ちも湧いてくるし、いろいろな状況を直接見たり聞いたりした時、また、テレビを見たり、新聞を読んだりすると、いろいろな気持ちが湧いてきて、裁く気持ちも湧いてきますね。
 そのような時、自分が裁いていると思うでしょうけれども、実は神様がそのように自分の思いをお使いくださっていると気づいたほうがいいと思います。
 もし、そのことに気づいたとしたら、この思いを神様がご覧になって赦してくださって受け取ってくださっているのですねと、心に決めることが必要だと思います。
 私たちは、責める気持ちが湧いた時に、その気持ちを自分で見ることができたら、それは神様が私たちを創造のみ業に、多くの方々と共にお使いくださっていると思ったほうがいいと思います。そして、私たちをご自分の子供とするという救いのみ業、全人類を赦し、救うという創造のみ業にお使いくださっている最中なんだと思ったほうがいいと思います。
 私たちの中にはメシアの御名があります。神様の光があります。だからこそ、たくさんの思いが私たちをめがけて飛び込んでくるのです。神様は多くの方々をお受け取りになろうとしておられるのですから、多くの方々が救いに与(あずか)ろうとして、私たちの中に入ってまいります。そう思えたら幸せだと思います。
 神様にとって、私たちの思いが必要なのです。神様は、すべてのものを赦し、救うためにはどうしても私たちの思いが必要なのです。神様は、私たちの悩みや苦しみ、怒りや裁く気持ちを、「ご苦労さまです」と言ってくださっていると思います。
ですから、委ねることだけで十分でしょうかと、é suficiente(十分でしょうか)という質問でしたけれども、十分どころか、それを神様は望んでいらっしゃる、そして待っていらっしゃると思います。
 もう全部集まってきているのですから、あなたが決めるだけでいいんです。みんなは帰りたい、帰りたいとあなたのところに集まってきていて、神様はあなたに対し、「その思いを自分で一生懸命頑張って抱(かか)えていないで、わたしはもうすべてを赦したのだから、あなたの中の裁く心も赦したのだから、それを受け取るよ」と言ってくださっていると思います。ですから、「神様、お喜びください。多くの人々が帰ってまいりました。わたしと共に、メシアの御名にあって委ねます」と申し上げたら、神様はきっとお喜びになるし、明主様もお喜びになると思います。
 私もそのことを忘れがちですけど、思い出したら、「思い出させていただきました。ありがとうございます」と言って、そのように神様に委ね、受け取っていただいていると信じて生活しています。あなたも私と一緒に、同じように思っていただけますか。
 
 【 まゆみ奥様 】
 ちょっと質問させていただいてよろしいですか。先ほど、飛び込んでくるとおっしゃったのは、神様が連れてきてくださるというふうな意味でよろしいですか。
 
 【 教主様 】
 そうですよね。神様が集めてくださる。
 
 【 まゆみ奥様 】
 集めてくださったのは「あなたのところにぜひお願いするよ」と、神様が連れてきてくださったという解釈でよろしいですか。自然に飛び込んできたということとは違いますよね。
 
 【 教主様 】
 そうですね。

 

Bさん 】
 明主様が男女同権についてみ教えくださっていることについてもっと知りたく存じます。男女は今後どのような役割をいただいて、新しいご神業を歩めばいいのでしょうか。

【 教主様 】
 男女同権ということについてですけれども、明主様は男女同権というのは、民主主義の産物として大変良いことであるとおっしゃっています。特に日本などは長い間、女性の権利を無視して、女性が不幸な地位に置かれていたので、男女同権によってどれだけ女性が救われたかは言うまでもないことであるというふうにおっしゃっています。このことを明主様がおっしゃったのは、1950年です。ということは、今から70年近く前です。日本ではやっと、その5年ほど前に女性の参政権と投票権が認められたところで、日本にまだまだ男女同権という考え方が根づいていない時です。
 明主様は、特に西欧諸国では男女同権が進んでいることは十分ご存じで、そのことを良しとされています。でも明主様はそれだけではなくて、結局男女同権ということは、男性も女性も権利を主張することになるから、お互いに争ってしまうということが問題であるとおっしゃっています。男女同権であるけれども、むしろお互いに和合することの大切さをみ教えくださっています。
 明主様は、男女が同じような境遇、扱いを受けることは当然であるけれども、互いに権利を主張するのではなく、互いに助け合う、和合することを説いていらっしゃいます。このことは大変大切なことだと思います。
 このことについて、私が思っておりますことは、明主様は、人間には幽魂と現魂、要するに、二つの魂があるとみ教えくださっています。一つは、霊界に、天国にあり、もう一つは、現界に、この地上にあるとみ教えくださっています。
 すべては神様のみもとから出たのですから、幽魂と言われる魂も、現魂と言われる魂も、もともと神様のみもとの天国では、一つものだったと思います。
 私たちは、地上では男になったり、女になったりしていますよね。でも天国という世界は、男性と女性とに分かれる前の世界ですから、私たちは男でも女でもなく、幽魂、現魂一対の存在であったと思います。
 私たちは、天国ではpaternidade/maternidade(父性/母性)一対の魂であり、この創造された世界に、つまり地上に、本来一対の魂の、そのどちらか一方が降ろされてくることによって、男になったり、女になったりしていると思います。
 Bさんは女性ですから、地上にはmaternidade(母性)の魂が降ろされて女性となり、ご自分の中心の天国にはpaternidade(父性)の魂が残っていることになりますね。男性の場合はその反対ですね。ですから、私たちは男女共、それぞれ自分の中に、父性と母性、その両方の魂を持たされているということになりますね。
 神様が私たちをお使いくださっているのは、この世に男性として、また女性として出てきた私たちだけではなくて、天国に存在する、もう一方の魂と共に、一つ魂として、一対の魂としてお使いくださっています。
 私たちは、地上では男性が女性を好きになったり、女性が男性を好きになったりして、お互いに一つになろうとしますよね。そして、男女が結び合って、子供が生まれますね。新しい人間が生まれますね。
 ですから、私たちが天国に立ち返るということは、女性でしたら母性の魂を地上で持たされたものとして、父性の魂が存在する天国に立ち返って、父性母性一対の魂にならせていただくということだと思います。
 私たちが天国に立ち返って、父性母性一対の魂とならせていただいて、その一対の魂を用意してくださった神様にお見せして、「わたしは、あなたによって人間とならせていただきました。そして、今あなたのみもとに帰ってまいりました」と言ってご奉告することが私たちの務めだと思います。
 地上で男性と女性とが一つに結ばれて子供が生まれるように、私たちは天国に立ち返って、魂が一対の存在とならせていただくことができたとしたら、そして神様がその姿を認めて、よしとしてくださるとしたら、神様は私たちの中で、新しい子供を生んでくださると思います。神の子たるメシアとして新しく生まれるということは、そういうことではないかと思います。
 ですから、私たちは、神様が私たちを新しく生まれさせるために、この地上にいる自分だけではなくて、天国にいる、本体である自分も、両方共お使いくださって、自分のすべてをお使いくださって、創造のみ業をなさっておられると認めさせていただき、そのことを神様にご奉告することが大切だと思います。
 そのようにさせていただくことによって、地上の世界も、より調和ある世界に神様が導いてくださると思います。男性と女性との、あるいは、いろいろな人間同士の争いも、私たちが天国に立ち返らせていただくことによって、み心であれば、少しずつ、だんだんと秩序ある、和合のある世界にしてくださるのではないかと思います。

 

 

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