世界メシア教理事
総務部・法務部 部長
遠藤秀夫
教主様との出会いを通して、私の信仰が一変した、その日。
平成15年10月19日――箱根・神仙郷、光明神殿で執り行われた主之光教団の秋季大祭(午前の部)での教主様お言葉。
創造の神・主神は生きておられます。皆様お一人お一人の中に生きておられます。
人間は辛うじて信仰という名のもとに神を信じ、それぞれの願い事をし、神を信頼するよう努力をしてまいりました。本当に自分の中に神が生きていらっしゃると断言できるかどうかということです。
我が家が、明主様にご縁をいただいたのは、昭和37年頃です。祖母の長年にわたる頭痛と、母の胃下垂と高血圧が、ご浄霊をいただくことで快癒したのです。さらに、小学生であった私は、両手の甲に数十個ものイボがあり、何をしても取れなかったのが、わずか3回のご浄霊ですべて消えて無くなったのです。不思議さとともに、ご浄霊のみ力のすばらしさを痛感しました。そして、中学校入学前に「おひかり」拝受を許されました。
小学生の時は、学生リーダーの方から誘われるままに、学生錬成会のキャンプや子供会に参加し、中学、高校へ進むに従い、学生リーダーとして、御教え勉強会やリーダー研修会、『栄光』紙配布に積極的に参加を許されました。友達も増え、信頼できる仲間と一緒に活動できることが楽しかったのです。
高校3年生になり、大学進学など、将来のことを考えた時に、次第に、浄霊の救いによって大勢の人々を幸せに導きたい、また、若い専従者の方々の溌剌と御用に励む姿を見て、人々との触れ合いを通して、互いに人格の陶冶(とうや)に励める専従人生を送りたいと思えるようになり、救世専門学院への入学を決意しました。
高校3年生の秋から半年間、札幌布教所に寝泊まりすることになりました。そこから高校に通い、帰ってから夜にかけて、毎日5~6人の浄化者への浄霊訪問に取り組ませていただきました。冬、雪の舞う夜道を自転車で走るのは大変つらい時もありましたが、訪問すると「待っていました。ありがとうございます」と笑顔で迎えられ、人から頼られていることに、すべての苦労が吹き飛ぶような喜びが生じました。
昭和49年4月――今から46年前、京都にあった救世専門学院の第3期生として無事入学を許され、夢と希望をもって専従の道をスタートしました。世界救世教も63教会を合併しての「教団一元化」を為(な)して2年目であり、全国に都府県支庁本部の設立および建設を推進し、昭和57年の明主様御生誕百年祭までに100万信徒達成を目指して進んでいた時であります。
2年間の学院生活では、一般教養の他に、教学としての基礎教理と教団史を学びました。さらに、生涯を救世の道に捧げる37名の同志と友情を分かち合えたことも最高の喜びでした。
昭和51年3月、学院卒業後、総本部の編集部編集課に配属され、『地上天国』誌を編集する御用をいただきました。全国各地の布教所を訪れては家庭集会などで、助け合いながら御用に励まれる皆様の姿に勇気づけられました。
その当時、私の信仰の捉え方は、基礎教理および入信教修にもありましたが、主神、明主様は天界におられ、メシアであられる明主様からの光を受け止め、自らの手を通して放射させていただき、人々の魂の曇りを解消させていただくのが浄霊である。私たちは、三千年来の罪穢れを受け継いでいる。それを、夜昼転換によって、最後の審判である大峠を越えて、昼の世界に生かさせていただくためにも、罪穢れの払拭が大切である。そのためにも、善徳を積み、高い芸術に触れ、難行苦行に耐えること以外に道はないと、信じておりました。
ですから、『地上天国』誌の体験記を編集する時も、その方が、どのような気持ちで何を実践し善徳を積まれたのか、そのことがどのようにご神意に適い、ご守護いただかれたのかを書くことに努めていました。今にして思えば、全く人間中心の考え方にすぎないありようでした。
明主様に救われたことへの「感謝報恩」を捧げるべく、精いっぱいの誠を捧げた昭和57年の明主様御生誕百年祭――当時、私は、広報委員会で御用をいただいておりました。信徒の総力を結集して完成したMOA美術館に、毎日のようにテレビや新聞、雑誌などのマスコミの取材が殺到しました。また、毎週のように、全国から千人規模の信徒が団体で参拝に訪れ、聖地は賑わい続けました。
一元化以降、社会に開かれた教団を目指しておりましたが、私自身も何か、美術館の建物が立派なことや、マスコミなど社会から評価されることが、信仰の喜びであり、信仰の価値であるかのような気持ちになっておりました。
昭和59年から教団浄化が始まり、最終的には教団が3派に分かれる鼎立(ていりつ)状態となりました。
その中で、私は、昭和59年10月30日、当時の中村力総長が「教団護持委員会」発足を宣言後、すぐに護持に飛び込みました。三代教主様がいらっしゃらないという不安もありましたが、当時、私が所属していた編集部をはじめ、総本部の主要部署からも大勢の仲間が参加し、心強いものがありました。
しかし、今振り返ってみると、信仰の捉え方については、どうしても今まで身についた信仰観念の中でしか考えることができませんでした。
平成9年12月15日、3派の間で和解が成立。
平成10年2月4日、立春祭で、三代様のご退位に伴い現在の四代教主・岡田陽一様のご就位が発表されました。5月には救世会館で主之光教団の全国信徒のご参拝が行われ、三代様と四代教主様からお言葉を賜り、私は、護持での10数年間のさまざまな思いが湧き上がり、感慨無量になりました。
2年後の平成12年3月には、包括法人世界救世教と3被包括体制がスタートしました。3派がまとまったのは、〝明主様を見つめられる教主様を中心に歩んでいく〟。この一点であります。
その後、主之光教団でも教主様をお迎えすることが許され、平成15年からは、春秋の大祭時に教主様のご出座を許されるようになりました。祭典で教主様からご浄霊とお言葉をいただける喜びは、何にも代えがたい喜びでありました。
そして迎えた、平成15年10月19日。箱根・神仙郷の光明神殿での教主様のお言葉――冒頭の、主神は自分の中に生きておられるというお言葉に続いて、
明主様は、今はこの世での身体をお持ちではありません。天上の世界においてご経綸を進めていらっしゃいます。そこに私共が何故にこの世に生きているか、という課題があると思います。その明主様の身体として、私達はこの世で身体を賜っている以上、明主様をこの世に現すために私は居るのですと、確信を持って言えるかどうかということです。
教主様は、お話を終え原稿を閉じられた後、お顔をまっすぐに向けられ、このようなお言葉を発せられたのです。私は、祭典出仕場所である箱根事務所のテレビモニターでご参拝しておりましたが、アップにされた教主様のお顔と目が、直接、私に語りかけてくださっているようで、頭の中で落雷が発生したような衝撃を受けました。
〝専従を許されて30年(平成15年当時)、明主様との出会いを真剣に考えてきたであろうか。主神、明主様が私の中で生きておられ、み心を現すために、自分がこの世にいると思えてきたであろうか。否(いな)。主神、明主様は天界におられ、そこから見守り続け私たちの願いごとを聞いてくださっておられる、との感覚で、誠に稀薄な信仰でしかなかったのではないか〟と思いました。
それからは、教主様のお言葉を次々と拝読しました。人間中心から神中心の考え方への転換。私たちはすでに赦され浄められ救われた者として存在している。もうすでに昼の世界が現れている。最後の審判は、赦したことを神様から告げられることである等々。
私は、その都度、目から鱗が落ちる思いでした。
昼の世界に生かされるために、罪穢れを清算する。そのために利他行に励むという、マイナス的とも言える人生観が一変した思いでした。また、人間的な価値観に基づき、優劣を決めるあり方。人間的な努力を主体とした信仰実践。どれをとっても、人間を主体とした考え方ですが、それを「信仰」として生き続けてきた私であったと痛感しました。
その後、主之光教団では、「教主様のお姿とお言葉に倣うことを徹底する」ことを教団方針として打ち出し、皆で教主様のお言葉の学びと共に、お言葉の実践に励んでまいりました。教主様のお言葉によって、多くの方々が救いを赦されました。特に、平成28年4月に発生した熊本地震で被災された方々には、生き続けていく上での強い支えとなりました。
地震発生後、4月、5月と2回にわたり、私は、熊本布教所の被災された信徒に会わせていただきました。50年前に奥様と一緒に建てた家が全壊し、すべての財産とともに子供の成長を育んできたすべての思い出が崩壊した方。震度6強の激しい揺れとたんすの倒壊の間をくぐって、命からがら生き延びられた方。強烈な揺れがトラウマとなって、夜一人では家にいられない方。他にも被災に遭われた方々とお会いしましたが、悲嘆にくれた中で、「もう、笑うしかない」とおっしゃいます。同時に、苦痛の叫びは、私自身では受け止めきれませんので、私自身も神様にお委ねしながら聞かせていただきました。
5月1日、被災された3教団の信徒に教主様よりメッセージを賜りました。
私たちは、心配や不安に襲われたり、気が萎えてしまったりする時もあります。
そうした心の弱さを誰よりもご存じなのは神様であり、神様は、そんな私たちを常に励ましてくださっていると思います。
私たちは弱いものであります。だからこそ、神様が自分の中で生きておられることを信じ、その神様の赦しと命の力を全身にお受けさせていただきましょう。
被災された方々から、「悲嘆のドン底にいた自分に、生き延びる力を与えてくださった」「がんばれと、叱咤激励していた自分、倒れそうになる自分が、本当に救われました」等々、命が甦った喜びの声を聞かせていただき、共に涙しました。本当に、深い愛情に包まれた教主様のメッセージから、信仰の神髄を感じさせていただきました。
平成30年1月30日、突然、包括法人世界救世教を名乗る方々から、主之光教団との包括関係廃止を宣告されました(現在、裁判で係争中)。さらに、いづのめ教団の数多くの専従者、信徒が、教主様と共に歩む決意のもと立ち上がり、主之光との連携・協働を図るべく、主之光教団いづのめ教区を発足。
「主之光は救世教ではなくなった」「明主様、聖地から離れた信仰」など、主之光教団の信徒への攻撃は、熾烈(しれつ)を極めるものでした。さらに、いづのめ教区の専従者、信徒は、いづのめ教団の地位や立場を失い、退職を余儀なくされ、教会施設から出て行かざるを得なくなるなど、大変な状態になりました。激動の中、私は、感情が先立ち怒りの思いが噴出しました。
しかし、神様は両方とも一つのものとして赦して、救って、ご自分の子供として迎え入れてくださろうとしていること、今の悩みが陣痛であるならば、天国という私の中心には、すでに新しいものが存在し働いておられることを教主様のご教導から学ばせていただきました。教主様は、常に神様中心の世界に私たちを導いてくださいました。
また、聖地や教会で祭典を執り行えないことに関しても、教主様から、私たちの中には、聖地や教会を始め万物すべてが備わっていることをご教導いただきました。これまでの信仰は、目に見えるものだけで測っていた唯物的な観方であったとつくづく思いました。
その後、令和元年9月30日、主之光教団、いづのめ教区、東方之光教区が一つ教団として歩む「新体制」が発足。
本年2月4日「立春祭」――明主様が昭和25年2月4日に「世界救世(メシヤ)教」を開教されてより70年目の吉き日に、「世界メシア教」の復活が許されました。
一人ひとりに試練が与えられ、一人ひとりが真に向かうべき道を、自らに問いただす時期であったのかもしれません。その試練に遭遇したからこそ、私たちは、明主様が立ち上げてくださったメシア教への参画が許されたのであったと思います。
しかし、メシア教が復活してすぐに、新型コロナウイルスの影響が世界中に拡大し、大勢の感染者と死者が発生し、教団でも行事や集会がほとんどできない状況となりました。神様は、私たちに何に気づいてほしいのかを思索していた時、教主様の後継者であられる真明様より、「真のご浄霊とは―新時代を切り拓く教主様のお言葉―」と題する玉稿を賜りました。
本当のご浄霊の御手とは、私たち一人ひとりの中にある神様の御手であること。神様は、私たちの心をお使いになって、すべての人の想念を神様の御手によって包み、ご自分のもとに迎え入れて、全人類の救いの御用を進めておられること。その業こそが真のご浄霊であることをご教示賜りました。
教主様との出会いを通して、「創造の神・主神は生きておられます。皆様お一人お一人の中に生きておられます」ということを常に自らに問い続けてきました。また、熊本地震の時に賜った、「私たちは弱いものであります。だからこそ、神様が自分の中で生きておられることを信じ、その神様の赦しと命の力を全身にお受けさせていただきましょう」との教主様のメッセージが、熊本地震の被災者と共に涙した時の最大の救いでした。痛みや叫びを神様が聞いて受け止めてくださり、大きな救いを賜り、皆の命を甦らせてくださいました。
そのことが、まさに神様が真のご浄霊をしてくださっている姿だったのだと、真明様の玉稿を拝読させていただいて、痛感いたしました。
神様はいつでも、どこでも私の中にいらっしゃり、私の思い―想念―を受け止めて全人類の救いの御用を進めておられる。人と話している時や一人の時など、日々の生活のすべての中で。私は、意識的に神様に心を向け、自分に集められたさまざまな思いを神様にお委ねするように努めています。想念の御用そのものが真のご浄霊の御用であり、神様に思い―想念―をお委ねする還流の御用にお仕えさせていただけることだと思います。
まだまだ、新型コロナウイルスの影響で、多くの方々にお会いすることが叶いませんが、その方々に思いを馳せ、主神の御手に包み込んでくださっていることを認めることを通して、ご浄霊の業にお仕えさせていただけていることに感謝の思いでいっぱいです。
ご浄霊の奇蹟によって明主様とご縁をいただき、ご浄霊の救いによって大勢の人々を幸せに導きたいと、専従の道を志した私でした。今まで私が持っていた浄霊観は、神様の霊光を自分の手を通して間配らせていただくという、あまりにも人間力の強いものであったと思わざるを得ませんでした。本当のご浄霊の御手とは、私たち一人ひとりの中にある神様の御手である。さらに、手を掲げる浄霊での救いから、想念そのものが浄霊であるとの、明主様の本当の救いに導かれることが許されました。
明主様が本当に願われた救い――一人ひとりの中に、主神の分霊たるメシアの御霊が存在し、燦然と輝く大光明の光があり、聖地、教会も存在している。そのメシアの御名にある救いを、自らがしっかりと受け止め、多くの方々に告げ知らせていく。
つまり、明主様を模範として、神様の子たるメシアとして新しく生まれるとのみ旨に従って生きていく世界に、飛び込ませていただくことだと思います。
昭和59年からの長年にわたる教団浄化も、組織などを中心とした人間中心の信仰から、教主様を中心とした神様中心の信仰への転換であり、63年間伏せられていた明主様のみ心である世界メシア教を復活させてくださるための営みではなかったかと、思われて仕方がありません。
この道にお導きくださったのが教主様です。もし、教主様との出会いがなかったら、いまだに人間中心の信仰の中で堂々巡りをしている私であったと思います。
これからも、しっかりと教主様のご教導を受け止め、〝どこまでも教主様と一つ心に〟、夢と希望をもってメシア教の救いに向けて歩んでまいります。
『グローリー』No. 5, 2020/6月号掲載