※英語とポルトガル語でなされたビデオメッセージの和訳

 

一昨年から去年にかけて、私は皆様にお会いし、そして、一つの、とてもシンプルな──同時に極めて重大な──問いを投げかけました。それは、「イエス・キリストとは誰なのか?」「明主様の信徒である私たちにとって、イエス・キリストとは誰なのか?」というものです。
 なぜこの問いは重大なのか。それは、全世界のほぼすべての人々が、イエスこそが唯一のメシアだと信じているから。しかし明主様は、メシアとして新しく生まれたとおっしゃった。だからです。
 私たちは、この問いかけをなさねばなりません、否、私たちは、この問いから目を背けることができるというのでしょうか?果たして、この問いから逃れることができるというのでしょうか?
 そして私は、この問いへの答えを出すには、まず、乗り越えなければならないことがあると申し上げました。それは、「私たちは、明主様に100%従いたいのか否か」ということです。「明主様の信徒として、明主様に100%従い、メシアとして新しく生まれたいのか否か」ということです。
 もし、「否」「私は新しく生まれません」「明主様は唯一のメシアです」と言うならば、その意味するところは、イエスと、すべてのキリスト教徒の否定ということになります。なぜならば、キリスト教徒はイエスを唯一のメシアと信じているからです。そして、もし明主様が唯一のメシアであるならば、世界が救われるには、キリスト教徒はイエスを見捨てなければならないことになります。皆様は、そのようなことが起こると、本当に思われますでしょうか?
 皆様は、「いや違う、イエスは否定していない」と言われるかもしれません。そして、「イエスは過去のメシアで、明主様は現代のメシアだ」「だからイエスは否定していない」と言われるかもしれません。しかし、もしこの考え方を持つならば、それは、これから先、明主様に取って代わるメシアが現れる可能性があることになります。このようなことを私たちは望んでいるというのでしょうか?もしその「将来のメシア」が現れたら、私たちは明主様を見捨てるというのでしょうか?見捨てるはずはないですね。
 あるいは、「私はこのような議論はしたくない」「私は明主様に救われた、それで充分なのだ」「明主様は私のメシアであり、私たちのメシアだ」と言われたい方もいらっしゃるかもしれません。しかしこれでは、キリスト教徒を救う、という問題が一切解決されません。そうではありませんか?
 私のこの問題に対する答えは、極めてシンプルです。「はい」。「はい、私たちは明主様に100%従わなければなりません」「はい、私たちはどこまでも明主様に従わなければなりません」。私たちは、明主様に従い、神様の子供であるメシアとして新しく生まれなければなりません。それが私の答えです。
 私たち一人ひとりは、選択を迫られている、と思います。明主様を唯一のメシアだと言うのか、明主様は現代のメシアだと言うのか、それとも、明主様は「私のメシアだ」と言うのか。しかし皆様が、この3つの内のどれを選んだとしても、それは、イエスとキリスト教の否定ということになります。
 しかし、実は、本当のことを言うと、私たちは、選択をする立場にはないのです。なぜならば、いかに私たちが否定しようが、拒否しようが、神様が私たちの中に生きていらっしゃるということを変えることはできないからです。メシアと名の付いた魂が私たちの中に存在している、という事実を変えることはできないからです。そして、その魂と一つになり、神様の子供として新しく生まれるという私たちの運命から、逃れることはできないからです。
 私たちに、選択の余地はないのです。なぜならば、これは真実だからです。神様の心は、私たちが何を思おうが、何を信じようが、決して変わるものではありません。神様がお一人であるならば、神様の御心は一つしかあり得ません。神様がお一人であるならば、一つの真実しか存在し得ません。神様は一つ、御心は一つ、真実は一つ。
 皆様。皆様は、「神様の子供であるメシアとして新しく生まれなければならない」ということを聞いたとしても、決して驚くべきことではありません。なぜならば、明主様は、「あなたがたは神にならなければならない」と仰せだからです。明主様は、「人間堕落すれば獣となり、向上すれば神となる」(「善と悪」)と仰せです。さらに私は言わなければなりません。イエスも私たちが神であると指摘しているのです(「ヨハネによる福音書」第1034節)。明主様も、そしてイエスも、私たちは神にならねばならないと言っているのです。神性人間にならねばならないと言っているのです。
 明主様は、まさにこのことを成し遂げられたのではないですか?天の国に上がり、神様とお目にかかり、神様と一つになられ、そして、神に、つまり、神性人間になられたのではないですか?明主様とイエスは、特別な人だけではなく、人間、誰もが神にならねばならないと言っているのではないですか?
 そしてこれは不可能なことではないのです。なぜならば、人間の子供は、子供であっても、人間であることには間違いがありません。であるならば、神様の子供は、子供であっても、神であることに間違いはないからです。
 皆様には、決して「すでに私たちは神様の子供である」という思い違いをしていただきたくありません。私たちは、まだ、神様の子供ではないのです。すでにそうであるならば、なぜ明主様は「新しく生まれる」と言われなければならなかったのでしょうか?なぜイエスは、「誰でも新しく生まれなければ、神の国を見ることはできない」(「ヨハネによる福音書」第33節)と言わなければならなかったのでしょうか?明主様が「新しく生まれる」とおっしゃったということは、どなたかが「生んだ」ことを前提としていますね。それは明主様のこの世でのご両親でしょうか?違いますね。間違いなく、神様ではないでしょうか。明主様の本当の親であり、天上にいらっしゃる父である、神様ではないでしょうか。つまり、明主様は、「新しく生まれる」とおっしゃったことにより、即ち、「神様の子供となった」ということも同時に示されたのです。
 ですから、もし皆様がまだ新しく生まれていないのであれば、皆様は、まだ神様の子供ではありません。私たちは、まだ、神様の子供ではないのです。私たちは、まだ、天の父にお目にかかったことはないのです。
 「天の父にお目にかかること」。これ以上の幸せがこの世にあるでしょうか?私たちは誰でも、幸せになりたいと願っていますね。そうではないですか?昨日も今日も、また明日も、そして今この瞬間も、幸せになりたいと願っている。そして私たちは、幸せになれるのです。明主様と同じように、天に上がって、そして神様にお目にかかることができれば、幸せになれるのです。そしてこれは、決して夢物語ではないのです。なぜならば、神様は私たちの中に生きていらっしゃるからです。私たち一人ひとりの中に、生きていらっしゃるからです。

 

「イエス・キリストとは誰なのか?」。
 本日、私は、皆様に申し上げたいと思います。イエスは、メシアであります。私たちの罪を──全人類の罪を──ご自身の血によってい、そして世界を永遠に変えてしまったのがイエスであります。しかし、それだけではありません。イエスは、誰でも、神の国を見るためには新しく生まれなければならないという言葉をした人物でもあります。そして明主様は、二千年の時を経て、このイエスの願いを成し遂げ、メシアとして新しく生まれられたのです。二千年もの間、誰も、誰も、このことを成し遂げることはできなかったのです。いつも言いますように、イエスは、永遠にメシアであります。明主様も、永遠にメシアであります。そして皆様も同じようにならねばならないのです。
 「明主様がメシアであるのに、どうしてイエスもメシアであることが可能なのか」と思われる方もいらっしゃるでしょう。神様は唯一の神様です。しかし、その唯一の神様は私たち一人ひとりの中に生きておられ、私たちはその神様と一つにならなければなりません。メシアと名の付いた魂は唯一の魂です。しかしその魂は私たち一人ひとりの中に存在し、私たちはその魂と一つにならなければなりません。神様はお一方であると同時に、すべてのものの中に存在する。メシアと名の付いた魂は一つであると同時に、すべてのものの中に存在する。
 また、私たちの語っていることが、キリスト教の教えみたいだと言われる方。どうぞ、「キリスト教徒の使命とは、メシアとして新しく生まれることである」と信じる方を探し出してきてください。
 私たちは、全く違います。私たちは、世にある一般的なキリスト教を遥かに超える存在です。明主様は、神様の子供として新しくお生まれになったことにより、神様の真実を、そしてイエスの真実を私たちにお示しになったのです。私たちの使命は、この真実を世にもたらすことです。イエスが二千年前、に願っていたを完成させること、これが私たちの使命です。なんと重大な使命なのでしょうか。私たちの救いの、なんと壮大なことでしょうか。
 そして、この道を示してくださったのは、教主様です。教主様が、明主様ののみ心を私たちにお伝えくださっているのです。私は、このことを深く心に刻み、この先も皆様と共に前進してまいる決意です。
 ありがとうございました。
 皆様に神様の祝福がありますように。そして、神様が、私たち一人ひとりの中に存在するメシアの教会を祝福してくださいますように。

 

 

印刷用PDF: 真明様メッセージ 「真実の道」2020年7月

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