神静教区 教区長
東忠宏
私が教主様に初めて直接お目にかかったのは、平成16年2月のいづのめ教団で執り行われた立春祭のときでした。
当時はまだ結婚前でしたが、妻が立春祭前に、ある理由から信仰をやめたいと言ってきました。その後、妻は夢で「聖地に帰ってきなさい」という声を聞き、立春祭への参拝を決意して、私も一緒に参拝させていただきました。
教主様のお声を初めて聞いたときに妻は、「夢の中で聞いた声だ」と言い、とても驚いていました。誠に申し訳ないことに、当時教主様がおっしゃっていた内容は私には理解できませんでしたが、普通のお方ではない、特別なお方であることは間違いない、というのが第一印象でした。
私は信仰二世です。母親が熱心な信徒でした。私が小さい頃は家族全員で信仰をしていたのですが、30数年前の教団浄化を機に、父親は信仰を批判するようになりました。その影響から、私も含めた兄弟全員が信仰から離れ、母親だけが信仰を続けていました。母親は当時の信仰指導に従い、家族を代表して曇りを払拭するために徳積みを大切にし、家族をないがしろにしてでも人様のためにと御用に走り回っていました。その結果、だんだん家族との気持ちの温度差が開き、両親はいつもけんかが絶えず、家庭天国とは程遠い状態でした。私はと言えば、学生時代は、順調に信仰の道から正反対の道を歩んでいました。髪を染め、けんかばかりして、親を泣かせたことも数知れずでした。
その後、ある会社に就職しましたが、その会社は違法な営業をしていて、悪いこととは頭で理解しながらも、辞められずにいました。そこでの仲間と、毎日悪いことをしながら遊びほうけていました。しかし、心が満たされることは決してありませんでした。
このような生活が1年間続いた頃に転機がありました。「あなたを信じて契約したのに」「だまされた」というクレームが、1週間、毎日続きました。もともと信仰家庭で育ちましたので、悪いことをしているときでも、なんとなく神様という存在を否定できずに、どこかで悪くなりきれない自分がいました。1週間後、きっぱりと会社を辞めました。漠然と、今度は罪滅ぼしのために何か良いことをしないといけないと思い始めていました。
ちょうどそのときに、地元の布教所の所長から、一度会おうという連絡をいただきました。昔から、面白いお兄さんというイメージの方だったので会うことを決めて、久しぶりに布教所に行きました。そこで、「海外に行ける研修があるから参加してみないか」というお話をいただきました。海外に行ったこともなかったので、人生を変えるために思い切って参加することを決意しました。
しかし、当然試験がありました。信仰をしていない期間が長かった私は、試験で解答を書けるわけもなく、好きな聖言を書きなさいという質問にも答えられず、ほぼ白紙の状態でした。面接で初めて、この研修が、世界布教を目指す青年の研修ということを知りました。
神様はどう思われたのか、その後、追試を受けることになりました。50数名が試験を受け、13名だけが合格したのですが、そのうちの1人に私は選ばれたのです。
それまで悪いことしかしてこなかった私が、突然、教団の研修生という立場をいただき、お仕えさせていただくことになりました。平成11年のことでした。
そこで知り合った青年たちは、私が今までに出会った青年たちとは全く違っていました。人の幸せを願って涙する青年の姿は、私にとって衝撃的でした。すぐに私も感化されていきました。同世代の12人の仲間との共同生活の中で、仲間たちは、私にとって第二の家族のような大切な存在になっていきました。
研修生になってから初めて、浄霊を自らの意志でさせていただくようになり、すぐに奇蹟を何度も体験させていただきました。また、海外で本教が発展している状況を目の当たりにして、〝明主様の聖言が全世界に広がれば、本当に地上天国はできる〟と思えるようになり、次第に専従者としてご神業にお仕えさせていただきたいという思いが強くなっていきました。
平成16年9月、専従者としてお仕えさせていただくことをお許しいただきました。初めに国際部に配属され、タイで1年、韓国で6年、その後、北陸関西教区の富山県を中心とした北陸地方で布教にお仕えさせていただきました。
専従者として教主様から多くのお言葉を賜っていましたが、私にとって、教主様のお言葉は難しいという印象がありました。今振り返って当時のことを思えば、それほど聖言も勉強してきていない私でさえ、知らず識らず、明主様の聖言はこうだと決めているものがあり、その中で教主様のお言葉を拝読させていただいていたので、全くと言っていいほど理解できずにいました。
しかし信徒の方々には、さも自分は分かったかのように、教主様のお言葉をつまみ食いをしてはお伝えしていました。今までの信仰で使えるところだけを切り取ってお伝えしていくという、誠に申し訳ないことをずっとしてきたように思います。当然、そのことに対する申し訳なさなどは、全く感じていない私でした。今振り返りますと、本当に畏れ多いことをずっとしてきたことに対して、申し訳ない思いでいっぱいです。
私が初めて教主様のお言葉の重要性に目覚めさせていただけたのは、平成28年4月14日に平安郷にて行われた、「岡田真明様と若手専従者との懇談会」に参加をお許しいただいたときでした。
その日、私は前日まで高熱にうなされていたため、まだ少し頭がもうろうとした状態で参加させていただきましたが、初めて真明様から直接ご教示いただいた内容があまりにも衝撃的でした。自分は全く教主様のお言葉を分かっていなかった。それどころか、明主様の聖言も全く分かっていなかったということを、分からされました。それほど誇れるような信仰実践も経験もありませんでしたが、〝一度全部お返ししないといけない〟と思わせていただきました。
その後、すべての「岡田真明様と若手専従者との懇談会」の資料を何回も学ばせていただき、だんだんと、教主様のお言葉の真意はこうなのかなということが見えかけてきたように感じました。〝自分のものは何一つとしてない。すべては神様のものである。自分はどこから来て、どこに向かうのか。今までの信仰とは全く違う。むしろ正反対だったのかもしれない〟と思うようになりました。
平成29年2月4日の立春祭に、教主様が立ち上がってくださり、教団浄化が表面化しました。
しばらくして執行部から、教主様に恭順することが打ち出されました。5月1日には、そのことが信徒の前で発表されました。
当時、「岡田真明様と若手専従者との懇談会」の資料は、専従者間でしか共有してはいけないこととなっていましたが、この発表に伴い、当時の教会長の樋口理事に、信徒の方々にも、「岡田真明様と若手専従者との懇談会」の資料を学ばせていただくことをお願いしました。樋口理事も了解くださり、それからは毎日、信徒の方々と懇談会の資料を学ばせていただきました。
すぐに信徒の方々も教主様のお言葉の重要性に気づかれ、〝全く新しい信仰に目覚めないといけない。今までの信仰のままだといけない〟という雰囲気が、強く出てきました。
教団浄化がだんだん大きくなるにつれ、信徒の思いも一つになっていき、富山教会につながる富山県と上越市の浄霊センターでは、誰一人として、いづのめ教団に残るという選択をされませんでした。当時の信者さんの決意に感謝するとともに、そのように導いてくださった神様をお讃えさせていただきました。
平成30年6月1、2日と、教団浄化の真っただ中で、全世界に先駆けて教主様が富山教会にご巡教くださいました。教主様の、信徒を思うお心に感動しっぱなしで、私にとって、とてつもなく大きなプレゼントをお許しいただけました。
私の中では、誰がなんと言おうと教主様に付いていく、という思いを確固たるものにさせていただいていました。
当時、私はいづのめ教団の専従者でしたので、教主様に付いていくことを決めたら、退職を覚悟しないといけませんでした。妻にそのことをありのまま話をすると、「教団は教主様のものでしょう。教主様に付いていくのは当然だから、自分の信念を曲げてまで、いづのめ教団にしがみつくような格好悪いことはしないで。生活ならなんとでもなるから。後から後悔するようなことは絶対しないで」と言ってもらい、涙が出るほどうれしかったことを忘れません。このように家族も導いてくださった主神に感謝申し上げました。
いづのめ教団を退職し、これで思う存分、教主様のもとで全く新しい信仰にお仕えさせていただけると喜びに満ちあふれていました。
それからの、教団が整えられていくスピードは想像もできませんでした。あっという間に、世界メシア教にお仕えすることをお許しいただけたと思うと、今回の教団浄化の大いなる意義を感じずにはいられません。
令和2年4月21日より、新たに、神静教区長の御用をいただきました。私にとってはあまりにも荷が重すぎました。この御用をお受けさせていただくために覚悟を決めなければいけないと思わされました。
明主様のみ心を現界にて顕現なさるる教主様の思いを、常にいち早くお受けすること。
最も見つめなければならないのは教主様であること。
このことを明確にし、その上で、信徒の方々の声は、自らの赦された姿としてご奉告申し上げることに努めていくこと。
これらのことを、常に忘れないようにさせていただいています。
その中で、私は罪深い人間で、本当はイエス・キリストのようにむち打ちをされ、十字架に上がらなければならないような存在であるということを、だんだん強く思わされるようになっていきました。同時に、イエスが贖ってくださり、明主様が新しく生まれる道を示してくださったおかげで、罪赦されたものとして、教主様のもとで神様の子供として新しく生まれるための御用にお仕えさせていただけていることへの感謝があふれ出てきました。
教主様のおかげで、私は悔い改めることをお赦しいただけました。何よりのご守護をいただけました。教主様と一つ心に、「聖旨」の精神に則って進んでまいりたいと思います。
明主様が遺してくださったキリスト教と呼応するということを、形の上のことばかりを考えていました。しかし本当は、イエスも十二使徒も私の中にいらっしゃる。十二使徒は、迫害を受けてでも、自分の命を捨ててでも、神様の御心を全世界にお届けになるみ業にお仕えになった。すごい覚悟だと思います。世界メシア教の専従者としてお使いいただくためには、そのような覚悟が必要だと感じるとともに、その十二使徒の思いも自分の中に置いていただいている、と強く自覚することが大切だと思わせていただいています。
私は、教主様にお会いできなければ、今年の七月度月次祭で真明様がご教示くださったように、獣の子として人生を終えていたと思います。
教主様がいてくださったおかげで、人生を180度変えることが許されました。
この先どんなことがあろうとも、この感謝は決して忘れません。
このようなことはまずありえませんが、もし教主様より、信徒の全員がお受けできないようなご教導があったとしても、私は真っ先にお受けしきる覚悟です。どのようなことであっても、喜んでお受けしきる覚悟です。
世界メシア教の専従者として、この、お受けしきる覚悟がなくなれば、またすぐに神様から今回のような教団浄化をいただくかもしれません。
われわれ世界メシア教として進む方向ははっきりしていますので、その道を教主様のもと、この先何があっても私の生涯をかけてお仕えさせていただきます。
『グローリー』No. 7, 2020/8月号掲載