※英語とポルトガル語でなされたビデオメッセージの和訳
66年前、4月19日、ご昇天まで10か月、明主様は、あるご浄化をお受けになります。脳溢血です。
ご浄化中、明主様は、あることを繰り返し繰り返しお宣べになりました。それは、私たち明主様の信徒にとり、極めて重大で大切なことでありました。
明主様は、「これから想念の世界である」──つまり「心」と「思い」の世界であるということですね──「これから想念の世界である。御浄霊は二の問題で、まず想念である。お念じしなさい」とおっしゃった。
繰り返します。明主様は、「これから想念の世界である。御浄霊は二の問題で、まず想念である。お念じしなさい」とおっしゃった。
皆様の多くは、この明主様の御言葉を、今日まで、あるいはごく最近までご存じではなかったかもしれません。しかしこの御言葉を知った今、皆様は、どうされますでしょうか?
私たちはどうすればよいのでしょうか?ただ無視すればよいのでしょうか?あるいは、今まで行ってきた活動が継続できるよう、自分たちの都合の良いように解釈すればいいのでしょうか?それとも、この御言葉を、そのまま、真正面からお受けすべきなのでしょうか?
確認しておかなければなりませんが、「これから想念の世界である。御浄霊は二の問題」である──これは、教主様がおっしゃったことではないですよ。明主様がおっしゃったことです。ご浄霊は二の問題であると、明主様がおっしゃったのです。
はっきり申し上げて、私たちは、この明主様の御言葉を、長い間無視してきたのです。この御言葉は、1955年、明主様ご昇天直後に、教団の機関誌に掲載されたものです(『地上天国』68号)。しかし私たちは、明主様が「二の問題」であるとおっしゃっているにもかかわらず、長年、「ご浄霊は私たちにとって最も大切なものだ」と言って、明主様の御言葉を無視し続けてきたのです。
いつか天上に行き、明主様にお会いした時、明主様から、「私は、浄霊は二の問題である、これから想念の世界であると言った。覚えているね。あなたはこのことについて、何をしましたか?」と聞かれるかもしれません。
あなたはこの質問にどのように答えますか?明主様に何と言いますか?
私たちは、決断しなければならないのです。この明主様のご浄霊と想念の御言葉に対しどのように向き合うのか、一人ひとりが決断しなければならないのです。
この御言葉を無視、あるいは、自分に都合の良いように解釈すると決断した方たちに、私から申し上げることは何もありません。彼らが、いつか明主様の真の信徒となる日が来ることを祈るのみであります。
一方、この御言葉をお受けしたい、明主様を心の底から信じたいという方たちには、良い知らせがあります──皆様方には教主様がいらっしゃいます。
この明主様の御言葉をそのまま受け入れるならば、私たちは、これ以上、ご浄霊をご神業の中心とすることはできません。なぜなら明主様は、ご浄霊は二の問題だとおっしゃっているからです。私たちは、明主様が二の問題だとおっしゃったことを、どうやって続けていこうというのでしょうか?
しかし、私たちにとって、ご浄霊を完全に手放すのは大変厳しいことですね。
でも、教主様は、ご浄霊を手放さなくてよいとおっしゃっているのです。
教主様は、私たちが手を掲げるご浄霊が本当のご浄霊なのではなく、本当のご浄霊とは、神様によってなされているのだとお説きくださっています。
神様は、私たち一人ひとりの中で、全人類の中で、ご浄霊の御手を掲げてくださっています。そして、私たち一人ひとりに光を放ってくださっているのです。それは、私たちが、光があるところ──神様がいらっしゃるところ──に帰り、そして、神様と一つになり、神様と共に天国で住むことができるように、です。
明主様は、「御浄霊は二の問題」だとおっしゃった。教主様は、この御言葉を遺された明主様の真意は、これからは、手を掲げるご浄霊は二の問題である、ということだったのではないか、とお説きくださっております。
明主様は、「これから想念の世界である」「まず想念である。お念じしなさい」とおっしゃった。教主様は、この御言葉を遺された明主様の真意は、私たちが、神様と神様のご浄霊の御手が私たちの中に存在していること、そして、真のご浄霊の業は、神様によって、常に私たちの中で行われていることを認めなさい、ということだったのではないか、とお説きくださっております。
教主様は、明主様の最晩年の御言葉は、これから神様は、私たちの掲げるご浄霊の手ではなく、私たちの心を通してご自身の救いを進めていかれることをお示しになったものではなかったのかと、そうおっしゃっているのです。
では、「心を通しての救い」とは一体何なのでしょうか?
私たちは、日々の暮らしの中で、さまざまなことを通して──特に家族や友達や近所の方々との関係において──多くの思いが心に去来してきますね。
そのような思いは、なぜ私たちの心に現れてくるのか。それは、神様が、私たちの心をご自身の光によって照らしているからです。光は影を生み出しますね。それと同じことではないでしょうか。心に感じるマイナスのような思いは、影のようなものなのではないでしょうか。
神様の光が、私たちの心を照らしている。それによって、影を見せてくださっているのです。そしてそれは、神様がその影の部分を救うためであります。
私たちの役目は、感じたことを、そのまま、ありのまま、神様の御手にお捧げすることです。なぜなら神様は、私たちに向かって常にご浄霊の御手を掲げてくださっているから、そして、私たちの心を常に照らしてくださっているからです。
明主様は、「お念じしなさい」、つまり「お祈りしなさい」とおっしゃった。それが私たち明主様信徒の務めであるとお示しくださった。ですから私たちは、感じ、思うことのすべてを、神様の御手にお捧げするというお祈りをさせていただこうではありませんか。なぜならそれが、「想念の世界」における真のご浄霊の業にお仕えする道だからです。
私は、もう一つ申し上げなければなりません。明主様は、「これから想念の世界である。御浄霊は二の問題」であると仰せになりましたが、明主様は、この時、ご浄霊のことのみが「二の問題」であると仰せになったのでしょうか?
私はそうは思いません。
私は、明主様は、自然農法や芸術を含めた、目に見える形の活動すべてについて、それらは「二の問題」であると仰せになったのだと受け止めております。
明主様は、「これから想念の世界である」とおっしゃった。想念の時代に入ったのだと仰せです。心と思いの時代に入ったのだと仰せです。
心や思いは目には見えませんね。その、目には見えないものが主となる時代に入ったのだと仰せなのですから、それまでは、私たちは、目に見えるものが主である時代にいた、ということですね。
そして、明主様が最晩年の御言葉を遺された時、教団で最も大切にされていた、目に見える活動とは何だったのでしょうか。浄霊、ですね。
つまり、「御浄霊は二の問題」であって、「これから想念の世界である」という御言葉を通して、明主様は、これから神様の救いのみ業は、ご浄霊を始めとする形ある活動、目に見える活動を通して行われるのではない。そうではなくて、神様は、これからは、心や思いといった、目に見えないものを通してご自身の救いを進めていかれることを明主様はお示しになっていたのではないでしょうか。
明主様の、なんと革命的なことでしょう。
明主様は、ご自身の信徒がいかにご浄霊を頼りにしていたか、当然、ご存じであったでありましょう。それでも明主様は「御浄霊は二の問題」とおっしゃったのです。新時代に入ったのだと、そうお示しになったのです。それは一体なぜでしょうか?神様が明主様にそのようにお伝えになったからではないのですか?神様が明主様に、「これから私は全人類の心を通して救いを進める」とおっしゃったからではないのですか?
明主様は、この神様の御心をお受けになり、私たち信徒にとって極めて重大なメッセージを遺されたのです。
であれば、私たちは、どうしてこのメッセージを無視することができるというのでしょうか?どうしてこのメッセージから目を背けることができるというのでしょうか?
決して忘れてはならないこと──それは、明主様がこのメッセージをお示しになった時、明主様は、脳溢血から来る痛みの中にあられたのです。痛みの中にあって、このメッセージを遺してくださったのです。なぜ明主様はそこまでしてくださったのでしょうか。それは、私たちのためではないのですか?全人類のためではないのですか?全人類の救いのためではないのですか?
そうであるならば、このメッセージを知った今、私たちは、どうやってこのメッセージを無視することができるというのでしょうか?そのようなことをしてもよいというのでしょうか?
また、私たちが心に刻んでおかなければならないこと──それは、明主様は、このメッセージを、すでに60年以上も前にお遺しになったのです。
「これから想念の世界である。御浄霊は二の問題」である。明主様は、このメッセージを、60年以上も前にお遺しになったのです。
目覚めなければならない時が、ついに来たのではないでしょうか。私たちは、目覚めなければならないのです。もはや、これ以上、明主様が遺されたものから目を背け続けることはできないのです。そのようなことが許されるとでもいうのでしょうか。
明主様と明主様の真のみ心を受け入れること──そうしなければならない時が、ついに来たのです。
私たちは、私たちが、このように明主様の真のみ心をお受けできるようにしてくださった教主様に、感謝しなければなりません。
本当のことを言えば、「感謝」という言葉では不十分ではないでしょうか。感情や思いを神様にお捧げすることの大切さを教えてくださったのはどなたでしょうか?ご浄霊の真の意味を教えてくださったのはどなたでしょうか?明主様の真のみ心を教えてくださったのはどなたでしょうか?
教主様がいらっしゃらなければ──教主様がいらっしゃらなければ──私たちは、今でも闇の中にさまよい、自分たちにとって都合の良いご神業のあり方で進み続けていたのではないでしょうか。教主様がいらっしゃらなければ、私たちは、今でも明主様と、明主様の真のメッセージを無視し続けていたのではないでしょうか。私たちは、この事実を深く心に刻み、教主様を通して明らかにされている明主様の新しい信仰につき、決してその手柄を自分たちのものとしないよう注意しなければならないと思います。
最後に──明主様は、メシアの御名は、最後の世を救う尊い御名であると仰せになりました。であるならば、私たちは、全人類の救いのため、何をするにしても、メシアの御名によってさせていただきたいと思います。
ありがとうございました。
神様の恵みが皆様方の上にありますように。
印刷用PDF: 真明様メッセージNo. 2 「新時代へ」 2020年9月