まず、天国に

《明主様》

今までの宗教は教祖が地獄に堕ちて苦しみ乍ら、人を押し上げて救うのであるが、私はその反対に自分が先ず天国に上り、不幸な人を引張り上げて救うのであって、信者にしてもその通りである。というのは天国的宗教であるからで、この様な劃期的宗教は初めて生まれたものであって、これがため以前はよく誤解されたものだが、今日は大分判って来たようで、私は満足に思っている。
1953129日「私の文章とその他」)

 

《教主様》

私どもは、主神が用意された命の道を通って、天国から地上に遣わされ、この世に生を賜りました。
 そして今、メシアの御名にあって、その道を通って天国に帰らせていただけるのです。
 私どもは、人間の子供ではなく、神様の子供となるために生まれさせていただいたのです。
 そうであるならば、私どもは、すべてのものと共に、メシアの御名にあって、赦され、救われたものとして、すべての源である天国に立ち返らせていただき、〝全人類をご自身の子供とする〟という主神の創造のみ業にお仕えさせていただく務めがあると思います。
 この主神のみ業にお仕えさせていただくことが、明主様が指し示された「地上天国建設」や「人類救済」の御用に真にお仕えさせていただくことである、と私は信じております。
201878日「祖霊大祭」)

 

《真明様》

「病貧争絶無の世界」は、この地上でしか存在し得ないと思い込んで頑張ってきたと。でも、その世界が、自分の中にあるのか無いのかというのは、大きな違いだと思います。小さなことみたいですけれども、大きな違いがあると思います。その世界が、明主様だけでなく、我々一人ひとりの中にも確かにあるんだと、そう明主様は確信しておられた。だから、「本教救いの特異性」の御教えの中で、信徒全員に対して、救いに携わりたいのならば、まず天国に上がりなさいとおっしゃることができたのだと思います。そして、我々の中に天国があって、そこに結ばれていくことが救いであるとみ教えくださった。それが「あらゆる宗教と異なる点でむしろ反対でさえある」とおっしゃった。では、あらゆる宗教のやり方はなんですか? 天国をこの地上に、人間の手だけで造ろうとするやり方ではないですか? 病貧争絶無の世界を人間の手だけで造ろうとするのが、普通の宗教のやり方ではないですか? だけど、明主様は、我々の救いの特異性というのは、まず天国に上がるんだと。病貧争絶無の世界に上がるんだと。そして、その力がこの地上に映し出されていけば、そういう世界は確実にできていくと、そういうことですよね。
 だから、天国が一人ひとりの中にあるのか、無いのか。ここの差が、小さい差なんですけれども、大きいんですよ。「本教救いの特異性」もそうですし、「天国に世人救はむ望みもて吾先づ天国に住せむとすも」という御歌もありますよね。世人を天国に救おうとするならば、まず、自分が天国に住むと。そしてその天国というのは、病気も貧乏も争いもないところですよね。その世界の喜びに触れることができれば、その霊の世界の喜びが、霊主体従の法則によって、体の地上が従うように病貧争絶無の世界というのはできざるを得ないですよね。
2018107日「秋季大祭前日 理事・教区長他への真明様お話」)

 

『グローリー』No. 8, 2020/9月号掲載