於:本部ご神前

 

皆様、本日は、「世界メシア教 秋季大祭」おめでとうございます。
 先程の成井理事長のご挨拶にありましたように、昨年の930日、私どもは、明主様が全人類にもたらされた新しい救いの福音にお仕えすべく、多くの障害や困難を乗り越え、一丸となって新しい体制のもとに結束し、新しい未来に向かっての歩みを始めさせていただきました。
 主神は、明主様を通して、私どもがお互いの間に作っていた垣根を取り払ってくださり、それまでの所属や立場の違いを越え、また、年齢や経験の有る無しを越えて、明主様のもとに一つになって集うことを許してくださいました。
 この恵みに対し、私は改めて、主神と明主様に心からなる感謝を、皆様と共に捧げさせていただきたいと思います。
 この新体制の発足あればこそ、私どもは、本年24日の立春を期して、明主様が並々ならぬご決意をもってお付けになった「世界メシア教」の名によって出発することができましたことを思いますと、発足一周年を迎えた今日の日の感慨は一入であります。
 この一年間、皆様が明主様を真に求めつつ、私と思いを共にして歩んでくださいましたことを、心よりありがたく、嬉しく思っております。
 と同時に、私は、仲泊管長を始め、成井理事長、白澤副理事長、川谷副理事長を中心とする方々が私の意をよく体してご尽力くださっていることに感謝し、そのもとにある現在の体制に全幅の信頼を寄せております。
 今後とも、この体制がさらに充実することを願わせていただくとともに、明主様のお導きを賜りながら、自らの中にある古い信仰の殻から勇気をもって脱皮し、新しい信仰による新しい救いの道を、皆様と共にまっしぐらに進んでまいりたいと思っております。
 明主様の次のような御歌が、私どもに新しい心になるようにと語りかけてくださっています。
 「新しき世は新しき土の上に打樹てらるべきものにありなむ」

 

さて、誠に畏れ多いことではありますが、唯一の神・主神は、創造をお始めになる前、天国において、ご自身の魂と生命の息と共に、ご自身の意識を宿した霊の子供をお生みになり、メシアと名付けられました。
 主神は、天国からまず万物の霊を出されて、地上を天国の中の一部として創造されました。
 そうされた上で、主神は、地上に霊の子供をお遣わしになり、万物をお使いになって、個々別々に意識ある存在とされました。それが今の私どもであります。
 このように主神は、ご自身の意識を私どものもののように感じることができる意識、すなわち、自我意識を個々別々に持たせてくださいました。
 それは、私ども一人ひとりを意識ある存在として天国に立ち返らせ、ご自身の子供として再び生まれさせる、すなわち、新しく生まれさせるためであります。
 今、私どものもののように感じている、この自我意識は、私どものものではありません。主神のものであります。
 私どもは、この主神の意識を自分の善悪の尺度として使い、神よりも優った者のごとく驕り高ぶり、御前に罪ある者となっていました。
 私は、私どもが主神の意識を自分の意識のように感じるが故に、そのように罪ある者とならざるを得なかったのではないかと思います。
 意識の所有者であられる主神は、そうした罪ある私どもを赦し、自我の意識をご自身のものとして獲得して、ご自身の意識と融合し、私どもと一つになろうとしておられます。すなわち、ご自身の子となさろうとしておられます。
 その赦しを与えるために、主神は、どうしても罪の贖いを必要とされたのです。
 そこで主神は、イエスを世にお遣わしになり、その血汐と生命を捧げさせなければならなかったのではないでしょうか。
 主神は、イエスの魂と共に、その血汐をお受け取りになり、贖いの御血汐とされ、イエスを甦らせ、ご自身の子たるキリスト、すなわち、メシアとされると同時に、全人類を無罪とされ、天国も地上も、霊界も現界も、永遠の生命と神の栄光が輝く、闇のない全く新しい世界に造り替えてくださいました。
 その約二千年後、イエスのみならず、全人類をご自身の子供とするという主神の真のみ旨とその救いのみ業を全地球にもたらすべく遣わされた明主様は、この全く新しい世界を「夜昼転換」という聖言をもってお受けになり、私どもを闇の世界から目覚めさせ、光と生命の中に導いてくださいました。
 そして、ご自身の使命を全うすべく、神の子たるメシアとして新しくお生まれになりました。
 それは、私ども全人類が、あらかじめ天国において、真の親である主神から賜っていた創造のみ旨を思い出し、そのみ旨に従って新しく生まれ、主神と共に永遠に生きるものとなるためであります。

 

全宇宙も私どもの中も、すでに溢れんばかりの光に隈なく満たされ、私どもの自我意識である心は解放され、すべてを新しいものに造り替えるという第二段階の創造の中で養い育てられています。
 だからこそ、明主様は、御歌に「光明は早射し初めぬ諸人よ心の扉うち開けかし」とお詠みになって、自分のものと思っている、その心を自分の中に大事にしまって、閉じ込めておくのではなく、心を開いて、主神の御手に委ねるように、と私どもに促しておられるのではないでしょうか。
 主神は、全人類を天国に迎え入れ、ご自身の子供とするという第二段階の創造を成し遂げるために、どうしても自我意識である私どもの心を必要としておられるのです。思いを必要としておられるのです。
 ですから、私どもは、主神に対し、〝あなたの意識を自分のものとしておりました。お赦しください。この意識を今、あなたに捧げさせていただきますので、あなたのみ旨の成し遂げられる御用にお使いいただきたいのです〟と素直に申し上げたほうがよいと思います。
 明主様が「我を去れ」と仰せになり、「我と執着を除る」とか「捨てる」ようお説きになったのは、このことだったのではないでしょうか。
 我や執着を、自分から遠ざけなければならないものと否定的に考える必要はないと思います。
 第一、捨てると言っても、すべては私どもの意識の中心に存在する天国という主神の想念の中に存在し、もはや贖われ、赦されたものとして主神の御手に治められているのですから、捨てるところなど、どこにもないのではないでしょうか。
 私どもの心とその想念の働きは、救いを求める多くの方々の頼みの綱なのです。
 主神は、先祖代々の方々の思いや、家族や身近な問題を始め、現在、地球上で渦巻いている大小様々な問題に対する世界中の人々の思いを、私どもの思いの中に集め、メシアの御名にある贖いの御血汐をお受けした私どもの思いを通して、罪赦されたものとして天国に迎え入れてくださっています。

 

明主様は、ご自身の使命を悟られて間もない昭和2年、次のような御歌をお詠みになりました。
 「神はなしと思ふ人には神はなしありとし思ふ人に神ます」
 私どもは、唯一の神様が存在することを明主様から知らされました。
 そのことを知ることができたということは、大変な恵みであると思います。
 しかしながら、明主様は、この御歌を通して、私どもが唯一の神様が存在するということを知識として知っているということで済ますのではなく、それを自分自身のこととして思うのか、思わないのか、それを一人ひとりに問うておられるように思います。
 神様は、私どもの創造主であられ、真の親であられますから、神様の思いの中には私どもが存在し、私どもに向かって常に、〝あなたはわたしの思いの中にいるよ〟と仰ってくださっていると思います。
 その神様に対し、私どもは一人ひとり、〝あなたはわたしの思いの中におられるのですね〟と思わせていただくという、その思いを発してお返事する必要があるのではないでしょうか。
 それと同じように、私どもは、イエス・キリストが神の赦しを乞いながら捧げられた血汐によって、全人類の罪が贖われ、赦されたことを知るものとならせていただいた以上、そのことを、何よりもまず、自分自身のこととして思わせていただかなければならないと思います。
 私どもは、その恵みにお応えし、神様に対して、〝あなたは、わたしのために御血汐を用意してくださり、わたしの罪を贖い、赦してくださったのですね〟と、このように申し上げる、その思いを神様はお待ちになっていると思います。
 このようにして、神様の赦しと恵みを自分自身のこととして思わせていただくことが、実は、すべてのものに救いをもたらすことになるのではないでしょうか。
 なぜならば、私どもは、天国のすべて、地上のすべてを身に受けている存在なのですから。

 

明主様は、数々の聖言をお伝えになり、様々なご神業をお進めになって、私どもを導いてくださいましたが、そのすべてを貫いているみ心は、私どもが何を考え、何を行うにしても、そこに働いておられる神様に対して、自らの思い、想念を向けるということではなかったのかと思います。
 だからこそ、明主様は、昭和29419日、脳溢血でお倒れになってから、「これから想念の世界である」と度々仰せになって、特に想念をもって神様にお仕えする時が到来したことを、私どもに何としても伝えてくださろうとしておられたのではないでしょうか。
 神様は、私どもを養い育てるために、一人ひとりの思い、想念を大切にしてくださっています。
 また、想念があるからこそ、私どもは、神様と思いを通わせることができ、お仕えすることができるのではないでしょうか。
 私どもは、神様が私どもの中に想念を持たせてくださったことに感謝し、私どもの想念をお使いになって成し遂げておられる救いのみ業に、すべてのものと共にお仕えさせていただきましょう。
 そうした思いを心に定め、世でなすべき務めに、また、様々な活動に邁進させていただきましょう。
 そのようにお仕えする私どもの姿を、神様がご自身のみ業の実りとして収穫なさろうと努力してくださっているのではないでしょうか。
 明主様の次のような御歌が今、私に臨んできているように感じられます。
 「長き世を仕組み賜ひし大神の刈りとる時のせまりけるかも」

 

私どものうちにあるメシアという御名の教会の救いと安らぎが、地球上のすべてのものに分け与えられますように。
 すべての栄光と権威と恵みを、メシアの御名と共なる主神に帰します。
 ありがとうございました。

 

印刷用PDF: 「世界メシア教 秋季大祭」教主様お言葉