PDF: 教主様との出会い_谷口まこ
神静教区 沼津教会
谷口 まこ
まず、『Glory』という、すばらしい場で教主様との出会いによる信仰、人生の大転換を振り返る機会をいただけたことに感謝申し上げます。すべてが神様の大きな愛による赦しの中でなされているということを、日々ひしひしと感じさせていただいています。
私は6人兄弟姉妹の3番目、次女として生まれました。信仰3世だった私は、物心がついたときには、毎日の朝夕拝、お日供のご奉仕に加え、聖地や教会への参拝、家庭月次祭などを当たり前のようにさせていただいていました。その中で、神様の浄霊による奇蹟をこの目で、数えあげればきりがないほど見させていただきました。
明主様を信じ、神様の存在を信じることは、私にとって至極当然で、自然なことでした。そのような奇蹟をたくさんいただいていたせいか、浄霊や「おひかり」を病気やけがを治す道具として考えていた幼いころの私は、「けがや体調を崩したときはまず浄霊」を徹底していました。浄霊による目に見える奇蹟のみを信じ、追い求めていた以前の姿は、今考えれば神様のものを自分のものとする、罪ある姿そのものでした。
小学生のときに、兄と姉に続くようにして入信させていただきました。幼いころから神様をずっと信じてきたので、やっと「おひかり」をいただけたという感覚でした。
入信後、私は、学生時代を通して青年活動に積極的に参加させていただきました。最初は、キャンプやクリスマス会などのイベントがただ楽しくて参加していましたが、次第に、同じ神様を信じる者同士で一つのことをやり遂げたり、子供たちのお世話をしたりすることに、とてもやりがいを感じるようになりました。そんな中、さまざまな青年担当の専従者の方と関わりを持たせていただき、一生懸命な専従の方々の姿に憧れを抱くようになりました。
その反面、学生のころは、青年活動には参加していても、父に対する反抗期もあって、「おひかり」をかけることをあまりしていませんでした。運動部や体育の授業では邪魔になり、着替えるたびに学校の友達から好奇の目で見られることがとても嫌でした。
また、「おひかり」をかけられないお風呂や、プールでけがをしたときは、神様にお願いをすれば「おひかり」をかけていなくても浄霊ができると聞いていた私は、そんな都合のいい話があるのだろうか。それなら普段でも神様にお願いすれば浄霊できるんじゃないかという疑問も持っていました。そのように、自分の都合で、神様のみ業である浄霊を捉えていたこと自体が間違っていたものであり、罪の姿であると今は断言できます。
そんな中、私の人生の大きな1つ目の転機が、高校2年のときにやってきます。当時私はバレーボール部に所属し、厳しい先生の指導のもと、学校と家を往復する日々を送っていました。最後の大会に向けて練習を重ねていた夏休み、それまでにもたびたび痛めていた右股関節の痛みがいつもよりひどくなり、歩くたびに痛みが走るので病院で診てもらうことになりました。診断の結果は、過度な負担による股関節と太ももをつなぐ部分の剥離骨折でした。医師からは、今後のためにもこれ以上激しい運動はしないよう勧告されました。
2週間の休養を取ることになり、それまで部活で忙しくしていた私は、久々にゆっくりとした時間を過ごすことができ、父と初めて2人きりで信仰の話をしました。そこでは父が実際に体験したり、見聞きしたりした奇蹟の話をたくさん聞き、とてもわくわくしたことを覚えています。
私は高校1年まで将来の夢は保育士だったのですが、こうした父とのやり取りを重ねていくうちに、一生をかけて神様にお仕えさせていただける「専従者」を目指したいと思わせていただけるようになりました。
そして、それまで保育士になるために習っていたピアノをやめ、専従の御用に強い憧れを抱くようになりました。しかしその思いの底には、自分が使われることによって神様の奇蹟が起きて、人が救われてほしいという、神様のみ業である奇蹟を自分のものにしている姿がありました。
そうした専従の夢を持ったまま、私は大学に進学するため上京しました。6人兄弟姉妹を持つ家庭では、金銭的な面で大学に通えないという状況から、私は新聞の専売店に住み込み、在学中の4年間新聞を配る代わりに、新聞社が学費を全額負担してくれる「新聞奨学生」という制度で大学に通うことを決めました。
大学3年になった昨年、いよいよ就職活動を始める時期になりました。そのころはもう、いづのめ教団が完全に執行部中心の組織になっていました。私は、今まで参拝していた新宿教会が執行部側の建物になった影響で、しばらく教会に参拝することができませんでした。このような教団の混乱から、私は大学生のうちに専従試験を受けられない状況を予想し、一般企業の就職活動を始めました。一般企業に就職後、教団の混乱が落ち着いてから、専従試験に臨もうと考えたのです。しかし、一般企業に向けた就職活動はやる気も成果も出ず、精神的に落ち込んでいました。
そんな中、昨年の9月15日、2つ目の大きな転機がやってきます。父に電話で就職活動の相談をしていたときに、父に対して初めて、きちんと専従者になりたい理由を話せたことです。神様に真摯に向かっている父の姿、たくさんの信者さんから慕われている姿に憧れて、専従を目指したいという強い思いを父に伝えました。すると、悲しいわけでも、つらいわけでもないのに、涙がとめどなくあふれました。何とも言えない感情に包まれ、今までずっと苦しんできた、救われたい多くのご先祖様と、そして何より、私の中におられる主神の大きな喜びを肌で感じさせていただいたように感じました。専従者を目指すことがこんなにも大きな喜びであることに初めて気づかせていただきました。
大学3年の1月に実家に帰省した際に、再び父と将来についてゆっくり話をする機会を得ました。その時父から、「これから想念の世界である。御浄霊は二の問題で、先ず想念である。お念じしなさい」と明主様がおっしゃっていたことが書かれた、実物の『地上天国』誌68号を見せてもらいました。今までとは180度違う信仰を、明主様は70年近く前にすでに遺しておられたという衝撃の事実を目の当たりにしました。しかし、そのときは驚くばかりで、正直まだ、思いの世界での救いがどれほど大きなものか、実感も湧かずよく分からない状態でした。ただ、今のままではいけないということだけははっきり分かり、専従を本格的に目指す決断をしました。
それからは、悩みながらも続けていた就職活動をすっぱりとやめ、専従になるための勉強を始めました。教主様お言葉や真明様ご教示を拝読しながら、日々の生活の中で湧き上がるすべての思いを、救われたいと願って私に集まってくる思いを、それらすべてがすでに赦され、救われたものとして天国に迎え入れられていることに感謝しながら、主神にお返しさせていただきました。
その中でいただいた気づきや学びを教会の青年担当の方との面談の中で話し、父に伝えていく中で、「全く新しい信仰」を少しずつ実感させていただけるようになってきました。
しかし、2月の終わりごろから新型コロナウイルス感染症が流行し始め、3月の半ばには教会に参拝できなくなりました。
そして3つ目の、最大の転機がやってきます。少しずつ新型コロナウイルスも収まり、教会に参拝することが許された折、父から久しぶりに連絡がありました。それは、8月の頭に突然決まった東教区長との面談でした。父の話では、世界メシア教が専従希望者を随時受け付けることになり、専従試験を受けるには教区長の推薦が必要になるということでした。教団の混乱が起きてから、大学生のうちに専従試験を受けることは正直諦めていたので、このスピードに、神様のみ業を感じざるを得ず、私には感謝しかありませんでした。
東教区長との面談で、自分の神様、明主様、教主様に対する思いの低さや浅さ、全人類の先頭に立ち、救いの御用にお仕えさせていただく者としての覚悟のなさを痛感し、とても恥ずかしくなりました。もっと教主様や真明様が導いてくださっている「真の救い」の御用にお使いいただき、その救いを感じたいと痛切に思いました。そして、神様に対する思いがこんなにも低いままでは、神様にお仕えさせていただく専従者の御用は決して務まらない。もっと全力で勉強させていただきたいと固く心に誓いました。面談後、この思いを東教区長に伝えると、「岡田真明様と若手専従者との懇談会」の資料をすべてくださいました。
それから私の世界は一変しました。東教区長からいただいた資料と教主様お言葉と真明様ご教示を拝読、拝聴しながら、教会での青年担当の方との面談や勉強会、父との電話、週1回の東教区長に向けた「日々の気づき」の報告を通して、今までとは比べものにならないほど、毎日のように神様の大きな存在を実感させていただきました。
そして、教主様お言葉や、真明様ご教示の意味はこういうことなのではないか、と私なりの気づきをいただけるようになってきました。
教主様お言葉や真明様ご教示、聖イエス・キリストの一生を描いた「サン・オブ・ゴッド」という映画を通して、「キリスト教と呼応し…人類の善導と救済に全智全能をあげて働いてゆきたい」とおっしゃった明主様のみ心に、ほんの少し触れさせていただけたような気がしました。
明主様がいらっしゃらなければ、世界メシヤ教が開教されることもなく、私たちはずっと闇の中を堂々巡りし、人間の都合のみで生きていくしかなかったこと。すべてを治めておられる神様が、明主様や聖イエス・キリストを世にお遣わしになったからこそ、今があるということ。明主様、教主様のご存在なくして、今の私は存在し得ないということに、大きな感動と喜びをもって気づかせていただきました。
暖かい光が私の中の天国から私を照らして、よいことが起きても、悪いことが起きても、そのすべてを神様が、私と私につながる父母先祖、全人類を救い、養い育てるために使ってくださっているんだと、現実に何か大変なことやありがたいことが起きなくても、すべてが神様の愛に包まれているんだと、ほんの少しではありますが、思わせていただきました。
私たちは神様に対して、大きく、重い罪を犯してきてしまったけれど、明主様、教主様というご存在を通して、その罪が先祖と共にすでに赦され、救われていて、本当の神様とその神様の願いを知るものにならせていただけたという事実だけで、すでに本当に大きな赦しと救いをいただいていたんだと思わせていただきました。
また、日常生活で教主様のお言葉を実践する中で、「浄霊は二の問題」「これから想念の世界である」ということをたくさん実感させていただきました。
救いは、苦しみや悲しみを感じているすべての方々と共に天国に立ち返ること、お返しすることであり、そのみ業はすべて「想念の世界」で行われていた、このことに気が付かせていただきました。私が今まで持っていた人間的な喜びを中心とした人生観は、全く異なるものに変わりました。明主様によってすでに開かれ、導かれていた天国への道に気づかせてくださった教主様は、私の大きな光であり、救いです。
しかし、この2つの聖言を、70年も前に明主様が遺されていたのに、それをずっと無視してきてしまったことに対して、どうしても申し訳ない気持ちが消えませんでした。今年の2月5日に行われた「世界メシア教 全国布教区長会」の教主様お言葉を拝読したとき、4つ目の大転機がやってきました。
自分がこの世で評価されたい、立派な人間になりたいと思い、そのためにいろいろな教育を受け、頑張って生きていこうとします。そうして生きていく中では、どうしても神様より自分が主体にならざるを得ないんですよ。もうこれは自分の力ではどうすることもできないんです。
…自分一人の努力や心掛けではどうすることもできないから、神様が言わば一方的に私どもを赦してくださったんです。
このお言葉に、頭を強く打たれたような大きな衝撃を受けました。私は、人類が犯してきた罪の大きさにおおわれ、落ち込み、そしてその罪を自分の力で何とかしないといけないと、心のどこかで常に思っていました。
しかし、自分自身ではどうすることもできないと、教主様のお言葉を通して気づかせていただきました。その大きな罪を赦すために、神様が聖イエス・キリストを世に遣わしてくださって、贖ってくださったんだと、今までのようにただ頭で理解するのではなくて、心からそうであると思わせていただきました。
明主様の願いを継承することができなかった私たちを、再び神様の子供として新しく生まれるための道に、今、導いてくださっているのは、教主様お一方であると確信しています。
このようなさまざまな気づきと学びをいただく中で、9月には、東日本教区両国教会の月次祭で感謝奉告をさせていただきました。自分が否定的に感じているまさにそこに神様の救い、天国があるということに気づかせていただきました。
そして先日、無事に専従試験を終え、来年の4月から専従者としてお仕えさせていただくことが許されました。そのことが夢のようで、いまだに信じられない心持ちですが、専従者としての大きな御用をいただいたことに感謝し、世界メシア教信徒の目指す道を示してくださっている「聖旨」を心の中心に置いて、教主様と心を一つにさせていただく思いで、今まで以上に神様にお仕えさせていただく所存です。
私の人生は私一人のものではなく、全人類とその父母先祖の思いを背負わせていただいた人生です。そして、私の中には完全である神様が生きていらっしゃいます。今後どんな問題や困難が起きても、私は何も怖くありません。世界は神様の大きな、大きな愛に包まれているという「真の救い」に気づかせていただいたからです。教主様が「ありのままの自分」でよいと導いてくださったからです。その姿をお返しすることが「神様の子供として新しく生まれる」ための道を歩んでいくことであると私は信じています。
明主様に倣って、「神様の子供として新しく生まれる」という、定められた明るい未来に向かって、人生を歩ませていただきたい一心で、これからも神様の救いの御用にお仕えさせていただきます。
『グローリー』No. 11, 2020/12月号掲載