PDF: 「キリストの再臨」真明様メッセージ No. 4

 

※英語とポルトガル語でなされたビデオメッセージの和訳

 

明主様の御教え。明主様の聖言。これらは一体何なのでしょうか。「明主様の御教え」とは一体何なのでしょうか。「明主様の聖言」とは一体何なのでしょうか。
 よく、「明主様の御教えすべてが翻訳されない限り、明主様ののみ心を知ることはできない」ということを聞きます。
 果たしてこれは、事実なのでしょうか。明主様のされた言葉すべてを知らなければ、明主様が私たちにお伝えになりたかったことは理解できないのでしょうか。
 決してそうではありません。
 そもそも、「明主様の」御教えは誰のものなのでしょうか?「明主様の」聖言は誰のものなのでしょうか?
 それは、神様のもの、ではないですか?
 明主様の御教えは神様のものであり、神様から来たものである。ですね?
 御教えにあるすべての言葉は神様から来たものである。ですね?
 では、その神様はどこにいらっしゃるのか。どこに存在していらっしゃるのか。
 実に、神様は、私たちの中にいらっしゃる。
 私たち一人ひとりの中にいらっしゃる。そうですね?
 神様の御霊が、私たちに宿っている。
 明主様の御教えの元は神様である。明主様の聖言の源は神様である。神様はすべてをご存じであり、また、あらゆる知恵・知識をお与えになるお方です。
 この神様が、私たち一人ひとりの中にいらっしゃる。
 だとすれば、どうして私たちは、すべての御教えが翻訳されなければ明主様ののみ心は理解することができない、と言えるというのでしょうか。
 すべてをご存じのお方、明主様の御教え、聖言を用意されたお方が私たちの中にいらっしゃる。私たちは、私たちの中に、神様の一部を持っているのです。私たちの本体は、実に、神様そのものなのです。
 明主様のすべての言葉を翻訳するには、少なくとも、あと数十年はかかるでしょう。あるいはもっと、百年から二百年ほどかかるかもしれません。その場合私たちは、明主様の本当の願いを知るにはそれくらい待たねばならぬのだ、とでも言うのでしょうか。
 では私たちは今、何をしているのでしょうか。明主様ののみ心が分からないまま、いたずらに時間を無駄にしているのでしょうか。明主様の本当の願いを知ることのないまま死にゆくというのでしょうか。
 イエスはなんと言っているか。イエスは、「あなたがたは、聖書の中に永遠の命があると思って調べているが、この聖書は、わたしについてあかしをするものである」(「ヨハネによる福音書」第539節)と言っている。
 では、明主様の聖言は何を証し立て、示しているのか。その結論とは何なのか。
 それは、明主様は、イエスが二千年前に始めたみを完結させるために神様に遣わされたお方である。私たち人間は、神様の子供であるメシアとして新しく生まれる定めにある。そして、「キリストの再臨」は、すでに私たち一人ひとりの中で成し遂げられている。
 これこそが、明主様の御教えが証し立て、示していることであります。これこそが、明主様の聖言の結論であります。
 もしこの結論を受け入れないならば、いかに明主様の御教えについてさまざまに語ろうとも、それは無駄なことです。しかし、もしこの結論を受け入れ、信じるならば、明主様の聖言のたった一節、たった一行ですら、生命を帯びてくるのです。
 皆様。明主様の聖言を形にしたもの、具現化したもの──それが明主様というご存在であります。
 そして、そうです、「キリストの再臨」、「キリストの再臨」です。
 私たちは、一部の方々がそうしているように、明主様のみが「キリストの再臨」であるとは言いません。もしそうするならば、明主様は、世界から、預言者、キリストとして非難されるでありましょう。
 私たちが主張するのはこれです──明主様だけではなく、全人類の誰もが、もれなく、すでに、キリストの魂、メシアの魂をお受けしている。
 キリスト教徒が、そして全人類が待ちに待っているもの、それがすでに明主様の中で成し遂げられた。そして、私たち一人ひとり、いや、皆様方お一人おひとりの中ですでに成し遂げられているのです。
 「キリストの再臨」ですから、イエス・キリストは再び戻ってくるとされている。ですね?イエスは二千年前天に上がられたが、神の栄光に包まれ、ハレルヤの歓呼の声と共に再びってくるとされている。ですね?そしてイエスは、人類を裁き、この地上に、神の国を樹立するとされている。そうですね?
 私は今日、皆様方に言います。イエスは、すでに再臨したのです。キリストは、すでに降ったのです。どこに?私たち一人ひとりの中に、皆様方お一人おひとりの中に。
 「キリストの再臨」という、キリスト教徒が求めて求めてやまないもの、栄光輝く神様の御国という、キリスト教徒のみならず全人類が求めて求めてやまないもの、それがすでに私たちの中にある。キリストの御霊が──メシアの御霊が──すでに私たちの中にある。天国が、すでに私たちの中にある。
イエスは、「しかり、わたしはすぐに来る」(「ヨハネの黙示録」第2220節)と言いました。イエスはもう来たのです!「すぐに来る」と言っておきながら、いまだに来ていないということがあるでしょうか。
 しかし、実は、本当は、イエスは、一度も私たちから離れたことはないのです。私たちは、昔も、今も、これからも、ずっと、キリストの御霊でありメシアの御霊と一緒なのです。私たちは、ずっと、神様と一緒にいたのです。ほんのひと時でも、神様が私たちから離れたことはないのです。
 今後、キリストが再び臨んでくること、再び来ることは決してありません。なぜなら、キリストは、常に、私たちと共にいらっしゃるから。キリストは今後、再び戻ってはきません。なぜなら、キリストは、常に、私たちと共にいらっしゃるから。
 であるならば、私たちは、神様に対し、「神様、あなたの御霊は一度も私から離れたことはありませんでした。キリストの御霊──メシアの御霊──は、昔も、今も、これからも私と共にいます」と言わなければなりません。それが、私たちの中で「キリストの再臨」が成し遂げられることであり、キリストの降誕が完結することであります。
 しかし、一部の方々は、「「キリストの再臨」というのはそういうことではない。なぜなら、私は、キリストが天から降ってくるのをまだこの目で見ていないからだ」と言うでありましょう。
 ではなぜイエスは、トマスに対して、「あなたはわたしを見たので信じたのか。見ないで信ずる者は、さいわいである」(「ヨハネによる福音書」第2029節)と言ったのか。
 たとえ目には見えなくても信じること──その時がもう来たのです。
 「キリストの再臨」はすでに私たちの中で成し遂げられている。神の御国はすでに私たちの中に樹立している。これこそが、明主様が、御教え、聖言を通して私たちにに伝えられたかったメッセージであります。
 救いは、御教えの文字の中で出会えるものではなく、皆様方お一人おひとりの中で出会えるものであり、皆様方お一人おひとりの中で生きているものです。

 

明主様は、メシアとして新しく生まれたとおっしゃった。ご自分が「キリストの再臨」であるとおっしゃった。
 教主様は、私たちも明主様のようになれると仰せです。明主様は、私たちのひな型であると仰せです。そして、メシアの御霊、キリストの御霊が私たちの中にあり、天国が私たちの中にすでに樹立されていると仰せです。
 これほど簡潔で、分かりやすいことがあるでしょうか。あるいは、シンプルすぎる、簡潔すぎるのかもしれません。しかし、教団の歴史の中で、このようなことを言った人は、いまだかつて、ただの一人もいません。
 ですので、今教主様が明らかにしていらっしゃる明主様のの信仰につき、あたかも自分で気が付いたかのように振る舞うことのないよう、私たちは気を付けなければなりません。
 神様の真実、イエスの真実、明主様の真実を、教主様を通して知るに至った私たちは、なんと幸運なことでしょう。
 神様、あなたの計り知れない栄光が、すべての人々にありますように。

This post is also available in: English Português

This post is also available in: English Português