〔明主様〕

此人類は勿論森羅万象は、主神の意図の下に生成化育が行われているという事である、そうとすれば人間の生死と雖も主神の意図以外にある筈はない、とすれば或地域に多数の人間が出産されるとしても、それを養うべき食糧に不足を生ずる筈がない、勿論餓死などというような事は夢にも想われない訳である、此意味に於て人口が如何程増加しても、その人口を保育するだけの食糧は必ず其土地に生産されるに定まっている

1949年4月30日「宗教からみた産制問題」

 

神はこの様にして、人間の生命の糧である五穀野菜を過不足なく生産されるよう造ったのであるから、この道理を考えてみればよく分る。神は人間を生まれさせておき乍ら、その生命を繋ぐだけの食糧を与えない筈はない。…如何に不作でも一人一年一石として、我国の人口八千三百万とすれば、八千三百万石は必ず生産されるべきである。これは大地を叩く槌は外れても、この理は外れる訳はないのである。

1953年5月5日「自然農法の原理」

 

〔聖書〕

それだから、あなたがたに言っておく。何を食べようか、何を飲もうかと、自分の命のことで思いわずらい、何を着ようかと自分のからだのことで思いわずらうな。命は食物にまさり、からだは着物にまさるではないか。空の鳥を見るがよい。まくことも、刈ることもせず、倉に取りいれることもしない。それだのに、あなたがたの天の父は彼らを養っていて下さる。あなたがたは彼らよりも、はるかにすぐれた者ではないか。あなたがたのうち、だれが思いわずらったからとて、自分の寿命をわずかでも延ばすことができようか。また、なぜ、着物のことで思いわずらうのか。野の花がどうして育っているか、考えて見るがよい。働きもせず、紡ぎもしない。しかし、あなたがたに言うが、栄華をきわめた時のソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった。きょうは生えていて、あすは炉に投げ入れられる野の草でさえ、神はこのように装って下さるのなら、あなたがたに、それ以上よくしてくださらないはずがあろうか。ああ、信仰の薄い者たちよ。だから、何を食べようか、何を飲もうか、あるいは何を着ようかと言って思いわずらうな。これらのものはみな、異邦人が切に求めているものである。あなたがたの天の父は、これらのものが、ことごとくあなたがたに必要であることをご存じである。まず神の国と神の義とを求めなさい。そうすれば、これらのものは、すべて添えて与えられるであろう。

「マタイによる福音書」第6章25節~33節

 

教会誌『グローリー』No. 12, 2021/2月号掲載

出典:『口語訳聖書 1954年/1955年改訳』(日本聖書協会)

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