五月度月次祭

2021年5月1日

御歌

人類を救ふ力は宗教を超えし力にありと知れかし

大いなるいと大いなる力生れ此天地に迫り来る今

力なり噫力なり潰えなむ世を甦らすも神の御力

聖言

五六七大祭 昭和二十五年三月十一日

愈よ本教救世教となって第一回の五六七大祭を例年の如く三月五日、六日、七日の三日間に執行われる事になったのは、まことに芽出度い限りである。

此の意味によって、今日の祭典の重要なる意味を思う時感慨無量である。私が御神業に身を投じた抑々の第一歩は昭和三年二月、節分の日であったから、今年で恰度弐拾三年目である。此二十三年間に基礎工事が成ったので、愈よ本格的に発足すべく陣容を整え、世界人類救済の大旆を翳して、本格的活動に入らんとするのである。言わば今迄は楽屋で扮装していたようなもので、扮装が出来上ったので、茲に舞台へ登るようなものである。

大体、メシアとはキリスト教と深い関連があるので、此解釈は欧米に於ても諸説紛々として今以て決定はされないようである。というのは人智では深い神秘の奥を探り当る事は困難であるからである。

私自身としても未だメシアとは名のらないと共に、キリストの再臨ともいわない。之は或時期までは神様から発表を禁じられているからでもある。尤も仮にメシアの降臨などと思われでもしたら大変である。世界中からワーワーとやって来て、到底仕事など出来るものではないからである。

今日確実にいえる事は、世を救うべく大経綸を行う事である。之は現に私が行いつつある事実を見れば判る。救世教の名を冠したのもその為である。

茲で特に言うべき事がある。それは凡ゆるものが世界的になった今日、既成宗教は未だ殆んどが、限られたる地域的救の業であるに見て、全人類を救うべき使命ではなかった事を知るべきである。只だキリスト教のみは、全人類の救いが使命であるから、今日の如き大を成したのである。といっても現在の如き全人類の一大苦悩を救い得らるるかは大いに疑問の余地があろう。何となれば事実が明かにそれを示しているからである。忌憚なくいえる事はもはや宗教そのものの力ではどうにもならないので、之は識者の等しく唱える処である。茲に於て率直にいえる事は、宗教以上の力が出なくてはならない事で、これが超宗教でなくて何であろう。

元来、宗教とは読んで字の如く宗祖の教である。彼のバイブルといい経文といい、コーランというも畢竟文字を介して教え人間の魂を目覚めさせるのであるから、畢竟人間の自力である。処が今日はもはや人間力では間に合わない事になった。勿論教も必要ではあるが、それ以上大神力の発揮がなくてはならない。といっても生神様的個人の力でもむずかしい。どうしても全人類を主宰し給う主の神即ちエホバの絶対力の発現である。勿論人類発生以来今日まで、右のような大神力は出なかった。それは地上天国準備だけの力でよかったからである。言わば本教と同様これまでの世界は楽屋であった訳である。処がいよいよ時期熟して世界は茲に一大転換と共に、天国樹立という神の理想実現となったのである。

此事が根本であって、之を深く認識する事によって初めて大神業に参加され得る資格者となるのである。

『救世』五十三号