PDF: 教主様との出会い_尹光植

 

世界メシア教韓国本部
 本部長 光植(ユン グァンシク)

 

私は、韓国本部が発足した翌年の1989年9月、26歳の時に入信しました。
 入信をする数か月前の私は、兵役を終え、ホテルに入社していましたが、当時私の母は、腰と足が悪く、歩行も食事もろくにできず不眠症もひどく、重症の結核患者のように見えました。
 そのような折、母は、隣人から浄霊を紹介され、浄霊を受けるために布教所に通うようになりました。
 母は、2、3週間もすると、体がつらいと言わないようになりました。私は、それは、病気が治ったからではなく、洗脳された結果だろうと思っていました。
 そんな時私は、転職をしようと考え、勤めていたホテルを辞め、時間があったので、母が洗脳されている場所はどんな所であろうかと思い、母と一緒に布教所に向かいました。
 布教所は、今は亡くなられた私の師匠、諸先生のご自宅の小さなアパートでした。最初のころ私は、浄霊で病気が治るということが信じられず、何か間違いを見つけてやろうと思い、布教所に何度も行きました。
 しかし、そのように布教所に通ううち、いくつかの奇蹟を目の当たりにし、母は洗脳されたわけではないのだと思うようになり始めました。
 最初に布教所を訪ねてから3か月ほど経った時、母から入信を勧められました。まだ心のどこかに疑いを持っていた私は、どうしても入信がしたいという気持ちはありませんでしたが、母がそのように言うならばと思い、入信をすることにしました。
 私と一緒に入信をした方は他に6名ほどいましたが、それでも、慶尚南道(日本でいう県)全体の信徒数は24名しかいませんでしたので、振り返りますと、私は、この地域の開拓布教初期に入信をしたことになります。
 私は、当時、転職をするつもりのままで、日中は仕事をしておりませんでしたので、入信した翌日から布教所に日参するようになりました。奉仕という意識は全くありませんでしたが、布教所の掃除や浄霊活動をしていました。周りの信徒は、私のような青年が御用する姿を初めて見たことに感激し、喜んでいました。母はと言えば、すっかり元気になっており、普通の人よりも生き生きとしていました。
 入信してから半年が経った1990年3月、布教所が移転することになりました。諸先生は、それを機会に私に専従を勧めてくださいました。
 最初に専従を勧められた時、私は、迷うことなく「しません」と即答しました。しかしその後、言葉では説明できないようなことが次々と起こり、そのようなことを通して、私は専従せねばならないのだと思うに至りました。そして、専従者となることを決断しました。
 専従者となってすぐの3月の下旬、韓国から熱海に研修に行ける、という話が出てきました。もし私が行くことを決めれば、それは、韓国からの第1号の研修生となるとのことでした。
 私は、専従ですら渋っていたのに、ましてや日本の熱海に行くことなど考えもしなかったことです。しかし、私がどのように拒否しようとも、周りの状況は、私が熱海に行くことが当然であるかのように進んでいくのです。
 私は、自分の運命に逆らうことはできないと感じました。そして、熱海に行くことを受け入れざるを得ないと思いました。そのことを決断した日の夜、私は、ご神前で、泣きながら、「明主様、私の負けです。明主様のみ力はとてつもなく大きく、私はそれに抗うことはできません。でも明主様、私の心には不平不満があることを知っておいてください」と申し上げました。
 約6か月の研修を終え韓国に帰国した後も、まだ、この道を歩んでいる自分に納得はしていませんでしたが、次第に、「もし明主様に出会っていなければ自分の人生は一体なんだったんだろうか。明主様がいてこその自分の人生だ」という思いが湧いてくるようになり、ようやく、信徒となれたこと、また、専従者となれたことに感謝の思いが持てるようになりました。
 研修から戻り1年が経ったある日、諸先生に、信徒たちの家庭に行き、布教活動をしてみたいとお話ししたところ、快く承諾してくださいました。
 それから私は、週に1回、信徒宅での家庭集会を持つようになりましたが、そこに、信徒の家族や近所の人々が集まるようになり、どんどんと発展をしていきました。
 その流れの中で密陽地域の開拓布教も始まりましたが、この地域でも信徒が増え、のちには、各教会から位置的にも良いので、この密陽地域に韓国本部が建てられることになりました。
 専従してから3年ほど経ったころ、私は馬山教会の教会長、晋州教会の副教会長の御用をいただきました。
 それからも順調に発展をしていき、信徒たちの誠の奉仕と協力のもと、慶尚南道全域に、2007年ごろには、12か所の布教拠点と2500名以上の信徒が許されることとなったのです。
 そして私は、2012年には、韓国本部の本部長の任も務めることとなりました。
 今振り返りますと、当時は確かに発展はしていましたが、実は、いつかは行き詰まる道を歩んでいたのだと分かります。
 それは、当時の私は、明主様のみ心を、教主様を通してではなく、自分の思いで伝えていたからです。そして、実際に、あそこまで発展していたにもかかわらず、徐々に発展にブレーキがかかるようになり、行き詰まるようになりました。
 私はこの先、このような大きな過ちを繰り返さないよう、教主様だけが明主様の聖言とみ心をお伝えくださるお方であると徹底して信じ、信仰に臨ませていただきたいと決心しています。
 韓国では、開拓布教の当初から浄霊中心で来たため、私も含め、「教主様の座」の大切さについてよく理解しておらず、「教主様」というご存在は、明主様のご血統にあられるお方という程度の認識でした。
 しかし、2003年、韓国本部創立の15周年記念式に渡辺哲男先生が来られてから、教主様に対する私の認識は一変しました。
 その時私は渡辺先生と初めてお会いしたのですが、先生はその時、「私が伝える言葉は、教主様に一つひとつお伺いし、教主様から聞かせていただいた教主様のお言葉であり、それを私は伝えている」とおっしゃいました。私は、今でもその光景をはっきりと覚えています。先生とはその後何度もお会いすることになりましたが、上記のことを、繰り返し繰り返しおっしゃっていました。
 2013年、先生は突然帰幽されました。それは、多くの人たちにとって大きな衝撃であったと思いますが、私は、先生から、感謝の大切さと、そして何より、教主様に対する正しい信仰姿勢を学ぶことができました。
 渡辺先生の信仰姿勢に大いに触発された私は、先生に倣い、明主様の真のみ心を知るためには教主様に少しでも近づかねばならないと思い、次第に、「明主様をお迎えする思いで教主様をこの韓国にもお迎えしたい」という目標を心の中に抱くようになりました。
 私は、教主様をお迎えするにはもっと発展をしなければいけない、と思っていましたが、日本の本部の先生方との話し合いを通して、少しずつ、「2018年11月の、韓国本部創立30周年を祝うみ祭りに教主様にお越しいただきたい」との思いが強くなっていきました。そのようなやり取りを通して、ついに、2018年の教主様韓国ご巡教が正式に決定したのです。
 教主様が韓国に来られることが決まり、私は、教主様が韓国に来られる前に、感謝の気持ちを明主様にお伝えする気持ちで日本に行かせていただこうと思いました。そして、2018年の春季大祭に参拝団を引率して訪日しました。
 春季大祭前日、教主様ご巡教が決まった喜びにあふれている私たちに対し、いづのめ教団の方々は、教主様とまゆみ奥様を「尾行・盗聴・盗撮」した映像を見せてきました。そして、教団浄化の責任と原因はすべて教主様にあると説明しました。
 しかし私は、教主様というお立場は、私たちを真実に導くため、他の宗教のことも学ばねばならないお方であるのだと思いました。いづのめ教団側の説明を聞き、私は、逆に、より強く教主様につながらなければならない、それによってより良い信仰の道へとお導きいただけるのだとの確信が強くなりました。
 日本での春季大祭を終え韓国に戻った私は、教主様ご巡教に向け、一つずつ準備を進めていました。そのような中、2018年6月、いづのめ教団が教主様を完全に排斥したという知らせが入ってきました。
 知らせを聞いた私は、すぐさま、韓国本部の定款と教則は、いづのめ教団とのつながりが明記されているのでそれを変えねばならない、と思いました。世界メシア教(当時の主之光教団)に所属するよう改定しなければならない、と思いました。そうでなければ、教主様をこの韓国にお迎えすることはできない、と思いました。
 しかし、実は私は、日本から戻った5月ごろから、呼吸が苦しくなる浄化が始まっていました。その浄化は、不思議なことに、横になると呼吸が苦しくなるというものでした。5分も横になることができないのです。
 座ったり立ったり、また、動いているほうがまだ楽でしたので、苦しみから逃れるため、息苦しさを感じながらも、布教拠点を訪問するなどの活動を続けていました。
 その後も体調は悪化し続けました。しかし私は、自分の体調がどうなろうとも、定款と教則の改定だけは成し遂げねばならないと思いました。そうでなければ、教主様を韓国にお迎えすることはできないと思いました。そして、定款を改定するための総会を開く日付を決めました。
 しかし、その総会が開催される7日前、私は、右半身の麻痺を起こし、倒れてしまいました。妻はすぐに救急車を呼ぼうとしました。しかし私は、「今病院に行ってしまったら、きっと入院しなければならないだろう。もしそうなったら、教主様のご巡教の準備において最も大切な定款と教則の改定ができなくなってしまう。今私は病院に行くわけにはいかない」ととっさに思いました。そして妻に、救急車は呼ばないでくれと頼み、総会の日までの1週間、自宅にて耐えることを決断しました。
 総会当日、周りの人の手助けを受け、なんとか本部に行き、定款と教則の改定を完了させることができました。
 その翌日、私はすぐに病院に行きました。診断結果はすぐに出ず、丸3日間検査が行われました。そして、医師から、「通常12㎝の心臓が17㎝に肥大している。心臓はほとんど動いておらず、心停止に近い状態だ。血液が循環していないため、血栓ができやすくなるが、それで脳梗塞も起きた。右半身の麻痺はそれが原因だ」と言われました。病名は「拡張型心筋症」というもので、治療薬も治療法もない、世界的にもまれな病気であるとのことでした。
 そして、「心臓は、一度伸びてしまうと回復しない臓器であり、心臓をまるごと移植しなければ、死を待つ以外に方法はない」と言われました。しかし私は、定款と教則の改定を成し遂げられたことが何よりうれしく、明主様に感謝せずにはいられませんでした。
 10日ほど入院はしましたが、医師は、どのみち治療法がないので、退院したければもう退院してもよいと言いました。私は、退院し、家で療養することにしましたが、教主様ご巡教の日が近づくにつれ、症状が改善していっているように感じました。
 そして、そのような中、教主様ご巡教の時が来たのです。
 一時の私の体の状態を考えると、教主様を直接お迎えさせていただくことができたのは、奇蹟だとしか思えませんでした。
 教主様、まゆみ奥様、真明様の明るく穏やかなお姿から、教団浄化の陰は一切感じられず、生きた明主様の御姿、聖言に接しているような感じがしました。
 教主様ご巡教の間、私は、これからどんなことがあろうと、命のある限り教主様と一つにつながって進んで行かなければならないという強い思いがふつふつと心に湧いてきました。
 教主様ご巡教が無事終わり、定期的に通院する中で、驚いたことに、同じ大きさには戻らないと言われていた心臓が、正常な大きさに回復するという奇蹟をいただきました。医師も、予想外のことに大変驚いていました。そして、今年の2月には、拡張型心筋症は完治したとの診断がされました。
 教主様のご教導により、従来の浄霊実践ではなく、想念でお仕えしお祈りする新しい浄霊のあり方に転換することを決心してから14か月経過した時点での結果でもありましたので、私自身驚くとともに、ご教導に深く感謝申し上げました。
 韓国においては、2019年春から、10年計画で、韓国本部の機能を首都圏に移転し、龍仁宣教センター(仮称)を建設する予定でいます。
 私は、私の体にこのような奇蹟をいただいたのは、ただ肉体的な寿命が延びたということではなく、延びた寿命を使い、韓国において、教主様中心の信仰建設を成し遂げなさいという明主様からのメッセージだったのだと受け止めています。
 世界メシア教は、教主様のもとにある、全人類のための教団です。そうであるならば、その世界メシア教につながる韓国本部も、そして韓国の信徒一人ひとりも、教主様を中心として、また、教主様のご教導に従い、全人類のためにお使いいただかなければならないと思っています。
 今まで、私の人生においては、良いことも悪いこともありました。でも今は、それらがあったおかげで、私は、教主様中心の信仰の大切さを知ることができたと思い、神様に感謝しかありません。
 今になって、ようやく、現れてくる現象が大きければ大きいほど、その中に込められた神様の愛も大きいのだということが少し分かってきたように思います。
 私は、私自身、またこの韓国において、明主様のみ心を私たちにお伝えくださる唯一のご存在であられる教主様を中心とする信仰を確立することに、全身全霊をかけさせていただきます。そして、明主様に倣い、真の神様の子供であるメシアとして新しく生まれられるようすべてを捧げることを誓います。
 このような私の決心と思いを、明主様の聖業を継承された教主様を通して、明主様に、そして神様にお委ねさせていただきます。
 ありがとうございました。

 

教会誌『グローリー』No. 16, 2021/5月号掲載