PDF: 「明主様は生きている」真明様メッセージ No. 6

 

※英語とポルトガル語でなされたビデオメッセージの和訳

 

明主様は、私たちの中で生きている──明主様の信徒であれば、これは否定できないことです、、否定すべきではないことです。
 このようにおっしゃりたい方もいるでしょう。「それがどうしたのですか?そのようなことはみんな知っていることです。私も、また、誰もが、明主様が今も生きておられることは知っています。だからご浄霊もさせていただけるし、心の中で明主様にお祈りをお捧げすることもできるのです。あまりにも単純な話で、そんなことは常識ですね」と、このようにおっしゃりたい方もいるでしょう。
 ただ、私は思います。皆様方は、明主様が皆様方の中に生きていらっしゃることの本当の意味をご存じなのでしょうか。
 もし明主様が生きていらっしゃるとしたら、当たり前のことですが、明主様は今、この瞬間、呼吸をしていらっしゃる、ということになりますね。息を吐いたり、吸ったり、また吐いたりしていらっしゃる、ということになりますね。
 このことを否定できる人はいますか?
 明主様は今呼吸しておられる──このことを否定できる人はいますか?いないと思います。明主様の信徒であれば、明主様が今呼吸しておられるという事実を否定できる人は誰もいないと思います。
 そしてもしこの明主様が皆様方の中にいらっしゃるのだとしたら、明主様は今、皆様方お一人おひとりの中で呼吸していらっしゃるということになりますね?これを否定できる人はいますか?
 もし、皆様が、「今も明主様は私たち一人ひとりの中にいらっしゃる」と主張するのであれば、皆様は、まず、明主様が、まさに今、皆様方お一人おひとりの中で呼吸していらっしゃるという事実を認めなければなりません。
 では、聞きます。明主様の呼吸と皆様方の呼吸、どちらが上ですか?この場合の「明主様」とは、言うまでもなく、新しくお生まれになって永遠の命を獲得された、その明主様のことです。その明主様の呼吸と皆様方の呼吸、どちらが上ですか?
 答えるまでもないですね。明主様の呼吸のほうが、私たちの呼吸よりかに上ですね。ではないですか?永遠に止まることがない、神様の命に満ち満ちた明主様の呼吸は、私たちの、死にゆく、枯れた呼吸より遥かに上ですね。
 もしそうだとして、今まで皆様は、一度でも、明主様の呼吸と一つになりたいと思ったことはあったのでしょうか?ご昇天後も明主様は生きておられると長年信じてきたのだとしたら、その長い間、明主様の呼吸と一つになりたいと願ったことが一度でもあったのでしょうか?もっと言えば、明主様の信徒として今日まで歩む中で、明主様は息をしていらっしゃる──皆様方お一人おひとりの中で息をしていらっしゃる──と、一度でも思い、認めたことはあったのでしょうか?
 これらの質問に「はい」と言える方は、非常に少ないと思います。
 「分かりました。ではこれから私は、明主様の呼吸と一つになることに努めていきます」──私たちはこのように言いたいところだとは思いますが、これではまだ足りないのですね。実は、もう一点、重大な点が残されているのです。
 明主様の御歌を見させていただきましょう。
 「断崖の行手にあるが知られけり光の主を拝みてより
 あるいは、
 「有難し救主御声を聞く我体魂は力増すなり」
 また、
 「喜びの涙へし目にうつる神々しさの姿」
 明主様は、誰かのことをしていらっしゃったのです。明主様が「救主」と認識していらっしゃった方がいたのです。明主様が、ご覧になるだけで喜びの涙をこらえてしまわれるような方がいたのです。明主様が「きみ」とお呼びになる方がいたのです。
 これは一体誰のことなのでしょうか?「きみ」とは、「光の主」とは、「救い主」とは一体誰のことなのでしょうか?私たちはよく、明主様こそが救い主だと言いますが、明主様は、救い主と呼ばれる方のお声を聞いておられたのです。
 当初、明主様は、この「光の主」は観音であると仰せになりました。しかし、皆様ご存じのように、観音はメシアとなられました。つまり、この「きみ」とは、この「救い主」とは、メシアのことです。
 明主様は、メシアという存在にお会いになっていたのです。メシアのお声を聞いておられたし、また、そのお姿をご覧になり、喜びの涙を流されていたのです。
 新しくお生まれになった時、明主様は、この「メシア」という存在と一つになられた。だから明主様は、「メシアとして新しく生まれた」と仰せになった。だから私たちは、明主様のことを、「メシアであられる明主様」とお呼びすることができる。ですね?
 私たちが知らなければならないこと、それは、「明主様」と「メシア」というのは別々の存在であるということです。なぜなら、明主様は、メシアを拝し、メシアのお声を聞き、そしてメシアをご覧になっていたからです。
 皆様に聞きます。明主様が拝していらっしゃった「光の主」に会いたくないですか?明主様が聞いていらっしゃった「救い主」のお声を聞きたくないですか?「光の主」がいかに神々しいか知りたくないですか?そして、明主様がされたように、喜びの涙を流したくはないですか?
 私は、そうしたいです。絶対に、そうしたいです。
 それだけではなく、私は、メシアという存在と一つになりたい。一つになって、明主様のように、メシアとして新しく生まれたい。
 私は、ただの人間です。いつの日にかは死にゆく運命にあるものです。しかし私には、希望があります。明主様が私にお示しくださった、希望があります。それは、「私の中にいらっしゃるメシアと一つになれば、死は存在しない」という希望です。「永遠の命に生きる」という希望です。そしてこの希望は、皆様方お一人おひとりの中にも存在している。
 皆様、私たちの中にいらっしゃるメシアと一つになるよう努めようではありませんか。私たちの中にいらっしゃるメシアの息と一つになるよう努めようではありませんか。なぜなら、この息は永遠であり、すべてを甦らせる力を持っているのですから。
 これは、明主様の息と一つになる、ということです、否、正確には、明主様と共におられるメシアの息と一つになる、ということです。
 皆様にとって、私の話すこれらすべてのことは漠然とした話のように思われるかもしれません。しかし、まず、実践していただきたいのです。
 死にゆく、枯れた、人間の息を捨て去り、明主様と共におられるメシアの息と一つになる──これに努めていただきたいのです。そうされるならば、本当に、想像もしていないことが起こる、かもしれません。
 私たちの息は、枯れた息です。私たちの中にいらっしゃるご先祖様の息も、枯れた息です。だから私たちはいろいろな病気にかかったり、心が苦しい。でも、もし私たちの息と、私たちの中にいらっしゃるご先祖様の息が神様の息に甦ることができれば、私たちの体は活性化し、今抱えている問題も消えてなくなってしまうかもしれないのです。

 

明主様は、生きておられます。生きて、呼吸をしておられます。なぜなら、永遠の存在であるメシアの息と一つだからです。
 皆様方が、明主様は生きておられると本当に思うのならば、今、息を吐いてください。そして、ご自分の息を、明主様にお返ししてください。死にゆく、枯れた息を、明主様にお返ししてください。その上で、息を吸ってください。明主様の息を、否、明主様と共におられるメシアの息を吸ってください。
 もし自分の息のほうが明主様の息よりも上だと思うのならば、このことはされなくて結構です。しかし、まず、一度、試されてはいかがですか?
 奇蹟が待っている、かもしれません。

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