PDF: 教主様との出会い_吉波照子

 

北陸関西教区 生駒教会
 教会長 吉波 照子

 

毎月の『Glory』を心待ちにさせていただいております。碧雲荘のお庭の花々を表紙に掲載してくださり、教主様が私たち信徒を碧雲荘へ、教主様の御許へと迎え入れてくださろうとのお心のように感じさせていただいています。『Glory』の隅から隅まで、どの誌面にもレイアウト一つ取っても、私たち信徒を、神様と一つ心にお導きくださる教主様のお心が感じられてなりません。迷子にならぬよう神様の御許への帰り道をお示しくださる大切な大切な道しるべの教会誌です。

 

父が長年の高血圧と腎臓の不調を治していただいたことを機に、私の両親は入信しました。
 父は学生時代、ラグビー中に腎臓に強い衝撃を受けたことで、それ以来片方の腎臓は機能しなくなっていました。父は、信徒だった祖母からご浄霊を受けて治していただいたこと、その後、郷里の九州でいろんな方に浄霊布教をしていたことを最近知りました。
 私の入信は中学入学時でしたが、信仰3世で、周囲から言われるままにさまざまな学生の行事に参加していました。学生錬成会、御教え勉強会、機関紙配布等の活動でしたが、活動そのものより友人と過ごす時間が楽しみというものでした。ただ、子供のころに初めて明主様のことを教えていただいて以来、明主様に対する不思議な熱い思いがいつも胸の奥にありました。
 その後、親類間で争いが起き、周囲に要らぬ気を遣わせてしまうとの理由から、私としては受け入れ難くも、父の強い決心で、一家して信仰から離れてしまいました。
 しかし、形の上では離れても明主様を忘れたことは一日もありませんでした。私は、長年、「私が明主様を忘れていないのだ」と思っておりましたが、後年教主様から祭典やご巡教でのお言葉を賜り、忘れていないのはこの私ではなく、神様と明主様が私からひとときも離れることなくずっと臨んできてくださっていたことに思いが至りました。過去の闇のような時の流れの中でも、神様と明主様は私の中でずっとご一緒にいらしてくださっていたのだと、知らなかったとはいえそのありがたさに感涙してしまいました。たとえ人間がどうあろうと、神様のほうから離れてしまわれることはないとは、なんという深い愛かと思わせていただきました。
 私は短大卒業後、一般企業に4年勤務しました。友人に信仰を伝えたりご浄霊させていただいたりしていました。その後、結婚することになり、夫の入信を機に私も信徒として復活させていただきました。と同時に、周囲に布教せざるを得ないことが次々と起きてきました。ご近所の方々のお導きが許されていきました。
 平成8年、突然夫が大病をいただき倒れました。病状に先が見えない中、じっとしておれず、病院内で機関紙配布や浄霊布教をさせていただきました。途中、この先夫がどうなろうと、神様に私自身をお捧げする決心と覚悟を明主様にご奉告させていただいていました。病状に変わりはないのに、私の心は不思議なほど明るくなっていました。明主様の手の中、多くの方々のお祈りと手助けをいただきまして感謝の日々でした。その後、夫は奇蹟的に快癒し、社会復帰まで許されました。約100日間のことでした。
 信仰から離れていた実家の親兄妹にも声をかけることが許され、十数年ぶりに再入信をお許しいただきました。この際の入信式は感慨無量でした。地域の浄霊所として本格的に我が家をお使いいただいて、縁が縁を呼ぶ中で多くの信仰の仲間をお許しいただきました。世界中の人々に明主様の御名をお伝えしたいという思いで、浄霊所グループとして共に布教にお仕えさせていただきました。
 平成14年、いづのめ教団は浄霊センター制に変わり、私は生駒浄霊センター長の御用をいただきました。専従ではなく、兼業センター長として、右も左も分からない中、明主様のお役に立たせていただきたい一心で必死になってお仕えさせていただいていました。折しも、聖地建設に信者さんと共にお仕えさせていただくこととなり、その結果、センターの老朽化に伴う新たな拠点の建設へとつながっていき、新センターは平成24年に竣工しました。
 今から思えば、当時の御祈願書がそうであったように、神様から対価を求められる信仰が御心に適うこととして、徳積みや利他行を中心に突っ走ってきました。一生懸命努力して霊籍向上が許されるという、すべてが自力の信仰だったと思います。唯物信仰の道を歩んでいることに気づくこともなく、したり顔で一知半解の聖言をお伝えしてはやほこりをまき散らし、その後始末を神様と明主様がしてくださっていたのかと思いますと申し訳なさでいっぱいです。信者さんにも押し付けてきたのではないかと申し訳ない気持ちです。

 

私が初めて教主様に出会わせていただきましたのは、教主様がご就位になった平成10年の立春祭だったと思います。教主様が救世会館の舞台に登壇された時です。舞台袖から登場された瞬間、お姿を拝して込み上げるものがありました。
 平成29年立春祭に教主様がお立ち上がりになり、それまで見えなかった教団の姿を全信徒が知ることになりました。ここから私自身の信仰の見直しが始まりました。教主様をないがしろにするいづのめ教団執行部による情報統制の中で、自ら何をなすべきか悩み苦しみました。教主様の思いにお応えさせていただきたい、私にしかできないことは、この思いを伝えていくことだとの結論に至りました。拠点の初代所長の時に起きた教団浄化の際、「明主様中心は教主様中心」との旗印を掲げて三代様の御許に馳せ参じた教主様中心の信仰を、当然のごとく大事に受け継いできたと思っていましたし、いづのめ教団は教主様中心の神業体制の確立を願いに着々と進んでいると信じて疑いを持ってきませんでした。
 平成30年、教主様を大阪でお迎えした際に、富山教会の全信徒が教主様と心を一つにする決断をしたことをお聞きして、焦りました。それからは拠点の中心的な方々と一緒に、教主様中心の信仰をお一人おひとりに確認する日々でした。今までも、教団浄化は、教団が教主様中心でなくなるたびに起きてきたこと。このたびの教団浄化も、真の教主様中心になるために起きていることをひたすら共有させていただきました。
 生駒教会は、一人残らずではありませんでしたが、9割以上の信者さんが教主様と思いを一つにする決断をされました。この決断を許してくださいました神様と明主様に感謝しかありません。平成30年、建設してから間もない拠点を出ることになりましたので、当時信者さんの思いはやるせなさで複雑だったと思います。
 以前に比べて現在の教会は狭くなりましたが、折しも、新型コロナウイルス感染症が拡大するにつれて、一人ひとりにとって必要な拠点とはどういう場所かを考える機会になり、教主様のお言葉を皆さんと学ばせていただく中で、神様も聖地も教会も私たちの中にある、そのことを思い出させていただくための御神体があるご神前こそが大切な場所で、大きさや形ではないとの声を多く聞かせていただけるようになりました。教主様のお心にお仕えすることこそ唯一無二の絶対の信仰の拠り所であると、聖旨をいただいています。
 これらのことと前後して、若くして姪が他界しました。余命宣告を受けた姪の姿を通して、教主様から私は大切なことに気づかせていただきました。姪がこの現世の存命中になんとか神様を受け入れられるようにと私は願い、委ね、祈っていました。目前に死という区切りを置かれて、恐れで泣いている、それでも神様を否定し、かたくなに受け入れない姪の姿を見て、私自身が神様を忘れてしまっていたことに気づかせていただきました。姪は神様を知らない人々の姿そのもの、だからこそ、その姿を通して神様にお使いいただいている、神様は姪の中に生きて働いておられる、決して離れてなどいないことに気づかせていただきました。
 申し訳ないことに私自身が、姪の中に神ありを信じられていなかったことに気づかせていただきました。そして、姪は、神様の未来の救いのためにお使いいただいている、ということを信じられる心に変えていただきました。
 それは、次の教主様のお言葉がきっかけでした。

 

…以前の私は、想念の実践──自分の心に湧き上がる様々な感情や思いを神様にお捧げする実践──とは過去に起きた事柄に対する救いの業だと思っていました。しかし、私は、「神様がされることのすべては、未来のためである」ということに、明主様を通して、気づかされたのです。神様は、過去も、現在も、未来も、すべてをお使いになって、新しい未来を創造しておられます。それこそが、神様の創造のみ業なのだと気づかされたのです。神様とは、未来の神様なのです。
 私どもの先祖の方々の歩み、私どもの今の人生の営み、そして、私どもの子孫が歩むであろう道、これらすべては、新しい未来を創造するという、神様の偉大なみ業の一部であったのです。神様の創造のみ力とは、新しい未来を造り出すみ力であり、すべてのものを新しくするみ力であります。また、私どもが忘れてはならないこと、それは、神様が、天国において、始まりの世界において、私どもにご自身の「未来」を託してくださったこと、そして、私どもはそれを持ってこの地上に来たことです。私ども一人ひとりを例外なく赦し、ご自身の天国に迎え入れ、私どもをご自身の子供とし、そして、永遠に私どもと共に住むこと、これが「神様の未来」なのです。
20191027日 在日ブラジル人信徒祖霊大祭)

 

ずいぶん以前に祭典の中で賜った教主様のお言葉に、次のようにお宣べになったことがありました。
 私たちが霊界に帰った時に主神からお前は誰だと名前を聞かれる、その時に何の某と現世での名前を申し上げても主神はお前など知らないとおっしゃる。メシアとなって新しくお生まれになった明主様につながった者ですと申し上げると主神はお前を知っていると言ってくださる。このようなお話だったと思います(20051016日 秋季大祭)。
 新しく生まれる前の明主様信仰しか知らなかった私にとって、このお言葉は、メシアとなられた明主様につながるだけの救いで終わっていた私の姿に気づかせてくださるものでした。
 私たちは、メシアとご一体となった明主様を模範とさせていただき、メシアとして新しく生まれる運命にあることに、教主様は目覚めさせてくださいました。
 教主様を通して、このように取るに足らない小さな私の中に、いくつもの大転換をお許しいただきまして感謝しかありません。

 

大転換の今、明主様を模範として神様の子供として新しく生まれる道を、教主様と真明様を先頭に私も力強く歩ませていただきます。
 主神─明主様─教主様─信徒へのメシアの御名による縦軸がまっすぐに貫かれた今、少しでもぶれたらはじき出されるのではないかと思います。教主様から信徒にまっすぐ下ろしていただける教団体制が整えられ、明主様に感謝しかありません。亜流や例外を作ってきた過去の過ちを繰り返すことのない道がやっと整えられ、「教団の在り方は教主様のお考えとは少し違う」などの横からのささやきに振り回されることはもう二度とないのです。この揺るぎない縦軸のもと、祭儀祭式が世界的に統一されたとお聞きしてあり得ない進展に感動いたしました。教主様と一つ心になるための揺るぎない縦軸の新体制をご用意くださった神様と明主様に感謝申し上げます。
 教団内の争いも、今まで繰り返されてきた本質を、今年の五月度月次祭で真明様からご教示いただき、衝撃を受けました。厳しいことですが、事実、私ではない誰かのこととして当事者意識が希薄でした。真明様は、神様に対して自分が反してきたことを認め、心からの悔い改めを私たちが申し上げることを神様はずっとお待ちくださっていたことをご教示くださいました。イエスの贖いを用意してくださって、この心からの悔い改めを私たちにさせてくださろうとして、神様が大きな愛で包んでくださり、お待ちになっていたことも知らず、他人事としてきました。もう少しで、せっかくの赦しをお受けできないままになるところでした。
 いづのめ教団時代は、教主様のお言葉をずっと大切に学ばせていただいていましたが、「教主様のお言葉は想念だけだから実践が必要だ」という指導をいただき、従っていました。私は教主様中心なんだということを偉そうに思っていましたが、今となっては私自身が教主様に背いていたのだと気づかせていただき、教主様に対して申し訳なく、お詫びの気持ちでいっぱいです。
 忌まわしい争いの姿も、例外や亜流を作ってきたことも、神様や明主様の御心に反してきた自分の姿であったことも認めさせていただき、心からの悔い改めをもって、世界メシア教の一員として、私たちを通して現れてくださっている神様の御心が成し遂げられますように、一心にお仕えさせていただきたいと思います。
 ありがとうございました。

 

教会誌『グローリー』No. 17, 2021/6月号掲載