「明主様は今、地上天国に住んでおられる」
《明主様》
茲に悲しむべき事がある。というのは人類が数千年の長い間に堆積された処の罪穢であって、当然此大浄化作用が発生するのである。それを之から詳しく説いてみるが、幸い之を読む人々は救いの綱を目の前に出されたのであるから、何等の躊躇なく掴まれん事である。それを前以て人類に知らせ、悔改めを私は神に代って勧告するのである。之ぞ神の大愛でなくて何であろう、従って之を知った以上、一時も早く頭の切替えは固より、心の準備に取掛るべきである。そうして審判の最後に到っては、罪深き者は亡び、罪浅き者は救われるのは決定的であるから、之を信ずる者こそ永遠の生命を獲得すると共に、将来に於ける地上天国の住民として残るのである。
(1952年8月20日 文明の創造 序文)
《教主様》
私どもは元々、天国において、明主様と兄弟関係という深い縁で結ばれていたのです。
その天国で私どもを生んでくださった真の親を忘れ、自分の生きる目的を忘れ、思い思いに生きていた私どもを、主神は赦してくださいました。
明主様は、私どもと同じように地上に来られ、全人類を代表して悔い改められ、天国に立ち返られて、主神の子たるメシアとして新しくお生まれになりました。
私どもも、私どもの模範たる明主様に倣って、悔い改めて、赦しをお受けし、天国に立ち返らせていただき、新しく生まれさせていただけるのです。
なぜならば、主神は、メシアの御名にあって、私どもを赦し、再び天国に迎え入れ、私どもと共にお住みになることを、あらかじめ定めておられるからです。
何という大きな赦しであり、恵みでありましょう。
(2019年3月30日 春季大祭)
《真明様》
私たちは、…本当は、家出をしていたんです。〝お父さんのことなんか知らない!〟と言って家出をしてきた状況なんです。だから、「悔い改め」という表現になると、非常に宗教的な響きを持ってしまうのですけれども、簡単に言えば、〝お父さんごめんなさい〟ということではないですか。お父さんごめんなさい、メシアの御名にあって、帰りたいんです、帰ります、と言えば、そこに本当にいらっしゃるんですよね、お父さんが。だって、天国と言っても家ですから、お父さんはいますよね。神様と明主様がいらっしゃるんです。玄関で、ドアで、待ってくださっている。そして、〝よく帰ってきてくれたね〟と言ってくださって、家に迎え入れてくださると思います。
だから、こういう霊とか神様とかの話は、目には見えないので架空の話のように思うかもしれませんが、実は、神様も明主様も確かに存在しているんです。明主様は、ご昇天になって、消えてしまったわけではないんです。だから、目には見えなくても、あると信じて、素直な気持ちで〝ごめんなさい〟と言って、天国のドアに飛び込んだら、本当に、神様も明主様も抱きしめてくださると思います。そういう真の愛情を持ったお方ですから、神様は、明主様は。その喜びは、言葉に表せないほどのものだと思います。
(2018年9月1日 フランクフルト教会お話)
教会誌『グローリー』No. 18, 2021/7月号掲載