ドイツ世界メシア教
本部長 マルコス・トメ・デ・モウラ
私はブラジルの、質素な、しかし、温かい、実直な家庭に生まれました。私の父は6人の家族を養うため、いつも懸命に働いていました。父は「人の役に立たずに一日が過ぎてはだめだ」とよく言っていましたが、この言葉は今も私の胸に刻まれています。
ひと言で言えば、私は、愛の中で子供時代を過ごすことができました。父はお年寄りや障がい者の方をよく手助けしていました。また、私の家族は神様に対する深い信仰を持っており、神様に反するようなことをするのは許されることではなく、いつでも善い行いをするよう教えられてきました。このような環境で育てられた私は、何の迷いもない少年時代を過ごしていたように思います。
私には姉妹がいましたが、家族の中で唯一の男の子でしたので厳しく育てられました。父が警察官であったことも私への厳しいしつけに影響したことと思います。しかし、厳しいしつけへの反動か、私は思春期になると父の教育方針に反発するようになっていきました。私の父への反感は日増しに大きくなり、家族と一緒にいてもイライラするようになっていきました。
高校3年生になったある日、授業の中で先生が浄霊の話をしました。それを聞いた私は強く興味を引かれ、すぐさまリオ市内にある近くの教会に行くことにしました。
教会に行ってみると、そこは人であふれ、特に若い人たちがたくさんいました。当時17歳だった私には、若い人がたくさんいるその場所が非常に魅力的に思えたのです。
浄霊を初めていただいたとき、涙を止めることができませんでした。私はすでに「明主様こそ」という思いになっていたのです。明主様こそ私と私の家族に真の幸せをもたらしてくださるお方なのだと思えてなりませんでした。
それからというもの、私は毎日教会に通うようになり、教会にいる専従者と共に御用に積極的に関わるようになりました。渡辺哲男先生をはじめとする多くの先生方にお会いしたのもこの時期のことです。年齢関係なく多くの信徒と友情を育み、たくさんのことを学びました。
神様と明主様への感謝の思いは日を経るにつれ大きくなり、私は専従者になりたいと思うようになりました。そのようにして1977年にリオでの研修を始めました。1978年から1979年の半ばまではサンパウロのブラジル本部での研修、そしてすぐ日本に渡り、1981年の終わりまで日本で研修生として滞在しました。
振り返ると、この研修生としての時期は、私の人生の中でも掛けがえのないものでした。ブラジルと日本において信徒や専従者や先生方から多くの学びを得、その後の私の専従人生に多大なる影響を与えました。
日本での研修が終わりブラジルに戻ると、世界布教への準備としての研修がスタートしました。ドイツ語、フランス語と英語を学んだり教会に行ったりしました。そのようなことをして1年ほど経ったとき渡辺先生との面談があり、先生は私にどこで布教したいかを尋ねてきました。私はフランスと答えましたが、先生は、フランスには今日本の布教師がいるので適切ではない、誰もいないところで一から開拓布教できるところのほうがよい、ドイツがよいのではないかとおっしゃいました。そして、ドイツ行きの準備として、ブラジル内のドイツ系移民が多くいる街の教会でしばらく御用をし、本教の基本的な思想をドイツ語で説明できるようにしておきなさいとおっしゃいました。
1984年、私はついにドイツに行くことができました。しかし、ブラジルとは全く文化が異なり、また、キリスト教が基盤であるドイツにおいて新しい宗教を広めることは困難を極めました。私は毎日のように街に出て、道行く人々に「浄霊を受けませんか?」と歩いて回りました。病院に行き多くの人に浄霊をしたときは、許可なく宗教行為をすることは禁止されているとつまみ出されたこともありました。
また、ブラジルから連絡があり、ドイツに住んでいるあるブラジル人家族のもとに浄霊に行ってほしいと頼まれることもありました。あるときは私の住まいから800キロも離れている場所に行かねばなりませんでした。そのとき全くお金が無かった私は、ホテル代を浮かせるために夜行列車を利用して浄霊をしに行ったものでした。
またあるときは、昏睡状態の男性に浄霊をさせていただいたところ、その男性の奥様から大変感謝され、3か月間そのご夫婦の家で寝泊まりをさせていただけたこともありました。当時ろくに寝場所も確保できていなかった私には、大きな助けとなったのでした。
そのような経験を通して私は、私がドイツに来るために必要な準備は明主様がすでにしてくださっていたのだと気付くことができました。神様と明主様が、必要な人を必要なときにご用意くださるのだと気付くことができました。
ドイツに来てからお世話になったすべての人が今、私と御用をしてくださっているわけではありません。すでに霊界に旅立たれた方もたくさんいます。しかし、彼らがいかにご神業の発展のために大切なお役を担われたのかと思うと、彼らに対して私はこれからも感謝を捧げ続けたいと思います。同時に、神様と明主様が彼らを祝福してくださいますようにと祈らずにはおれません。
困難が大きければ大きいほど、私を前に押し進めようとする力が強まるのを感じます。決して止まってはならない、前に進み続けるのだ、という思いが臨んでくるのを感じます。今もその力を感じています。
ドイツに来て味わったさまざまな困難を通して私の信仰は強固なものとなりました。何事も、何者も、私をこの信仰の道から取り除くことはできない、そういう思いになることができました。神様と明主様に心から感謝したいと思います。
2018年の地上天国祭、私は訪日し教主様にお会いしましたが、そのときのことは今でも忘れることができません。説明ができないほど強い喜びを感じ、教主様中心の信仰こそが真の明主様信仰なのだと確信しました。
ドイツに戻ってからこのときの話を信徒に何回もしていますが、毎回涙が流れるのを抑えることができないのです。それほど教主様にお会いしたときの私の喜びは大きかったのです。
教主様にお会いすると心に大きな、大きな安らぎを感じます。教主様と一つ心に歩むことこそが明主様がお説きになった天国樹立の道に向かっていくことなのだと思わずにはおれません。
日本で私が教主様にお会いすることを知っていたブラジルにいる私の家族や親戚は、教主様との出会いがどのようなものであったかを知りたいようでした。そこで私はオンライン上で家族と会話をすることにしました。家族に「教主様に付いていかせていただくことが真の道である」との私の熱い思いを伝えたところ、一人残らず教主様と共に歩む決心をしました。
2018年の地上天国祭から約2か月後の8月、将来の教主様であられる真明様が、リーフレット「神様の子どもとなるために」を携えてドイツに来られました。(1)
真明様が日本に戻られたあと、翌年の教主様ドイツご巡教に向けて、主にフランクフルト市内でこのリーフレット配布を積極的に行いました。
教主様がこのリーフレットに込められた思い──神様と明主様とイエス・キリストは一つであるという思い──によって、ドイツと、またヨーロッパ全体の布教への道が大きく開かれたように感じています。
そして翌年の2019年に教主様はドイツに来られ、11月3日に「祖霊大祭並びにドイツ世界信徒大会」を執り行うことができました。ドイツを含め18か国もの国々から250名の信徒が参集しました。このようなことは、私が新しい段階の布教をお受けしようと決心したからこそ起こり得たことなのだと思っています。
私は教主様が行かれるところはどこでも行かせていただいております。今まで、韓国、アメリカ、ブラジルに行かせていただきましたが、教主様にお会いすると幸せな思いが心の奥底から湧き上がってくるようであり、その思いは、お会いするたびに強まっています。
教主様、まゆみ奥様、真明様にお会いするたびに、お三方の大きな愛と優しさを感じます。
教主様と真明様は、私と、ドイツの教会につながる信徒をいつもお導きくださっています。私たちは常に、教主様と真明様のご教導・ご教示をまっすぐにお受けし、お二人と一つ心で歩んでいきます。私は改めてお二人に、私たちを導いてくださっていることに対して感謝の思いをお伝えしたいと思います。誠にありがとうございます。
教主様、まゆみ奥様、真明様はさまざまな困難の中にあって、明主様が聖言に込められた真の願いのため、キリスト教と呼応して進むという明主様のみ心の実現のため立ち上がってくださいました。お三方の勇気には頭が下がる思いです。
教主様がお導きくださっている明主様の真実は、信徒と専従者の心の中に確かに根づいてきていると、そのように感じています。
教主様、本当にありがとうございます。
(1)現在使用しているリーフレット「神様の子どもとなるために」は、この時、真明様によって、ドイツにおいて、日本も含めて世界で初めて発表されました。
教会誌『グローリー』No. 19, 2021/8月号掲載