十一月度月次祭
2021年11月1日
御歌
神知らぬ人の憐れさ世の終り来つるがまでの命にありせば
凡眼に映り得べしやいと尊き神の御姿現はれ給ふも
盲ほど儚なきものは世にあらじ近処の宝知る由もなく
大いなる神の力を見するとも哀れ盲*の眼には映らじ
戦ひも病も貧も何かせむ神の力を受くる我身は
* 盲 当時の時代背景と、明主様の遺された御歌の姿を尊重し、原文のままとしています。
聖言
春季大祭御講話(昭和28年3月23日)
奇蹟というものは誰がやるかと言うと、勿論神様がやられるのですが、〝では何の目的だ〟漠然と〝奇蹟だ、不思議だ不思議だ〟と言って驚いているばかりが能ではないので、やっぱりそういう奇蹟を現わすという事は、神様の方の大きな目的がなければならないのです。ではその目的とは何かと言うと、霊を認めさせる事です。霊を知らせる事です。だから霊の方が分れば、奇蹟という言葉はなくなるのです。奇蹟ではなくて当り前の事になるからです。しかし霊という事を認めないから、ああいう変った有り得べからざる事があるのです。奇蹟というのは、霊を知らせるという第一歩です。
『御教え集』20号
*抜粋