豊穣祈願祭

2022年3月1日

明主様御歌

嘘をいふ人こそいとも愚かなり己が舌もて己が傷つき

諸々の悪を育くむ種こそは嘘佯りの心なりけり

地上天国も詮じ詰めれば暗がりも秘密も嘘もなき世なりける

正直の人ほど神は賞でまされ限りなき幸恵み給はむ

人の眼は偽り得ても神の眼は偽り得ぬと知る人の幸

聖言

嘘吐き迷信 (昭和26年9月5日)

迷信にも色々あるが、一寸人の気の付かない迷信に、此嘘吐き迷信がある。つまり嘘を吐いても、巧くゆく事と思う迷信で、現代の人間は実によく嘘を吐く、大抵の人は最早馴れっこになって了って、不知不識嘘を吐いても平気である。つまり嘘が身に付いて了って全然気が付かないのであろう。部下などがそういう時、私はいつも注意を与えるが、御当人は仲々分らないで、嘘と本当との区別さえつかない者が多い。そこでよく説明してやると、どうやら嘘である事が判って、謝るという訳である。此様に嘘と本当との限界が分り難い程、今の人間は嘘が当り前になっている。

嘘を吐きたがるというその本心は、全く嘘をついても知れずに済むと思うからで、実は甘いものである。成程世の中に神様がないとしたら、それに違いないから、巧く嘘を吐く程悧口という事になるが、事実は大違いだ。何となれば神様は厳然と御座るのだから、どんなに巧く瞞しても、それは一時的で必ず暴露するに決っている。だから暴れたが最後恥を掻き、信用を失い、制裁を受け、凡そ始めの目的とは逆になるから、差引大損する事となるに違いない。只神様が目に見えないから無いと思うだけで、恰度野蛮人が空気は見えないから、無いと思うと同様で、此点野蛮人のレベルと等しい訳である。何と情ない文化人ではなかろうか。

『栄光』120号
*抜粋

 

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