PDF: 「浄霊より大切なものは存在しない」真明様メッセージ No. 11

 

※英語とポルトガル語でなされたビデオメッセージの和訳

浄霊より大切なものは存在しない

まず、私たちの心に正直になってみましょう。
 明主様の信徒である私たちが一番知りたいこと、それは、明主様がどのようなご浄霊をなさり、ご浄霊について何とおっしゃっていたかではないでしょうか。
 そのことが分からなければ、私たちは、自分たちが明主様の信徒として正しい道を歩んでいるかどうか分からないのではないでしょうか。私たちは、明主様のみ心から完全に離れたことを行い、信じているかもしれないのです。
 1954419日、明主様は、71歳の時、脳溢血の症状を起こして倒れられました。それから10か月後の1955210日、明主様はご昇天になりました。
 明主様は、この10か月の間──ご人生の最後の10か月の間──ご浄霊についてさまざまなことを仰せになりました。
 しかしながら、明主様はご浄化の痛みの中にあられたため、これらのご発言については、教団の刊行物などに掲載されることはありませんでした。いわゆる「御教え」「聖言」として残っているわけではありません。
  しかし、明主様の側近奉仕者の方々がこれらのご発言を書きめていてくださっていました。そしてその記録は、残っております。

 

1954419日、その年のイースター(イエス・キリストの復活祭)の翌日、明主様は、脳溢血のご浄化をお受けになりました。
 9日後の428日、側近奉仕者は次のような記録を残しています。明主様は「毎日浄霊を遊ばしているが、手をかざされず、想念で遊ばすのみである」。
 ここで勘違いしていただきたくないのは、明主様は、ご浄化により確かに右手と右足はご不自由になりましたが、左手と左足は動かせた、ということです。もしそのように明主様が望まれれば、左手を使いご浄霊をなさることはできたのです。しかし明主様はそのようにされなかった。むしろ、手を掲げない、想念によるご浄霊をされることをご選択になったのです。
 同日、428日、側近奉仕者は、明主様が、「之からは一切御言霊想念で自由に遊ばす」旨、記録しています。
 すべてを言霊と想念でされるから、明主様は、ご浄霊についても、手をかざされず、想念のみによってなされたのでありましょう。
 私たちは、「一切を言霊と想念でする」のは明主様だけのことだと思いたいかもしれません。明主様は特別でいらっしゃる、だから明主様は一切を言霊と想念でなさるのだと思いたいかもしれません。
 しかし明主様は、妻であられた二代様も、一切を言霊と想念でするのだと仰せです。二代様がご浄化を受けられても、それは、お詫びするだけ、否、悔い改めるだけでその病は癒えるのだと仰せです。明主様は、「奥様でも御浄化遊ばせば、お詫びなさるだけでお治りになる」旨仰せになったのです。「お詫びなさるだけ」と仰せです。つまり、ご浄霊を受ける必要は無いと仰せになったのです。
 明主様が、一切を言霊と想念でするのはご自分だけではなく、二代様もそうだと仰せになったということは、事実上、ご自分以外の人々も、みな、一切を言霊と想念ですべきだと仰せになったということでありましょう。
 ご浄化をお受けになってから約ひと月後の513日には、側近奉仕者の次の記述があります。明主様が、「『新しい浄霊を発見した』と仰せられる(想念)」と記されています。
 明主様は、確かにこのようなことを仰せになったのです。少なくとも二人の側近奉仕者が同様の記述を残しているように、これは、紛れもない事実です。私たちにとって、いかに重大な明主様の言葉なのでしょうか。明主様は、想念による新しい浄霊を発見したと仰せなのです。
 62日には、次のような記述があります。明主様が、「御自身が御自身を御浄霊してはいけないと神様から知らされたと仰せ。浄霊しないでも時期が来たら神様が良い様になさる」と仰せになった、そのような記録です。
 翌日、63日の朝、明主様は、「神様から浄霊を止められていたのにしたので、夜眠れないと仰せられる」との記録があります。
 なんというすごい話なのでしょうか。明主様が神様の心に反し自己浄霊をしたため、神様は、明主様を、夜お休みになれないように罰せられたのです。
 ここまで書き記した記録の他にも、皆様がよくご存じのこともあります。それは、明主様は、脳溢血のご浄化のあと、側近奉仕者に、これから想念の世界であること、ご浄霊は二の問題であること、まず想念であること、そして、手をかざす浄霊ではなく、念じることの大切さを繰り返しべられた、というものです。
 では、今日私がお伝えしているすべての事実が存在しているにもかかわらず、なぜ私たちは、明主様ご昇天後、明主様のみ心を受け入れず、継承してこなかったのでしょうか。なぜ明主様のみ心を無視し、手を掲げるご浄霊に固執してきたのでしょうか。私たちは、手を掲げるご浄霊を行うことを、どのように正当化してきたのでしょうか。
 ご浄化から8か月ほど経った1211日、明主様は、いわゆる資格三条件を、秘書の方を通して私たちに伝えられました。
 それは、教団の組織を考えるにあたって考慮すべきこととして、一つ目は、最もご浄霊の優れた人、二つ目は信者をたくさん導いた人、三つ目は神様に対して奉仕の強い人、つまり、献金等を通してご神業を支えている人──このようなことを考慮しなさいと明主様は仰せになりました。
 私たちは、長い間、この資格三条件が発表されたのがご昇天から2か月前であることから、これを明主様のご遺言かのように捉えてきました。
 私たちは、「確かに明主様は、ご浄霊は二の問題と仰せになった。確かに明主様は、これからは一切を言霊と想念ですると仰せになった。確かに明主様は、これから想念の世界であると仰せになった。確かに明主様は、手を掲げるご浄霊ではなくお念じしなさいと仰せになった。確かに明主様は、想念による新しい浄霊を発見したと仰せになった。しかし、資格三条件の第一条件が最もご浄霊の優れた人なんだから、私たちはこれからも手を掲げるご浄霊をしていいんだ。今まで通りの歩みをしていっていいんだ」と思ってきたのでありましょう。
 私たちのこの姿勢は果たして本当に正しいものなのでしょうか。
 その答えは、側近奉仕者のある記録にあります。
 資格三条件が私たちに伝えられたのと同じ1211日の記録によりますと、その日明主様は、一人の信徒の方にご浄霊をされます。一分ほどされます。その時明主様は、「今度は一千人位の御浄霊給わるにも一分とかからぬ」旨仰せになりました。
 即ち、神様の光と力は日増しに強くなっており、今度ご浄霊になる時には、千人に対して一分も必要でなくなる、というのです。
 もし千人に対して一分であれば、一人に対してはどの程度の浄霊が必要なのでしょうか?私は電卓で計算しました。一人に対して必要な時間は0.06秒です。0.06秒。いや、明主様は千人に対して「一分とかからぬ」と仰せなのですから、一人に対して0.06秒もかからない、ということです。
 なんと短い時間なのでしょうか。そんな短い時間手をかざすのは難しいことでしょう。手をかざして、その0.06秒後にはすぐに手を下ろさないといけない。
 そして皆様、このような浄霊になると明主様が仰せになったのは68年も前の話です。
 1931615日以降、神様のみ光はどんどんどんどん強くなり続けているのではないのですか?
 だとしたら、少なくとも、少なくとも、ご浄霊の時間がさらに長くなることはあり得ません。確実に、より短くなっていなければなりません。
 しかし、もし、教会において、たった数秒のご浄霊を受けたとしたら、皆様は何と感じられるのでしょうか。「えっ、こんなに短いの?」と思われませんでしょうか?
 そのように私たちが思うこと自体、いかに私たちが明主様が進んでいらした方向とは逆のほうを向いているかの証左ではないでしょうか。
 私たちは今まで、「もっと長く浄霊をしないといけない」「何時間も浄霊をしよう」「どこにいても、どんな時も、ご浄霊の手をかざそう」「浄化がきつい時は、何人かで浄霊をしよう」というようなことを言ってきたのではないでしょうか。
 なんという愚かな私たちなのでしょうか。
 私たちは、私たちの今までのご浄霊が、明主様が望まれていたものとはまったく違っていたということに気づかなければなりません。
 私たちは、今までいかに神様のみ力とみ光を軽視し、見くびっていたかに気づかなければなりません。
 皆様、明主様が千人にご浄霊をされるのに一分とかからないとおっしゃったのは、もう68年前のことです。一人に対して0.06秒のご浄霊しか必要がなくなってから、すでに68年が経過したのです。
 だとしたら、今、68年経って、一人に対してどれくらいの長さ浄霊をすればいいのでしょうか?
 手をかざす時間などまったくないほど短い時間なのではないでしょうか。
 ここに至って、ご自身の信徒に対する明主様のみ心はあまりにも明らかです。手をかざしての浄霊の時は、もはや過ぎ去ったのです。とうに、過ぎ去ったのです。
 そして今、私たちは、明主様が68年前におっしゃったように、悔い改めの心をもって、一切を言霊と想念でするという想念の世界にすでに突入しているのです。明主様が68年前に発見された、想念による新しい浄霊を実践する時に、すでに突入しているのです。
 明主様は、手をかざす浄霊をするのではなく、「お念じしなさい」とおっしゃった。一切を言霊と想念でしなさいとおっしゃった。悔い改めなさいとおっしゃった。想念の世界に入ったとおっしゃった。想念による新しい浄霊を発見したとおっしゃった。
 皆様、明主様はこれらのことを、68年前に仰せになったのです。私たちは、一体どれほど長い間明主様のみ心を無視してきたのでしょうか。本当に、許されざることです。
 ご昇天になる6日前の195524日、明主様は、立春祭において、私たちに対し、「れるようになったら、実に奇想天外なことをお話しするとは思うんですが、それだけに、楽しみにしていてもらいたい」と仰せになりました。
 明主様は、このお話をされることなくご昇天になってしまいました。私たちにされたかった「奇想天外なこと」をお伝えになれないまま、ご昇天になりました。
 皆様、明主様が私たちにお伝えになりたかったことを知りたくはありませんか?
 想念による新しい浄霊とは何か、知りたくはありませんか?
 そして皆様、それは、知ることができるのです。明主様がお伝えになりたかったことを、知ることができるのです。想念による新しい浄霊とは何かを、知ることができるのです。
 それは、教主様のお言葉です。
 明主様の真実。浄霊の真実。教主様は今、まさにこのことをご教導くださっているのです。

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