PDF: 春季大祭_教主様お言葉
於:グランドニッコー東京 台場(パレロワイヤル)
皆様、本日は、「世界メシア教 春季大祭」おめでとうございます。
一昨年の御生誕祭以来、この「グランドニッコー東京 台場」において、度々祭典を執り行わせていただいておりますが、本日の祭典行事につきましても、このホテルの皆様より、格別のご理解とご協力、また、数々のご配慮をいただきまして、開催させていただくことができました。ここに、「グランドニッコー東京 台場」の皆様に、厚く御礼申し上げます。誠にありがとうございます。
皆様ご承知のことと思いますが、私の妻・まゆみは、現在入院中であります。その入院中の妻に対しまして、全国の多くの信徒の皆様、また、海外の信徒の皆様から、たくさんの励ましのメッセージをいただいており、皆様の温かいお気遣いをひしひしと感じ、改めて、皆様に支えられての私どもであることを実感しております。そうした皆様の真心に対し、そして、皆様が妻のことも皆様の思いの中に置いてくださって、神様への祈りを捧げてくださっていますことに対し、心から感謝申し上げます。誠にありがとうございます。
まゆみ自身、今日のこの祭典の場に、皆様と共に参列させていただいているという認識でおりますので、皆様もそのように思っていただけたらありがたいと思います。
皆様、本日4月3日、成井理事長には、62回目のお誕生日を迎えられました。
成井理事長、おめでとうございます。
皆様、拍手をもってお祝いさせていただきましょう。
成井理事長は、明主様のみ心を純粋に求められる中で、私、そして真明の思いを真正面から受けとめられ、その思いが信徒の皆様に正しく伝えられるようにと、日夜最大限の努力を注いでくださり、同時に、絶えず信徒の皆様の状況を確かめられ、皆様のご様子をつぶさにご報告くださり、大変ありがたく思っております。
そうした成井理事長に、私は心からなる信頼を寄せております。
今後とも、成井理事長と共に、明主様が「新しき構想の下に」と仰せになって開教された世界メシア教に相応しいあり方、方向性を定めつつ、皆様と心一つに前進してまいりたいと思っております。
さて、私どもは、神様を信じていると言っておりますが、どのように信じているのでしょうか。
明主様は、この世界全体をお造りになり、お使いになっているのは、その主人公である神様であるとお述べになりました。
しかし同時に、この主人公ということについて、明主様は、「魂なるものは神の分霊であって、人間の中心であり主人公である」とお説きになりました。
創造主であり、すべてを治めておられる神様が、私どもの魂として、主人公として、私どもの中におられるのです。
何と畏れ多いことでしょう。
長い間、そのような自覚もなしに神様を信じていると言ってまいりました私を、神様が赦してくださり、導いてくださっていたことを思いますと、私の生命の親である神様の愛がいかに深いものであるかと感じずにはおられません。
神様は、私ども一人ひとりの真の親であり、主人公なのです。
その神様は、私どもと思いを通い合わせたいと心から願い、一生懸命働きかけ、語りかけてくださっています。
それは、神様が私ども一人ひとりを、神様の意識を継承する子供になさろうとしておられるからです。
そのために、神様は、創造の始まりの天国において、私どもをご自身の霊の子として生んでくださり、私どもの中に、ご自身の永遠の生命と意識と魂を、息と共に用意してくださったのです。
しかしながら、天国から世に送り出された私どもは、神様が用意されたすべてのものを自分のものとするという罪を犯しました。
そして、それらすべてのものを自分のもののようにすることができたために、神様に心を向けるよりも、神様を遠ざけたいと思うようになっていきました。
そして、神様との交流を自分たちのほうから断ち切って、神様との間に、人間の力では決して取り払うことのできない垣根を作り、永遠の生命の道から外れ、死と滅びの道を歩まざるを得なくなってしまいました。
しかしながら、神様は、死と滅びの道を歩んでいた私ども人類を顧みてくださり、イエスを世に遣わし、イエスの捧げた贖いの血汐によって、私どもの犯した、取り返しのつかない重大な罪を赦してくださいました。
それだけではなく、イエスを死の世界から甦らせ、復活させることによって、私どもが再び神様と交流することができるようにしてくださいました。
贖いの御血汐あればこそ、私どもは今、神様と交流させていただけるのです。
交流は、一方通行ではないのです。
〝神様〟と呼びかけ、〝父〟と呼びかけることを許してくださっているのです。
このように深く大きな恵みをもって私どもに臨んでくださっている神様にお応えし、私どもは、明主様がなされたように、自ら進んで神様に心を向け、神様と交流させていただくべきではないでしょうか。
交流と申しましても、それは神様に自らを捧げ、お仕えすることであります。
そのための道は一つ、イエスと共にあるメシアの御名、明主様と共にあるメシアの御名であります。
その大切な御名が一人ひとりの中に存在しているのです。
私は、私どもがメシアの御名にあって、祈り、感謝し、委ね、とりなしをすることだけではなく、メシアの御名にあって、呼吸し、日々の生活を送ること、そのこと自体が神様と交流させていただくことであり、神様にお仕えすることであると思えてなりません。
それでは、私どもが神様と交流し、お仕えする立場は、私どもの中のどこなのでしょうか。
それは、私どもの意識の中心に存在する天国であります。
明主様が「人を天国へ救うには、先ず自分が天国に上って天国人となり」とお説きくださいましたように、私どもが、自分の中に天国があり、自分は天国に属するものであると認めるからこそ、私どもは、メシアの御名にあって、神様と交流し、お仕えさせていただけるのではないでしょうか。
私どもは、贖われ、浄められたものとされて、再び天国に迎え入れていただいているのです。
清いもの、聖なるものとならせていただいているのです。
私どもは、明主様の信徒であると同時に、私どもの本質は、メシアの御名にある「聖徒」なのです。
神様は今や、新しい段階の創造、第二段階の創造のみ業を成し遂げるために、すなわち、天地万物一切を甦らせ、全人類を神の子たるメシアとして新しく生まれさせるために、私どもを聖徒としてお使いくださっています。
今日までの私どものあらゆる営みも力も欲望も、贖われ、赦されたものとして天国に迎え入れて解放し、新しいものに造り替えるために私どもをお使いくださっているのです。
ですから、私どもは、何が起ころうとも、まず天国に立ち返って、〝新しいものに造り替える御用にお使いくださっているのですね。お仕えさせていただきます〟と心に決めることが大切であると思います。
私どもは、神様にお仕えすることを、ひとたび心に定めたならば、自分の意識の中心である存在、すなわち、自分の主人公である神様を決して離さないように努める必要があると思います。
私どもは、世に送り出されているために、何事にも人間的な思いが先立ってしまい、よかれと思っていろいろなことを考え、また、行動に移しますが、よかれと思うばかりに、神様の御心をお受けしようとすることを忘れがちになります。
自分が迷ったり、思い悩んだりした時には、神様に心を向けようとしますが、自分がよかれと思い、正しいと思う時こそ、神様に心を向け、〝わたしの思いではなく、あなたの御心が成し遂げられる御用にお使いください〟と意思表示させていただくべきではないでしょうか。
たとえ、それを忘れてしまったとしても、忘れてしまったということで終わらせるのではなく、あとで思い出した時に、神様にご奉告申し上げることが大切であると思います。
また、「苦しい時の神頼み」ということわざがあるように、私どもは、自分がどうしようもなく追い詰められた時には、自分のことしか考えられなくなってしまい、自分の願いが叶えられるようにと必死に神様を求めるものです。
そうした自分中心の姿に気づいて愕然とするかもしれませんが、まさに、その自分中心の姿こそ、贖いの御血汐による赦しを賜っているのです。
そのことを認めさせていただき、頭の中を埋め尽くしてしまっている心配事を胸のほうに下ろしたほうがよいと思います。
そして、頭の中心に神様をお迎えし、〝わたしと同じような悩みを抱えている多くの方をあなたはご存じなのですね。そうした方々と共に、わたし自身をあなたの御手に委ねますので、御心を成し遂げてくださいますように。そのごとくお仕えさせていただきたいのです〟と願うことを神様はお許しくださるのではないでしょうか。
神様は、すべての人を公平に愛してくださっています。
神様に愛されていない人など、誰一人としていないのです。
だからこそ、神様は、誰であろうと分け隔てなく、ご自身の息を吹き込んでくださっているのではないでしょうか。
その息は、イエスを復活させた息、明主様を新しく生まれさせた息であり、神様の永遠の生命の息、甦りの息であります。
その甦りの息は、メシアの御名によって、私どもの全身の細胞の中に吹き込まれているのです。
全人類とその父母先祖の方々に、諸々の元素を始め、万物一切に吹き込まれているのです。
私どもは今、その甦りの息と共に、すべてを甦らせ、新しいものに造り替え、全人類をメシアとして新しく生まれさせるという第二段階の創造のみ業にお使いいただいているのです。
私どもは、すべてのものと共に天国に立ち返って、その甦りの息をお受けし、日常生活の中で、吐く息吸う息と共に神様と交流し、全人類と全地球に真の救いをもたらすみ業にお仕えさせていただきましょう。
そして、メシアの御名にある「聖徒」として、この千載一遇の救いのみ業にお仕えさせていただける感謝と喜びをもって、来る6月15日の「メシア降誕本祝典」に向かわせていただきましょう。
ありがとうございました。