〝生きながら天国に住む〟
〝天国には病気はない〟
《 明主様 》
観音様を祀った方は、青空に紫や金色などの雲をみたり、月と星をみられる方がよくある。之は最奥の状態をみられるのである。要するに、生きながら天国に住む。でありますから、天国には病気はない。
御講話 年代不詳
《 教主様 》
「あなた方の中には天国があるだろう」と、「病貧争絶無の世界もあるだろう」と、「真善美全き世界もあるだろう」と、そういうことですよね。
だから私たちはそれを望むわけです。自分たちの中に天国という素晴らしい世界があるから、私たちはそれを望むわけです。だから、まず、自分が天国に上がらないといけない。といっても本当は、今も住んでいるんですよ、天国に。「天国に上がる」ということは、そこに住んでいることを認める、ということですよね。
本当は、今も、天国にいながらにして明主様のいろんな業にお仕えさせていただいているんですからね。だから、私たちの中にいろんなものが入ってくるわけです。お花の活動にしたって、それを通していろんなことがありますでしょう。人間関係も含めて、いろんな良いことも嫌なことも。
それは、私たちがすでに天国の住人だから、だからこそ、すべてのものを赦して、迎え入れて、天国に誘う、という救いの働きに神様が私たちをお使いくださっているわけですね。
2018年10月24日「いけばな・芸術について」
《 真明様 》
「病貧争絶無の世界」は、この地上でしか存在し得ないと思い込んで頑張ってきた。でも、その世界が、自分の中にあるのか無いのかというのは、大きな違いだと思います。小さなことみたいですけれども、大きな違いがあると思います。
その世界が、明主様だけでなく、我々一人ひとりの中にも確かにあるんだ、そう明主様は確信しておられた。だから、「本教救いの特異性」の御教えの中で、信徒全員に対して、救いに携わりたいのならば、まず天国に上がりなさいとおっしゃることができたのだと思います。
そして、我々の中に天国があって、そこに結ばれていくことが救いであるとみ教えくださった。それが「あらゆる宗教と異なる点でむしろ反対でさえある」とおっしゃった。
では、あらゆる宗教のやり方はなんですか?天国をこの地上に、人間の手だけで造ろうとするやり方ではないですか?病貧争絶無の世界を人間の手だけで造ろうとするのが、普通の宗教のやり方ではないですか?
だけど、明主様は、我々の救いの特異性というのは、まず天国に上がる。病貧争絶無の世界に上がる。そして、その力がこの地上に映し出されていけば、そういう世界は確実にできていくと、そういうことですよね。
だから、天国が一人ひとりの中にあるのか、無いのか。ここの差が、小さい差なんですけれども、大きいんですよ。「本教救いの特異性」もそうですし、「天国に世人救はむ望みもて吾先づ天国に住せむとすも」という御歌もありますよね。世人を天国に救おうとするならば、まず、自分が天国に住まなければならない。
そしてその天国というのは、病気も貧乏も争いもないところですよね。その世界の喜びに触れることができれば、その霊の世界の喜びが、霊主体従の法則によって、体の地上が従うように病貧争絶無の世界というのはできざるを得ないですよね。
2018年10月7日「秋季大祭前日 理事・教区長他への真明様お話」
天国ということは、神様がいらっしゃる世界ですよね。そこの天国に、地上に居ながらにして我々が神様と住むことが出来ればそれが地上天国ですよね。
2016年3月18日「専従者との懇談会」
教会誌『グローリー』No. 27, 2022/4月号掲載