世界メシア教 春季大祭

2022年4月3日

 

聖言

恐怖を除く 昭和25年1月7日

吾々の目標とする処は、常に言う如く人類救済にあるのである。としたら、人類救済という事は一言にして言えば、人類社会から一切の恐怖を除く事である。勿論その最大なる恐怖としては病気であり、貧困であり闘争である。

右の三大恐怖の中その主座を占めているものは何といっても病気である。病気の恐怖ほど常に人間を脅かすものはない。何人と雖も一生を通じて此不安から全く免れるものは一人もないといってもよかろう。次に第二の恐怖としては貧乏であるが、その原因の大方は病気からであるのは勿論で、此病気の恐怖こそは如何に文化が進歩しても減らないのみか、寧ろ増しつつあるとさえ見らるる事実である。処で今日病の原因は殆んど黴菌としているから黴菌の恐怖に至っては昔人には見られない程である。それが為健康診断各種の予防注射、レントゲン写真等凡ゆる手段を講じつつありそれが為保健所や療養所、官私の病院や国立療養所町医等々病患を防止する為の凡ゆる施設は至れり尽せりと言ってもいい程で、之等に要する莫大な費用と労力は計算の出来ない程で民衆の負担も蓋し容易ならぬものがあろう。

次に貧困の恐怖であるが、此原因の最大なものは前述の如く病気であろう。之が為個人としての療病費の多額や、罹病中の職業の放擲等による損害は固より特に患者が主人である場合、不幸の結果は遺族の生活難は免れ得ない処である。終戦後犯罪激増の大半は之等の原因も大いにあろう。勿論抑々の原因が戦争の為もあるが、戦争の被害は一時的で病気の方は永久的であるにみて最も深刻性がある。

次に戦争の恐怖も如何に大きな悩みであるかは、今現に世界人類が嘗めつつある事実によっても明かである。というのは米ソ間の深刻な摩擦で戦争が何時勃発するか判らない状勢にまで切迫している事である。而も原子爆弾という空前な恐るべき武器が表われた今日としては、もし第三次戦争が始まったとしたら、人類の破滅は必至であるとさえ言う学者がある位だから想像に難からずで、今日人類にとって之程の恐怖はあるまい。

以上の三大恐怖の解決こそ人類に与えられたる一大課題である。実に今日迄の人類はあまりにも苦悩の絶間ない世界であった。此世に確かに神がありとしたら神の大愛は此様な世界をそう永く許容し給う筈はない。

必ずや此様な苦悩の時代は打切りとなって善美なる地上天国が生れなければならない筈である。何よりも此事を絶対確信している吾等は不動の信念を以て邁進しつつあるのである。キリストの天国は近づけりと予言された意味もこの事でなくて何であろう。

以上の意味によって右の三大恐怖の解決こそ宗教の真の使命である事を痛感するのである。

『光』44号

 

聖書

ヘブル人への手紙  第2章

こういうわけだから、わたしたちは聞かされていることを、いっそう強く心に留めねばならない。そうでないと、おし流されてしまう。というのは、御使たちをとおして語られた御言が効力を持ち、あらゆる罪過と不従順とに対して正当な報いが加えられたとすれば、わたしたちは、こんなに尊い救をなおざりにしては、どうして報いをのがれることができようか。この救は、初め主によって語られたものであって、聞いた人々からわたしたちにあかしされ、さらに神も、しるしと不思議とさまざまな力あるわざとにより、また、御旨に従い聖霊を各自に賜うことによって、あかしをされたのである。

いったい、神は、わたしたちがここで語っているきたるべき世界を、御使たちに服従させることは、なさらなかった。聖書はある箇所で、こうあかししている、
 「人間が何者だから、
 これを御心に留められるのだろうか。
 人の子が何者だから、
 これを かえりみられるのだろうか。
 あなたは、しばらくの間、
 彼を御使たちよりも低い者となし、
 栄光とほまれとを冠として彼に与え、
 万物をその足の下に服従させて下さった」。
「万物を彼に服従させて下さった」という以上、服従しないものは、何ひとつ残されていないはずである。しかし、今もなお万物が彼に服従している事実を、わたしたちは見ていない。ただ、「しばらくの間、御使たちよりも低い者とされた」イエスが、死の苦しみのゆえに、栄光とほまれとを冠として与えられたのを見る。それは、彼が神の恵みによって、すべての人のために死を味わわれるためであった。なぜなら、万物の帰すべきかた、万物を造られたかたが、多くの子らを栄光に導くのに、彼らの救の君を、苦難をとおして全うされたのは、彼にふさわしいことであったからである。実に、きよめるかたも、きよめられる者たちも、皆ひとりのかたから出ている。それゆえに主は、彼らを兄弟と呼ぶことを恥とされない。すなわち、
 「わたしは、御名をわたしの兄弟たちに告げ知らせ、
 教会の中で、あなたをほめ歌おう」
と言い、また、
 「わたしは、彼により頼む」、
また、
 「見よ、わたしと、神がわたしに賜わった子らとは」
と言われた。このように、子たちは血と肉とに共にあずかっているので、イエスもまた同様に、それらをそなえておられる。それは、死の力を持つ者、すなわち悪魔を、ご自分の死によって滅ぼし、死の恐怖のために一生涯、奴隷となっていた者たちを、解き放つためである。確かに、彼は天使たちを助けることはしないで、アブラハムの子孫を助けられた。そこで、イエスは、神のみまえにあわれみ深い忠実な大祭司となって、民の罪をあがなうために、あらゆる点において兄弟たちと同じようにならねばならなかった。主ご自身、試錬を受けて苦しまれたからこそ、試錬の中にある者たちを助けることができるのである。

出典:『口語訳聖書 1954/1955年改訳』(日本聖書協会)