五月度月次祭

2022年5月1日

 

明主様御歌

天国に世人救はむ望みもて吾先づ天国の人となるなり

天国の歓喜に浸る身にあらで人導かめやは神の御国へ

物慾の外望みとてなき人を見る毎神知る人の尊し

私心なく正しき道を守りなば大御恵を豊に享くるなり

救はれし幸を思へば身を竭し心尽して酬はでやおかん

聖言

御対談「凡ては神様の御意志にあり」 昭和29年8月4日

記 者 教祖以下、救世教の信者は神様の指令下に入っているわけですね……。

明主様 そうです。こっちは役者です。

記 者 そうすると人間の権利という事を言いますが、神様の前では人権というのを滅しなければならないという事になりますね。

明主様 いや、神様の前では全然無です。神様は絶対ですから、こいつは邪魔だからと一寸ひねったら、それでおしまいです。人間ナンテ情ないものです。

『栄光』268号

*抜粋

*インタビューが行われたのは昭和29年4月15日

 

聖書

マタイによる福音書 第6章25節~33節

それだから、あなたがたに言っておく。何を食べようか、何を飲もうかと、自分の命のことで思いわずらい、何を着ようかと自分のからだのことで思いわずらうな。命は食物にまさり、からだは着物にまさるではないか。空の鳥を見るがよい。まくことも、刈ることもせず、倉に取りいれることもしない。それだのに、あなたがたの天の父は彼らを養っていて下さる。あなたがたは彼らよりも、はるかにすぐれた者ではないか。あなたがたのうち、だれが思いわずらったからとて、自分の寿命をわずかでも延ばすことができようか。また、なぜ、着物のことで思いわずらうのか。野の花がどうして育っているか、考えて見るがよい。働きもせず、紡ぎもしない。しかし、あなたがたに言うが、栄華をきわめた時のソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった。きょうは生えていて、あすは炉に投げ入れられる野の草でさえ、神はこのように装って下さるのなら、あなたがたに、それ以上よくしてくださらないはずがあろうか。ああ、信仰の薄い者たちよ。だから、何を食べようか、何を飲もうか、あるいは何を着ようかと言って思いわずらうな。これらのものはみな、異邦人*が切に求めているものである。あなたがたの天の父は、これらのものが、ことごとくあなたがたに必要であることをご存じである。まず神の国と神の義とを求めなさい。そうすれば、これらのものは、すべて添えて与えられるであろう。

『口語訳聖書 1954年/1955年改訳』(⽇本聖書協会)

* 異邦人 神無き民。ユダヤ教徒以外の人々。

This post is also available in: English Português