〔明主様〕1955111日 明主様側近奉仕者の記述より

メシアとならせらるる御苦労は実に大変なものであって、メシア様には何(なん)遍(べん)も自殺しようと思ったと御(ご)述(じゅっ)懐(かい)遊ばされいし御(おん)由(よし)。メシア様の御修行遊ばし損ねたら、メシアとお成りになる事は出来ぬのであると、お傍の者申しいしとの事。

 

〔聖書〕

あなたがたは、罪と取り組んで戦う時、まだ血を流すほどの抵抗をしたことがない。また子たちに対するように、あなたがたに語られたこの勧(すす)めの言葉を忘れている、

「わたしの子よ、

主の訓練を軽んじてはいけない。

主に責められるとき、弱り果ててはならない。

主は愛する者を訓練し、

受けいれるすべての子を、

むち打たれるのである」。

あなたがたは訓練として耐え忍びなさい。神はあなたがたを、子として取り扱っておられるのである。いったい、父に訓練されない子があるだろうか。だれでも受ける訓練が、あなたがたに与えられないとすれば、それこそ、あなたがたは私(し)生(せい)子(し)であって、ほんとうの子ではない。その上、肉親の父はわたしたちを訓練するのに、なお彼をうやまうとすれば、なおさら、わたしたちは、たましいの父に服従して、真に生きるべきではないか。肉親の父は、しばらくの間、自分の考えに従って訓練を与えるが、たましいの父は、わたしたちの益(えき)のため、そのきよさにあずからせるために、そうされるのである。すべての訓練は、当座は、喜ばしいものとは思われず、むしろ悲しいものと思われる。しかし後(のち)になれば、それによって鍛(きた)えられる者に、平安な義の実を結ばせるようになる。

「ヘブル人(びと)への手紙」第124節~11

 

『グローリー』No. 29, 2022/6月号掲載

出典:『口語訳聖書 1954/1955年改訳』(日本聖書協会)

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