天国を造る。
私たちで造る。
世界メシア教が、造る。

 

《 明主様 》
メシア教の方は昼の世界の信仰です。天国を造る宗教です。今迄の宗教で、天国を造ると言った宗教はないんです。来ると言う事は言ったが、造ると言う事は言わなかった。時期が早かった。処が今度は愈々昼間になるんですから、今度は造るんですね。そうすると、天国を造るには先ず一番の元は御自分ですよ。自分が天国にならなければならない。けれども、自分の境遇や家庭を、急に天国にする事は出来ない。だから、その因である自分の心ですね。心を天国にする。そうすれば、一家が天国になり、一国が天国になり、世界が天国になるんですから、先ず何と言っても心を天国にする。
1952225日「御講話」

 

《 教主様 》
 「心が天国にならなければいけない」「心を天国にしなければいけない」というのは、何も、それを自分に課すことのように受けとめることではないんですね。心はいろいろですよ、いろいろな思いが集まってくるから。
 「心を天国にしなければ」、というより、心は、すでに天国の働きをしてるんです。
 天国の働きというのは、全てを赦して救って迎え入れる、という働きです。
 ですから私たち大変なんですよ。心が天国だから、心がこんなになっちゃってるんですよ。私の中に天国があるから、人それぞれ、いろんな思いが集まってきている。そして神様は、私たち一人ひとりを、全て赦され救われたものとして迎え入れるよ、というようにお使いになっておられる。
2017513日「信徒とのご面会」

 

《 真明様 》
 この「キリスト教と呼応する」ということがありますが、それは決して、私たちがキリスト教徒に対しておもねるとか下手に出るとか、そういうことではないと思います。そうではなくて、人類救済をリードしていくのはあくまでも私たちであると。
 私たちは、と言いますか、全人類は、日々の生活の中で、常に心が悩みや不安や憤りや苦しみ、そのようないろんなものに覆われていますね。
 キリスト教の方々は、そのような状況の中で、天国を待ち望み、イエス様にお願いをして、「天国が来てください、愛が臨んで来てください、救いが来てください、光が現れてください、安らぎが来てください」と言いつつ、状況が改善されれば喜んで、そしてまた悪化すれば、また悲しんだり喜んだりを繰り返しながら、いつか天国に入ることを願っている。
 しかし、私たちは違います。私たちは、天国が、光が、安らぎがすでに来たんだと、来て、私たちの中にあるんだと、そう信じている。
 神様の光が私たちの中にあって、私たちの心を燦々と照らしているがゆえに、影のような部分ができますね。光があると影ができる。それは神様の救いの光が到達しているからです。
 だから私たちは、その影に出会った時に、決して「また影が出た、この影を取り除いてください」とは思わないで、「あっ、私の中に天国があるから、光があるから、この影を神様が見せてくださっているんだ」と。「これを私は救いにきたんですね」と。「共に光の世界である天国に帰りましょう」と、そう言えるわけです。これが、大きな違いですね。
 世の人々に対して、「あなた方は待ち望んでいるかもしれないけれども、実は、あなた方の中にあるんです。天国もあります、安らぎもあります、光もあります。あるから、いろんな思いを救うために、いろんな思いが湧いてくるんです」と。この救いというのは、どこも説いていない、と思います。そして私は、この救いを全人類が待っていると思います。キリスト教の方々もこれを待っていると思います。
 ですから、明主様がおっしゃった「キリスト教と呼応する」ということが、どういう推移で神様がお進めになるかは分からないですけれども、私たちは、待ち望むのではなく、むしろ、天国を造る、光の世界を造る、これが私たちに課せられている使命なんですね。
20191223日「御生誕祭」

 

教会誌『グローリー』No. 30, 2022/7月号掲載