PDF:「二代様と三代様」 真明様メッセージ No. 14

 

※英語とポルトガル語でなされたビデオメッセージの和訳

二代様と三代様

私たちは、賞賛を込めて言う、「明主様、明主様」と。
 確かに明主様は、偉大なお方であられる。全人類のひな型にして、イエス・キリストの願いを成就され、そして私たち人類に最高で最後の救いを託されたお方、その明主様の偉大さに議論の余地はありません。
 では二代様はいかがでしょうか。
 二代様は次のように仰せです。
 「今度、の指導する線と明主様の指導された線とが、食い違っているということを聞いたことがあるのですが、これは大変な間違いであります。およそ教団の憲法、無形の憲章というものがあります。これは今出来ている組織以外に無形にあるものでして、教団であればこの無形の憲章というものが、第一条にならなければならない。これは何かというと、神様、明主様から定められた教主というものが、この教団としての公のことの道案内の為におかれている。神様がそういうふうに許しておられるのであります。従って教団の太い方向づけというものは、やはり神様、明主様が私の口を通してなさるのであります。この理解が出来なければ、この教団の信徒ではありません。また神様を本当に信仰していないわけであります」
 「今の世に対してこういうふうにいかなきゃならんという線は、神様と明主様の御意志によって私に伝わって来るものである。これが一直線上にちゃんとある。一番上は神様、その次は明主様、それからその下がとこれは一線上にちゃんとあるのでして、皆ここへ流れてきている。それによって、大きな方向づけだけはちゃんと神様から頂くのであります。これが信用出来ないというのであったら、神様が信用出来ないのと同じであります」
 「教主を認めるということが守られなければ、教団人というわけにはいかないわけです」
 二代様はこのように仰せになりました。
 教主様を尾行・盗聴・盗撮して教団から追い出すなどということははなから論外ですが、二代様は、そもそも、もし教主様を認めることができなければ、教団人ではないと仰せです。それはどのような教団か。言うまでもなく、明主様の教団です。教主様を認めることができない方たちは、明主様の教団に所属することはできない、ということです。
 二代様はさらに次のように仰せです。
 「教主とは文字通り「教えの主」であって、明主様も御在世中は教祖であられると同時に、教主でもあられたわけであります。原典の解釈、集成、統一、敷衍等、教化の最高指導責任者は、その時代々々の教主であります」
 二代様は、明主様の聖言、御教えを解釈できる唯一のお方は、教主様であると、そう仰せです。
 今見てきたような二代様のお言葉は、控えめに言って、私たちにとってあまりにも重要なものではないでしょうか。
 では三代様はいかがでしょうか。
 三代様は何を私たちに訴えられたかったのでしょうか。
 三代様は仰せです。
 「明主様が天界に帰られても、明主様だけしか、明主様の言葉しか聞けないというのでは、もう、霊界に行っていただいた方がいいぐらいです。時代も人も動いています。生きている限りは、その時々の生き身の教主というものを通して、ご使命をいただいていくということ、それが当然でありましょう」
 「明主様のお仕事を守るということは、現在では教主の仕事を守ることです」
 「教主の仕事を命をかけて守ろうと、その真心あってこそ時代とともにますます聖地が栄え、教団も分裂することなく、信者さん方の信仰もご安泰でいられるわけです」
 そして三代様は次のように仰せになりました。
 「この教団のご神業の営み、ご経綸をゆがみなく進めていくために中心が必要なのでございます。それが教主の座であります。すべてのご神業の活動を統一するところの座、それが教主の座であり、それを中心にして運営が行なわれていくというところで、四代、五代、六代までも揺るぎのない、ご神業というものの継続があるわけでございます。それを力のないところに祭り上げていて、任期制のぐらつきやすい執行部が中心になって、聖地中心だと言って、どうしてそこに明主様の御守護が働くでありましょうか」
 繰り返します。三代様は、教主を「力のないところに祭り上げていて、任期制のぐらつきやすい執行部が中心になって、聖地中心だと言って、どうしてそこに明主様の御守護が働くでありましょうか」と仰せです。
 このたび教主様を追放したと言っている方たちに、三代様の権威のもと、申し上げます。あなた方が「聖地」と呼んでいる場所は、もはや明主様によってご守護されている場所、祝福されている場所ではありません。すなわち、もはやい場所ではありません。明主様とはまったく無関係のただの「庭」です。
 しかも、今やただの庭となってしまったかつての聖地を所有している方々が、このたび、ことごとく教主様を排除する方向に動いたことはなんと皮肉なことだったのでしょうか。
 すなわち、結果的に、今現在、明主様の聖地と呼ばれる場所は、この地球上のどこにも存在しないこととなってしまったのです。ああ、明主様、誠に申し訳ございません。
 明主様のため、私たちの手で聖地を建設する時がついに来たのではないでしょうか。

 

皆様の中には、「そもそもなぜ教主様に従わなければならないのか。明主様だけで充分じゃないか」と思われてる方もいるかもしれません。
 なるほど一見ごもっともです。しかし、それではその方々は次の事実はいかに受けとめるでしょうか。
 1955210日、ご昇天直前、明主様は、最後の聖言、ご遺言を残されました。それは、ご自分が地上を去ったあとは、二代様に教主として跡を継いでほしい、というものでした。
 同日210日、明主様ご昇天直後、二代様が信徒にご発表になった「二代様御継承言葉」により、私たちはその事実を知るに至ったのです。
 皆様方の多くは、「明主様のご遺言は、水晶殿完成の時にご発表になった資格三条件だ」と言う。あるいは、「明主様のご遺言は、メシア降誕の御言葉ではないか」「いや、明主様のご遺言は、浄霊は二の問題で、これから想念の世界であると仰せになったことだ」と言う。
 間違えてはいけません。明主様のご遺言は──この地上においておっしゃった一番最後の御言葉は──二代様についてのこと、すなわち「教主」についてのことです。明主様がご昇天直前に最も望まれたこと、それは、教主という立場が明主様の聖業を継承していく、ということです。
 私たちはいろんなことを口に出しますが、その中でも、一番最後に言ったこと、これが最も重要なものであることは言うまでもありません。
 つまり、明主様がこの地上にいる間におっしゃった御言葉の中で最も大切なこと──明主様がこの地上にいる間におっしゃった御言葉の中で最も大切なこと──明主様が私たちに最も知ってほしかったこと、それは、ご自分が地上を去ったあとは、二代様が教主としてご自分のを継承していく、ということです。
 教主がご自分の業を継承していくこと──これが明主様のご遺言であり、ご遺志であったのです。
 であるならば、教主様をないがしろにする方は、明主様を、そして明主様のご遺言と願いをないがしろにすることになるのです。
 二代様が仰せのように、教主様を認められない方々は明主様を無視しているのと同じであり、教団人と呼ぶことができない方々であります。明主様の信徒とはなれない方々であります。
 教主様がお立ちになるところに、明主様はおられる。
 教主様が教え導かれるところに、明主様はおられる。
 教主様が歩かれるところに、明主様はおられる。
 そして、神聖さは明主様から流れてくる。
 すなわち、本当の聖地とは、教主様のおられるところであります。なぜならば、そこに明主様がおられるからです。
 これが理解できない方は、明主様の信徒でもなければ、神様を信じる者でもありません。

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