〔明主様〕
 斯うみてくると、今日迄は悪も大きな役割をして来た訳になる。といっても悪の期間は無限ではなく限度がある。それは世界の主宰者たる主神の意図であり、哲学的に言えば絶対者とそうして宇宙意志である。即ちキリストが予言された世界の終末であり、そうして次に来るべき時代こそ、人類待望の天国世界であり、病貧争絶無の真善美の世界、ミロクの世等名は異るが意味は一つで、帰する処善の勝った世界である。此様な素晴しい世界を作るとしたら、それ相応の準備が必要である。準備とは精神物質共に、右の世界を形成するに足るだけの条件の揃う事である。処が神は其順序として物質面を先にされたのである。というのは精神面の方は時を要せず、一挙に引上げられるからで、それに反し物質面の方はそう容易ではない。非常に歳月を要すると共に、其為には何よりも神の実在を無視させる事である。之によって人間の想念は自然物質面に向く。茲に無神論が生れたのである。故に無神論こそ実は悪を作る為の必要な思想であったのである。斯くして悪が生れ、漸次勢を得て善を苦しめ争闘を起し、人類をして苦悩のドン底に陥らしめたので、人間は這上ろうとして足掻くのは勿論、発奮努力によって苦境から脱れようとした。それが文化発展に拍車を掛けたのであるから、悲惨ではあるが止むを得なかったのである。
 以上によって善悪に就ての根本義は大体分ったであろうが、愈々茲に悪追放の時が来たので、それは善悪切替の境目であるから、悪にとっては容易ならぬ事態となったのである。右は臆測でも希望でも推理でもない。世界経綸の神のプログラムの現われであるから、信ずると信ぜざるとに拘わらず、右は人類の決定的運命であって、悪の輪止りであり、悪が自由にして来た文化は、一転して善の手に帰する事となり、茲に地上天国樹立の段階に入ったのである。
昭和27年「天国建設の順序と悪の追放」『文明の創造』(未定稿)

 

〔聖書〕
 ほむべきかな、わたしたちの主イエス・キリストの父なる神。神はキリストにあって、天上で霊のもろもろの祝福をもって、わたしたちを祝福し、みまえにきよく傷のない者となるようにと、天地の造られる前から、キリストにあってわたしたちを選び、わたしたちに、イエス・キリストによって神の子たる身分を授けるようにと、御旨のよしとするところに従い、愛のうちにあらかじめ定めて下さったのである。これは、その愛する御子によって賜わった栄光ある恵みを、わたしたちがほめたたえるためである。わたしたちは、御子にあって、神の豊かな恵みのゆえに、その血によるあがない、すなわち、罪過のゆるしを受けたのである。神はその恵みをさらに増し加えて、あらゆる知恵と悟りとをわたしたちに賜わり、御旨の奥義を、自らあらかじめ定められた計画に従って、わたしたちに示して下さったのである。それは、時の満ちるに及んで実現されるご計画にほかならない。それによって、神は天にあるもの地にあるものを、ことごとく、キリストにあって一つに帰せしめようとされたのである。わたしたちは、御旨の欲するままにすべての事をなさるかたの目的の下に、キリストにあってあらかじめ定められ、神の民として選ばれたのである。それは、早くからキリストに望みをおいているわたしたちが、神の栄光をほめたたえる者となるためである。あなたがたもまた、キリストにあって、真理の言葉、すなわち、あなたがたの救の福音を聞き、また、彼を信じた結果、約束された聖霊の証印をおされたのである。この聖霊は、わたしたちが神の国をつぐことの保証であって、やがて神につける者が全くあがなわれ、神の栄光をほめたたえるに至るためである。
「エペソ人への手紙」第13節~14

 

教会誌『グローリー』No. 33, 2022/10月号掲載
 聖書出典:『口語訳聖書 1954/1955年改訳』(日本聖書協会)