十一月度月次祭

2022年11月1日

 

明主様御歌

花笑ひ百鳥歌ふ天国の苑を此土に移す神業

久方の天津御国を地の上に映さむとする吾願ひかな

天国の苑現し世に写しける例しは未だあらじとぞ思ふ

地上天国も詮じ詰めれば暗がりも秘密も嘘もなき世なりける

光明の世界といふは汚れたる卑しき人のなき世いふなる

天ヶ下生きとし生けるものみなの歓ぎ喜ぶ天国造らむ

大御業深き仕組は底知らず只御心のままに委せよ

信徒よやがて眼を瞠るらむ仕組の蓋を開くるあかとき

 

聖言抜粋「地上天国の模型を造る」

現在造りつつある地上天国の模型を、金殿玉楼的贅沢品位に思うかも知れないが、吾等の目的は今日の地獄的社会を脱れて、時々天国的塵外*境に遊ばせ真善美の天国的気分に浴せしめ、歓喜の境地に浸りながら、高い情操を養わせるのであるから、如何に現代人にとって必要事であるかは、今更多言を要しないであろう。全く今日の社会の雰囲気では下劣な人間が造られ、青年を堕落させ、到る処社会悪の温床たらざるはないのであるから、此地上天国こそ現代に於ける唯一のオアシスと言ってもよかろう。吾等の此遠大にして崇高なる計画を真に認識さるるに於ては、非難処か双手を挙げて賛意を表すべきである。

* 塵外 俗世間のわずらわしさを離れたところ
「歓喜の生活つくる本教」昭和25年3月11日

 

本教が病無き世界、現世に地上天国を出現すべき一大経綸を現実に行っている以上、その援助こそ之程生甲斐ある聖業はないと信ずるから、余裕ある人はその報恩の誠をこめて献金したいのは寧ろ当然というべきである。恐らく濁世の世に此様な精神美は実に賞讃に価するものがあろう。然るに之を目して迷信とか邪教に溺るるとかいう非難を浴せる人達は、知らぬ事とは言い乍ら全く盲目であり、寧ろ哀れむべき人間としか思えないのである。処が斯ういう人々こそ救う必要があり、信徒が一団となって日夜奮励しつつあるのである。…その崇高なる態度を見れば、何人と雖も感激胸に迫るものがあろう。それも無理はない。何しろ死ぬべき生命を助けられたのであるから、その生命こそ神から与えられたものである事を、深く肝に銘じている以上、その熱誠も並々ならぬものがあるのである。

以上によってみても、本教の収入が多ければ多い程救われる者が多い結果になり、それによって天国的善美の世界が作られるのであるから、此実状を知ったなら何人と雖も大いに祝福すべく思うであろう。もし知ってなお反対の人は、気の毒乍らいつかは滅ぶべく運命づけられたる人というより外はないであろう。

「本教の収入に就て」昭和25年4月1日

 

よく「観音教には金がある、金儲けがうまい」なんて言いますがね、今、多くの人を救うにはどうしても金が必要ですよ。いくら素晴らしい力があり、教えがよくても、機関がなくては駄目だし、地上天国を築くのにも天国の模型が要りますしね―今、私はその模型を作っているんですがね。何をやるにしたって金が必要ですよ。その為に金を集めるんなら結構じゃないですか。大きな救いには沢山の金が要るんですよ。

「御講話 昭和24年3月」

 

今日聖書を通覧してみる時最も重要である点は「最後の審判」と「天国は近づけり」と「キリストの再臨」の三つであろう。これを検討する時右の中最後の審判は神が行うのであり、キリストの再臨は、之は天の時到って表われる事で説明の要はないが、ただ天国のみは人間の力で建設するのである。とすれば之は何時の日か誰かが設計者となり建設の実を挙げなければならないのは勿論である。

右の如くでありとすれば、その時であるが、吾等の見解によれば時は今であり、そうして建設者は本教である事である。其具体化は已に始まっている。見よその模型を、目下建造しつつある事は本紙に再三発表した通りである。

右の如く、本教が地上天国を造る事によって、キリストの予言は茲に的中するのである、といっても別段誇ろうとするのではない。何となれば聖書の予言も、本教がそれを具体化する事も、神ヱホバが人類愛の御心によって理想世界の建設の為、時に応じて選ばれたる人間を、自由自在に駆使せらるるからである。

右の意味に於て、現在行いつつある吾等の事業は、既に二千年前聖キリストによって予言せられており、其予言実行の為の使命を課せられた一員としての吾等と思うのである。

「天国予言の具体化」昭和25年3月20日

 

「ヨハネによる福音書」第14章12節 ~14節

よくよくあなたがたに言っておく。わたしを信じる者は、またわたしのしているわざをするであろう。そればかりか、もっと大きいわざをするであろう。わたしが父のみもとに行くからである。わたしの名によって願うことは、なんでもかなえてあげよう。父が子によって栄光をお受けになるためである。何事でもわたしの名によって願うならば、わたしはそれをかなえてあげよう。

『口語訳聖書 1954年/1955年改訳』(⽇本聖書協会)