PDF:「ああ、アフリカよ」 真明様メッセージ No. 15

 

※英語とポルトガル語でなされたビデオメッセージの和訳

ああ、アフリカよ

私のこのようなビデオメッセージは、常に、全世界の信徒に向けてのものであり、今回もそれは変わりません。しかし今回は、特に、アフリカにいる私の兄弟姉妹に向けてお捧げしたいと思います。
 2009年、私は、アンゴラを訪れるお許しを賜りました。それが、あの美しい国・アンゴラに、そして人類発祥の地であるアフリカに、私が最初に足を踏み入れた時でした。
 その時参列させていただいた祭典において、私は皆様にご挨拶をさせていただく機会をいただきました。今よりもだいぶ若く、また、ポルトガル語のポの字も知らない時でしたので、その時私は、たった4語だけしか言うことができませんでした。それは、「Eu amo a África」、「私はアフリカを愛す」という言葉です。
 私はその4語を発しました。それが唯一私が発した言葉でした。
 皆様方の中で、その場にいらした方もいらっしゃるかもしれません。
 正直申し上げて、当時、なぜ私はその4語を言わされたのか、理解できずにいました。
 もちろん、皆様を愛する気持ちを抱いていたのは間違いありません。同じ信仰の道を歩むアフリカの皆様に初めてお会いできた喜びで私の胸はいっぱいでありました。
 だとしても、なぜこの4語なのだろうと、私の中ではある種の疑問としてずっと残っていました。
 しかし今や、この疑問は解消されました。
 今私は、なぜあの時「私はアフリカを愛す」と言ったのか、分かります。

  

このたびの教団浄化が始まり、教主様を誹謗中傷することを目的とした情報が出回った時、アンゴラの皆様―アフリカの皆様―の姿勢は明確であり、教主様のために立ち上がる決心をいち早くされました。皆様は賢明で、思慮深く、出回っている情報は、嘘と虚偽に満ちていることを即座に見抜かれました。
 日本において教主様のもとに立ち上がった信徒の割合は、確かにとても高いものでした。しかし私は、アフリカのほうがもっと高かったのではと思います。その結果、現在世界中にある明主様の教会の中で、アフリカの教会が一番大きいのではないでしょうか。日本よりも、大きいのではないでしょうか。
 教団浄化の中での皆様の尊いご決断と信仰、それに対し私は、心からなる深い感謝の念をお伝えしたいと思います。アフリカの皆様、誠にありがとうございました。
 教主様も、皆様方のご決断と明主様に対する揺るぎない信仰心に、胸打たれていることと拝察します。教主様の名においても、皆様方に感謝の思いをお伝えします。誠にありがとうございました。
 ああ、教主様の皆様に対する愛はいかに強いものなのでしょうか。
 言うまでもなく、教主様が皆様のことを愛しているということは、明主様も皆様のことを愛しているということです。
 つまり私は、13年前、「私はアフリカを愛す」と明主様に言わされたのです。
 なぜなら明主様は、アフリカの皆様方は明主様への真の信仰心をお持ちだとご存じだったからです。正義を守り、善と悪を見抜き、そして、教主様を通して明主様にお仕えする、その信仰心をお持ちだとご存じだったからです。

 

今月の頭の111日、私は、教主様の名において、メシア教の聖地建設の開始を日本の信徒の皆様に向けて宣言いたしました。
 この宣言は、日本の信徒のみに向けられたものでは決してなく、当然、世界中の信徒にも向けられたものです。すなわち、アフリカの皆様にも向けられたものです。
 明主様は、この地上において、天国的な安らぎと喜びに触れることができるオアシスとなるようにと、地上天国の模型である聖地を造ろうとされました。
 明主様は、ご自身の造られるものが、この地上においての「唯一のオアシス」であるとまで仰せでした。
 しかし、なんと残念なことなのでしょうか。今まで存在していたそのようなオアシスは―いくつかは明主様ご自身が全身全霊をかけて携わったものです―それらは、教主様への尾行・盗聴・盗撮を実行あるいは容認している方々が管理していることにより、その神聖さは汚(けが)され、汚(よご)され、犯され、もはや神聖さとは無縁な場所となってしまいました。教主様を尾行・盗聴・盗撮するということは、明主様を尾行・盗聴・盗撮することに他なりません。
 そのような場所のいくつかは、三代様によって、つまり教主様によって「聖地」と定められたものです。それにもかかわらず、教主様など教団に必要無いと思っている方々が、そのような場所がいまだに聖地であると信じることができる、否、思い込むことができるのは不思議以外の何物でもありません。
 私は、次のことを、必要な限り何度でも言わせていただきます。三代様の名において、教主様の名において、そして明主様の名において、それらの場所は、もはや「聖地」ではありません。それらの場所は、明主様とは無関係のただの土地の一区画であり、命と光と救いの力などは一切存在しない、空虚で空っぽな場所であります。
 すなわち、現在、この地上に、明主様の聖地は一つも存在しない、ということです。
 そして今、時は満ち、明主様のみ心にお応えさせていただくため、私たち自身の手で聖地を建設する時が来たのです。天国的な安らぎと喜びに触れることができるオアシスを造る時が来たのです。
 それを通して、多くの人々が、最も神聖で、最も安らぎがあり、最も美しい場所は一人ひとりの中にこそあり、そして、その真のオアシスは、すでに一人ひとりの中に確かに打ち樹てられていること、これを思い出すことができるようにしなければならないのです。
 まだ不確かな方のためにはっきりと申し上げたいと思います。私は、この地上の、目に見える聖地を建設することを申し上げております。
 すでに日本においては、教主様と日本の信徒とが一つとなり、一丸となってこの聖地の建設に向かって進み始めています。
 教主様と私は、アフリカの信徒の皆様を頼りにしております。
 ご一緒に、光と神聖さと輝きに満ちた真の聖地を建設し、救いを求める方々に癒しと安らぎをお届けしようではありませんか。そのようにして、明主様にお喜びいただこうではありませんか。
 教主様と私は、アフリカに赴き、皆様にお会いし、アフリカの地における聖地を「聖地」と定めさせていただく日を心待ちにしております。その日は、遠くはないと、そう思っております。

 

明主様はアフリカを愛しておられます。
 教主様はアフリカを愛しておられます。
 であるからこそ、私は、再度申し上げたいと思います、「私はアフリカを愛す」と、そして、アフリカにおられる皆様を愛すと。
 教主様の名において、我らの主なるイエス・キリストと、我らの主なる明主様の祝福が、アフリカの皆様の上に、アフリカ大陸の上に、そして、全世界の上にありますように。

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