新穀感謝祭
2022年12月1日
明主様御歌
大神の勲し高く褒め讃ふ清き言霊天地に響かむ
ハレルヤハレルヤメシアの救主は現世に降らせ給ふ時ぞたのしも
芸術もて開く教は昔よりメシアの教の外になかりき
うたてきは文化の衣に包まれて野蛮を行ふ人にありける
美はしき文化の衣に着飾りて醜の身隠す人こそ哀れ
芸術は天国にあり地獄には芸術なきを知れよ諸人
美しき芸術をもて万民の身魂高むる業ぞ尊き
村肝の心を浄め醜の世を清むる業の人となれかし
信徒の誠心に迸しる声ぞ世界の動かざらめや
聖言
将来の音楽 昭和24年7月5日
問 私は三月に入信させて戴きました。音楽学校を卒業して後、或機会に、真の人間の道を基調とし愛情と調和の雰囲気に於て生み出されたしかも自然そのもののハーモニーの上に築かれた美しい合唱を聴く機会を得まして、従来の殊に音楽方面の教育の全面的な誤謬を知り、この方面に於ける根本的な革命の迅速に訪れん事を熱望致し、刻苦奮励致して居る様な訳で御座います。音楽の道の根本も亦、本教団の主旨と一致して居りますので、先生は本教を知って間もなく二月に相ついで最近門下生より天才的な作曲才能のある青年、ソプラノ歌手、その他有能の方々も入信なさり、真の新しい音楽の道を教団の御教えによって更に強く広く拓き度いものと勇躍致して居るので御座います。当先生の音楽的才能は泉の溢れる如く作曲、種々な演奏に於ける批判は霊感的なものと思うより外ありません。己を無にして和合の中に於て楽しまれる、心からの合唱は次々と育ちつつありますが、このような合唱の世界も亦地上天国の要素であると確信致して居るので御座います。是非この先生の霊のあらわれと今後の動きについて伺わせて下さいませ。又、将来の世界の音楽方面に於ける正しいあり方について大先生の御見解をお話戴き度くお願い申し上げます。
明主様 結構である。私の考えと同じである。教団は何れ、盛んにして、新しい世界的音楽を作りたいと思っている。熱海の会館はそういう考えを入れてつくる。宗教的匂いのない、純然たる極く近代的軽演劇とか音楽会も映画も出来る。キリスト教のミサの如きものも作りたい。キリスト教や仏教などでも間に合せ的なものである。西洋音楽は行き詰まっている。ジャズなどは踊る必要から出来たものである。
新音楽を生むといい。西洋音楽は動、日本は静、支那は愛であり、これを総合したものがほしい。
聖書
「詩篇」第96篇
新しい歌を主にむかってうたえ。
全地よ、主にむかってうたえ。
主にむかって歌い、そのみ名をほめよ。
日ごとにその救を宣べ伝えよ。
もろもろの国の中にその栄光をあらわし、
もろもろの民の中にそのくすしきみわざをあらわせ。
主は大いなる神であって、いともほめたたうべきもの、
もろもろの神にまさって恐るべき者である。
もろもろの民のすべての神はむなしい。
しかし主はもろもろの天を造られた。
誉と、威厳とはそのみ前にあり、
力と、うるわしさとはその聖所にある。
もろもろの民のやからよ、主に帰せよ、
栄光と力とを主に帰せよ。
そのみ名にふさわしい栄光を主に帰せよ。
供え物を携えてその大庭にきたれ。
聖なる装いをして主を拝め、
全地よ、そのみ前におののけ。
もろもろの国民の中に言え、
「主は王となられた。
世界は堅く立って、動かされることはない。
主は公平をもってもろもろの民をさばかれる」と。
天は喜び、地は楽しみ、
海とその中に満ちるものとは鳴りどよめき、
田畑とその中のすべての物は大いに喜べ。
そのとき、林のもろもろの木も
主のみ前に喜び歌うであろう。
主は来られる、地をさばくために来られる。
主は義をもって世界をさばき、
まことをもってもろもろの民をさばかれる。
「エペソ人への手紙」第5章1節~21節
こうして、あなたがたは、神に愛されている子供として、神にならう者になりなさい。また愛のうちを歩きなさい。キリストもあなたがたを愛して下さって、わたしたちのために、ご自身を、神へのかんばしいかおりのささげ物、また、いけにえとしてささげられたのである。また、不品行といろいろな汚れや貪欲などを、聖徒にふさわしく、あなたがたの間では、口にすることさえしてはならない。また、卑しい言葉と愚かな話やみだらな冗談を避けなさい。これらは、よろしくない事である。それよりは、むしろ感謝をささげなさい。あなたがたは、よく知っておかねばならない。すべて不品行な者、汚れたことをする者、貪欲な者、すなわち、偶像を礼拝する者は、キリストと神との国をつぐことができない。あなたがたは、だれにも不誠実な言葉でだまされてはいけない。これらのことから、神の怒りは不従順の子らに下るのである。だから、彼らの仲間になってはいけない。あなたがたは、以前はやみであったが、今は主にあって光となっている。光の子らしく歩きなさい―光はあらゆる善意と正義と真実との実を結ばせるものである―主に喜ばれるものがなんであるかを、わきまえ知りなさい。実を結ばないやみのわざに加わらないで、むしろ、それを指摘してやりなさい。彼らが隠れて行っていることは、口にするだけでも恥ずかしい事である。しかし、光にさらされる時、すべてのものは、明らかになる。明らかにされたものは皆、光となるのである。だから、こう書いてある、
「眠っている者よ、起きなさい。
死人のなかから、立ち上がりなさい。
そうすれば、キリストがあなたを照すであろう」。
そこで、あなたがたの歩きかたによく注意して、賢くない者のようにではなく、賢い者のように歩き、今の時を生かして用いなさい。今は悪い時代なのである。だから、愚かな者にならないで、主の御旨がなんであるかを悟りなさい。酒に酔ってはいけない。それは乱行のもとである。むしろ御霊に満たされて、詩とさんびと霊の歌とをもって語り合い、主にむかって心からさんびの歌をうたいなさい。そしてすべてのことにつき、いつも、わたしたちの主イエス・キリストの御名によって、父なる神に感謝し、キリストに対する恐れの心をもって、互に仕え合うべきである。
『口語訳聖書 1954年/1955年改訳』(⽇本聖書協会)