新年祭

2023年1月1日

 

明主様御歌

新玉の年の心地に人みなの笑ぎたのしむ御代を思へり

らんまんと花咲きみだる春の日を誰か思はん冬枯の地に

諸人の心の岩戸開くれば此世の闇は打消ゆるなり

世を呪ひ人を恨みし其頃の心の曇りは消えて跡なき

過ぎ去りし事を悔まず前途を案ずる勿れ神にある身は

有難し噫有難し救はれて我家ぬちは此世の天国

信仰の真髄こそは礼節を守るにありと知れよ信徒

 

聖言

昭和24年3月8日 御講話

問 用達をしてから教導所へ来る人には出直して来なければしてやらない、という方もありますが?

明主様 それが本当です。御詣りに来るのは一番先にすべきであって用達をしてから来たんでは効果が少い。だからそれではつまらないですよ。矢張り神様の事が主なんだから、主となる事と従となる事とははっきりしなければいけないのです。

問 では御道、順序という事は固く言うべきでしょうか?

明主様 ええ、言わなければいけません。理の立つ事なら言っていいんです。それから私は家内なんかに対してもそうなんですが、先方で浄霊をしてくれという時以外はしてやらないのです。その代りしてくれと言えば夜一旦寝てからでも又起きてしてやります。神様に御願いするんでも足を運ぶべきです。だからこっちから押かけて行って押売りするのはいけないのです。希望もしないのに無理にするのは神様と人間との位置が顛倒してしまうのです。又こういう事があります。「この病気が治ったら御礼をする」という人がありますが、之も反対で、これでは神様が下になってしまうのです。つまり、神様の方で治させて頂いて御礼を頂くという事になるのです。(笑声)

『御光話録』5号

 

聖書

「マタイによる福音書」第7章7節~14節

求めよ、そうすれば、与えられるであろう。捜せ、そうすれば、見いだすであろう。門をたたけ、そうすれば、あけてもらえるであろう。すべて求める者は得、捜す者は見いだし、門をたたく者はあけてもらえるからである。あなたがたのうちで、自分の子がパンを求めるのに、石を与える者があろうか。魚を求めるのに、へびを与える者があろうか。このように、あなたがたは悪い者であっても、自分の子供には、良い贈り物をすることを知っているとすれば、天にいますあなたがたの父はなおさら、求めてくる者に良いものを下さらないことがあろうか。だから、何事でも人々からしてほしいと望むことは、人々にもそのとおりにせよ。これが律法であり預言者である。

狭い門からはいれ。滅びにいたる門は大きく、その道は広い。そして、そこからはいって行く者が多い。命にいたる門は狭く、その道は細い。そして、それを見いだす者が少ない。

 

「詩篇」第150篇

主をほめたたえよ。

その聖所で神をほめたたえよ。

その力のあらわれる大空で主をほめたたえよ。

その大能のはたらきのゆえに主をほめたたえよ。

そのすぐれて大いなることのゆえに

主をほめたたえよ。

ラッパの声をもって主をほめたたえよ。

立琴と琴とをもって主をほめたたえよ。

鼓と踊りとをもって主をほめたたえよ。

緒琴と笛とをもって主をほめたたえよ。

音の高いシンバルをもって主をほめたたえよ。

鳴りひびくシンバルをもって主をほめたたえよ。

息のあるすべてのものに主をほめたたえさせよ。

主をほめたたえよ。

『口語訳聖書 1954年/1955年改訳』(⽇本聖書協会)