ハレルヤ、ハレルヤ

 

〔聖言〕
 メシア教の方は昼の世界の信仰です。天国を造る宗教です。今迄の宗教で、天国を造ると言った宗教はないんです。来ると言う事は言ったが、造ると言う事は言わなかった。時期が早かった。処が今度は愈々昼間になるんですから、今度は造るんですね。そうすると、天国を造るには先ず一番の元は御自分ですよ。自分が天国にならなければならない。けれども、自分の境遇や家庭を、急に天国にする事は出来ない。だから、その因である自分の心ですね。心を天国にする。そうすれば、一家が天国になり、一国が天国になり、世界が天国になるんですから、先ず何と言っても心を天国にする。そうすると、色々な事で苦しむと言う事は天国ではない。
1952
225日「御講話」

 

〔聖書〕
 あなたがたは、主にあっていつも喜びなさい。繰り返して言うが、喜びなさい。あなたがたの寛容を、みんなの人に示しなさい。主は近い。何事も思い煩ってはならない。ただ、事ごとに、感謝をもって祈と願いとをささげ、あなたがたの求めるところを神に申し上げるがよい。そうすれば、人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安が、あなたがたの心と思いとを、キリスト・イエスにあって守るであろう。
「ピリピ人への手紙」第44節~7

 

〔教主様〕
 自分たちの中に天国という素晴らしい世界があるから、私たちはそれを望むわけです。だから、まず、自分が天国に上がらないといけない。といっても本当は、今も住んでいるんですよ、天国に。「天国に上がる」ということは、そこに住んでいることを認める、ということですよね。
 本当は、今も、天国にいながらにして明主様のいろんな業にお仕えさせていただいているんですからね。だから、私たちの中にいろんなものが入ってくるわけです。お花の活動にしたって、それを通していろんなことがありますでしょう。人間関係も含めて、いろんな良いことも嫌なことも。
 それは、私たちがすでに天国の住人だから、だからこそ、すべてのものを赦して、迎え入れて、天国に誘う、という救いの働きに神様が私たちをお使いくださっているわけですね。
2018
1024日「いけばな・芸術について」

 

〔真明様〕
 神様が自分の愛する子供、自分の愛する明主様に対して脳溢血という病を与えられて、それに対して明主様は絶望された。絶望されたけれどもそれを乗り越えられて、そして、神様の問いかけに対して、神様これは希望です、最悪のタイミングだと思ったけれども最高のタイミングです、悪いことだと思ったけれども良いことですとおっしゃった明主様。神様としてはその明主様のお気持ちが嬉しかったんじゃないかと、そう思うんですね。
 我々は、何か都合が悪いことが起きたら、いやタイミング悪い時に来たな、これは悪いことだなと、そういう思いを普通に抱いてますけれども、浄化をお与えになっている神様のほうからしたら、もし我々が、「神様、最高のタイミングで来ました」「私のことを一番配慮してくださってたんですね」「これは良いことです」「希望です」「今いただいている浄化は希望です」というふうに受けとめたとしたら、それは神様は喜ばれますよね、当然。
 だって神様は私たちの親であって、我々の良いことのためだけにしかお働きにならないお方ですよ、人間の目にはいろいろなことが悪いことかのように映りますけれどもね。
2022
51日「絶望か、希望か」

 

教会誌『グローリー』No. 36, 2023/1月号掲載
 聖書出典:『口語訳聖書 1954/1955年改訳』(日本聖書協会)