二代教主ご命日祭
2023年1月24日
二代様御歌
遇ひがたき聖代(ひじりのみよ)に生れし教子(こ)よつくせよつくせ神と世のため
道のため荒野を拓き蒔く種も心せざれば鳥のあらさむ
みためしに遇はせ給はず人類を愛善の道に救はせたまへ
幾とせの茨の道も大神のめぐみと知るぞかしこかりける
いと小さきこの身なれども浄めましつかはし給へ神のしもべと
聖言
二代様お言葉
私は常に教主であると同時に、又その後の明主様のお仕事もさせて頂いております。神様だって絶えず進歩しておられるのですから、その後の明主様がいろいろお考えになれば、やはり私を通じて改められることだって出て参ります。ですから以前になかったことも出てくるかもしれませんが、主神様から明主様、私を通じて出されているのだというふうに、素直に取って下さることが、本当に明主様の御心に添うことであろうと思います。この認識があれば教団は必ず統一し、進歩発展するのであります。事実そういうふうに思ってやって下さる教会支部は、必ず発展しております。まだまだこの世の進歩と共に本教として取るべき態度、事柄いろいろの方針も次々打ち出されて来ますけれど、以前の御教えに拘わって、これは違うものが出て来たというような考えをお持ちにならないような理解が大事だと思います。
「第2回 支部長研修会御講話」昭和36年6月7日
すべての力、すべての神徳は、主神様から明主様を通じて頂いているのであって明主様のお腹の玉だけを見て主神様のあることを忘れたならば、それはやはり迷信であります。迷信とは決して狐狸を拝むことだけでなく、順序を過まることなのです。神は順序なりですから、順序に基づいて信仰もしなければなりませんし、御用もしなければなりません。要するに順序というものが本当に肚に入って行動をするならば、どんな時でも正しい行動が出来ます。現界的にもやはり本部、教会、支部、出張所と順序が立っているのでありますから、こういうこともやはり順序を第一にして活動させて頂きたいと思います。
「第2回 支部長研修会御講話」昭和36年6月7日
もう一つ肝腎な事は、メシア教徒の方々が受けられる御神徳というものは、私が二代教主となりましてからは、皆私を通してなされておるので御座いますから、そうお考え下さいます事が正しいので御座いまして、主神―明主様―私、それから皆様という順序なのであります。どんなに細い霊線でも、やはり私を通して末端に達しているので御座いますから(併し、これに囚われますと窮屈になりますが)どうぞこの原則をお悟りになって、教団の順序、統制を乱さぬよう、念のために申し上げておく次第で御座います。