PDF:立春祭_教主様聖言
於:ホテルオークラ神戸(平安の間)
本日は、「立春祭 ~世界メシア教復活3周年記念式典~」おめでとうございます。
本日の祭典行事につきましては、ここ「ホテルオークラ神戸」の皆様より、格別のご理解とご協力、また、数々のご配慮をいただきまして、開催させていただくことができました。ここに、「ホテルオークラ神戸」の皆様に、厚く御礼申し上げます。誠にありがとうございます。
明主様は、御歌に、「信仰の真髄こそは礼節を守るにありと知れよ信徒」とお詠みになり、礼節の大切さを訴えられました。
私は、この礼節の意味を、人と人との間での礼節を守ることと受けとめておりました。
確かに明主様は、私どもがお互いに礼節を守るよう願っておられると思います。
しかしながら、明主様は、私ども人間同士の礼節だけではなく、それを越えた礼節があることを私どもに気づかせようとしておられると思います。
明主様は、御歌に、「神を恐れ正しき道を守る人つくるぞわれの使命なるらん」とお詠みになりました。
この御歌にありますように、明主様は、多くの人が神を畏れ、敬い、神に対する礼節の心を持つことができるように導いておられると思います。
そして、何よりも明主様ご自身が、礼節の心をもって神に相対しておられることは、次のような御歌を通しても伺えます。
「大前に額く我となりにけり神に背きし罪を悔みて」
「数ならぬ身にしあれども御心のままに召さしめ給へと祈るも」
「人の力いとど弱きを知りてより神を拝む吾となりけり」
私どもが礼節の心を向けるべき神は、私どもの生命に関わる、私どもにとって最も大切なお方であると同時に、天の父とも呼ばれる、最も身近なお方であられます。
誠に畏れ多いことではありますが、父なる神の創造の目的は、ご自身に似た子供を生むことであります。
言い換えれば、メシア降誕、すなわち、神が一人ひとりの中で神の子たるメシアとしてお生まれになることであります。
神は、創造をお始めになる前に、まず天国を用意し、その天国において、光り輝く霊の子を無数にお生みになり、その霊の子をメシアの御名に結び、ご自身の永遠の生命と永遠の意識と永遠の魂を、永遠の息と共に、霊の子にお授けになりました。
神は、ご自身のすべてを霊の子にお授けになったのです。
そして、霊の子は、神にお仕えしていました。
その霊の子こそ、私どもの始まりの姿であります。私どもの本質であります。
神は、私ども一人ひとりをご自身の子として再び生むためのすべてのみ業を天国において成し終え、その上で、一切の創造をお始めになりました。
その創造のみ業において、神は、諸々の元素を始めとする万物をもって、私どもの自我意識、すなわち、心をお造りになりました。
そして、その心を私どものもののように感じさせてくださいました。
すなわち、一人ひとりが〝わたし〟と感じるようにさせてくださいました。
その心こそ、創造の終わりの姿であります。
神がご自身の子を生むという創造の目的を成し遂げるために世に送られた私どもは、この〝終わりのわたし〟に結ばれたすべてを携えて、〝始まりのわたし〟の存在する天国に立ち返って、一つものにならなければなりません。
そして、その一つものになった姿を神にご覧いただかなければなりません。
しかしながら、私どもは、神が私どものもののように感じさせてくださった、その心を、神のものではなく、自分たちのものとしたために、み前に罪ある者となってしまいました。
このように、私どもは、み前に罪ある者となったために、神のみもとである天国に立ち返ることができない者になってしまいました。
神は、罪深い私どもを大いなる恵みをもって顧みてくださり、私どもの犯した罪を贖い、私どもに救いをもたらすために、イエスを世にお遣わしになりました。
神は、イエスを十字架にかけ、その血汐を私どもの罪の贖いとしてお受け取りになり、私どもを赦してくださいました。
神は、イエスを通して私どもを赦してくださったのです。
それだけではなく、神は、イエスを死の世界から甦らせ、神の子たるメシアとして復活させることによって、そして、ペンテコステの聖霊を降すことによって、天地を新しい天地に転換し、全人類をメシアの御名に結ばれた者として天国に迎え入れてくださいました。
私どもが神の子として新しく生まれ、永遠に生きる者となることができるように、道を整えてくださったのです。
その千載一遇の福音を二千年後の今の私どもに告げ知らせるために、神は、明主様を世にお遣わしになりました。
神は、明主様を、全人類のひな型とするために、私どもの模範とするために、世にお遣わしくださったのです。
神は、明主様の聖言を通して、私どもの罪がイエスの血汐によって贖われ、私どもが赦された者となったことを私どもに気づかせてくださいました。
そして、明主様が仰せの「キリストの再臨」という聖言を通して、イエスがメシアとして、私ども一人ひとりの中に臨んで来られたことを気づかせてくださいました。
また、「夜昼転換」という聖言を通して、ペンテコステの聖霊による新しい世界の到来、すなわち、私どもの心が闇の世界から光の世界に迎え入れられたことを気づかせてくださいました。
そして、明主様の「メシア降誕」という聖言を通して、私どもも、神の子たるメシアとして新しく生まれる定めにあることを、私どもに気づかせてくださいました。
私は、神が私どもに気づかせたり、思い出させたりすること、そのこと自体が神の創造のみ業そのものであると思います。
神は、メシアの御名と贖いの血汐による祝福を、ある特定の民族のために、また、ある特定の宗教を信じる者のためにお与えになったのではありません。
全人類がイスラエルに結び連なって、神の祝福に与ることができるようにしてくださっていたのです。
そのことを証し立てるために、神は明主様をお遣わしくださった、と私は思わざるを得ません。
神は、私どもを赦してくださいました。
天国において神にお仕えしていたことを忘れ、神を侮り、権勢、権力、支配、所有、優越性を求める私どもを赦してくださいました。
イエスの贖いの御血汐を認めず、神の赦しを認めない私どもを赦してくださいました。
心を自分のものとしていた私どもを赦してくださいました。
そして、心を自分のものとしていたために、死を免れ得なかった私どもを救い出し、生きた者としてくださいました。
神は今、私どもを、祝福を分け与える者として、救いをもたらす者として養い育ててくださっています。
私どもを養い育てるために、限りない愛をもって私どもをご覧になり、私どもが計り知ることのできないほどの忍耐と寛容をもって、私どもを援助してくださっています。
私どもが神のみ旨に委ね、祈る時には、私どもの思い違いを軌道修正し、思いの足りないところを補ってくださっています。
また、私どもの行く先々を明るく照らし、私どもの常に先に行ってくださって、道を整えてくださり、また、私どもの後始末もしてくださっています。
このように、私どもの心の奥底をご存じであられ、私どもの喜怒哀楽すべてを共にしてくださり、私どもを養い育てるために、至れり尽くせりの惜しみない努力をしてくださっているのは神様なのですから、私どもが最も信頼すべき方は、神様なのではないでしょうか。
その神様に私どもは感謝し、神様を敬い、礼節を尽くさざるを得ないのではないでしょうか。
その神様は、自分の中に、相手の中に、すべての人々の中に、そして、あらゆる元素を始めとする万物の中におられるのです。
ですから、神に礼節を尽くすということは、すべての人々と共に、万物と共に、自らの意識の中心におられる神を敬い、礼節の心を向けさせていただくということではないでしょうか。
そして、私どもの心は神のものであり、神は、ご自身が治めておられる、その心をお受け取りになろうとしておられるのですから、一人ひとりが天国に立ち返って、自らの心を神にお返しすることが、神への礼節になると思います。
私どもが天国に立ち返らせていただかなければならないのは、私どもの心が天国に属しているからです。
明主様は、一人でも多くの人が自らの中に存在する天国を思い出してほしいというみ心をもって、その天国の写しとして、地上の聖地のご造営に熱い情熱を注がれました。
私どもは、その尊いみ心と情熱にお応えし、「メシア聖堂」の建設に向けて、全信徒一丸となって精一杯努め、天国で成し遂げられた福音をすべてのものに分け与える御用にお仕えさせていただきましょう。
また、「メシア降誕本祝典」1周年を迎える本年6月15日には、「メシア降誕祭」を執り行わせていただきます。
「世界メシア教」復活3周年を迎えた私どもは、メシアの御名を唱えることをお許しくださった神に感謝し、キリスト教と呼応して救いを成し遂げていくと断言された明主様のみ心を継承すべく、一人ひとりのうちにメシア降誕を成し遂げようとしておられる神に、全人類とその父母先祖の方々と共に、万物と共にお仕えさせていただきましょう。
そのようにお仕えすることを許してくださっている唯一の神に、メシアの御名にあって、権威、栄光、祝福を帰させていただきます。
ありがとうございました。